Le film sur jouor japonais:films
この作品、俳優の中村雅俊が監督・出演している。彼の監督作は初めて観たのだが、いまどき珍しいご都合的な映画だという印象。脚本も「おいおい」とツッコミを入れたくなるような台詞が満載。特に気になったのは、裁判員になることに躊躇する人に対して「逃げるのか?」とか「カッコ悪い」とかやや感情に訴えるような言葉が浴びせかけられること。そして全編を通じて流れる「性善説」とも言うべき、人間への信頼感というか、えらく理想主義的楽観ムード。「誠意は被害者にも伝わる」といった台詞が飛び出すのには驚いた。
この映画を観て違和感を感じた部分も随分多いのだが、裁判官が西村演じる裁判員と結構長い時間話をしているということ。実際の裁判官はそんな時間はないのではないか?と思えてならなかった。またこの映画では裁判員が判決を下す事件が一種の再現映像で示されていた。しかし、普通の裁判ではこれらは全て音声や文章で説明される。僕は映画のこの場面だけは目を閉じて、音声だけをたよりに状況を頭の中で再構成したのだが、これが結構、難しかった。全ての裁判員が同じような場面を想定するのは、時間もかかるし、決して容易ではないのではないかと思った。あと制度導入によって量刑が重くなるという印象をもちにくくするためだろうか、劇中での量刑は軽くなっていた。
やぱり心配なのは「お礼参り」。映画では「絶対ない」と断言していたが、その論拠に「処罰される決まりがあるから」というのがあった。オイオイ、処罰があるから事件が起こらないのであれば、殆どの事件は起こるはずがないではないか?ヤクザなどの案件は避けるということだが、この辺は「絶対」を信じることのほうが恐ろしい。無防備になる可能性もあるからだ。法廷で思わず吹き出したり、居眠りや欠伸などしたら、きっと反感を買うであろう。一般に自分を裁く人間に好感情など抱きはしない。一体、どこで逆恨みを買うかは分からない。
最後にふと思った。中村雅俊ではなく、別の監督がこの映画を撮っていたら随分と違ったのではないか?例えば『日本以外全部沈没』の河崎実や『妖怪大戦争』の三池崇、海外ではリュック・ベッソンやジョージ・ルーカスなどアクション系、さらにマイケル・ムーアなどが撮れば、もっと面白かったかも知れない。配役も判事が中村雅俊じゃなく、安岡力也とか六平直政とか竹内力とか哀川翔とか浅野忠信(無表情)・・・・まあ、教育的にはならないかもしれないが(笑)