29 septembre 2006 

C'est vraie, l'enquête?:journal

やや旧聞に属するが、「恋人いる女性は32%、男性24% 「結婚したい」9割」というニュースが朝日新聞のサイトに掲載されていた。これは「調査は05年6月、全国の18歳以上50歳未満で、結婚経験のない独身者約1万2000人を対象にし、8734人の回答を得た。サンプル数が確保できた18〜34歳について集計、分析した」そうだが、未婚同士の男女を扱った統計なら、「恋人がいる」のパーセンテージが8%も食い違うというのはどういうことなのだろうか?
 ここで疑問に思うのは「恋人」の定義である。この調査で「恋人」をどう定義したのかは記事からは判らない。ひょっとして、女性は相手を「恋人」と思っているが、男性は「恋人」とは思っていないということもあるのかもしれない。また、女性は相手が既婚の場合も「恋人」としてカウントしているかも知れない。複数の恋人がいる人に二股や三股をかけられている人もいるかもしれない。やや杜撰な印象を受けるこうした社会調査は結論として「結婚願望は強いのに、実際に恋人がいる人は少なく、未婚化や出生率低下の一因」としている。結果ありきの統計「解釈」に思えて仕方ないのは僕だけだろうか?あと、調査では35歳以上の独身者が「分析対象外」になっている。これには何の注釈もないが、ここで切る理由は何なのだろう?

26 septembre 2006 

nine lives:films

Rodrigo Garcia監督の9 livesを観た。
9人の女性を描いたオムニバス風の短編集。「愛」をテーマに様々な愛の姿を描いている。優れた短編とは?そう問われた時、僕はこう答えるだろう。オチの切れ味と余韻。
 9本のうち、気に入る作品も数本、あった。短編集というのは通常10本観ても1本気に入ったものがあればラッキーという感じだが、数本というのは極めて高い確率だ。第1話、第2話、第9話がよかった(第2話は大好きな女優Robin Wright Pennが出ていた)。実は今回はフランソワ・オゾンの『ぼくを葬る』を観る予定だったが、時間が間に合わず、この作品を観ることになった。そのためこの映画の予備知識はゼロで、映画を観た後にチラシを読んだ。チラシには各篇の解説があったが、なかには随分と踏み込んだものや、こんなコトまで描いてなかったぞ!と思うものもあった。多くの偶然が幸いして結果的には読まなくてよかった。それぞれの短編がワンシーン・ワンカットで構成されていることもあとで知ったが、気づかなかった。結構、自然で流れるような動きがあったからだと思う。邦題は『美しい人』。

25 septembre 2006 

Le Passager de l'été:films

Florence Moncorgé-Gabin 監督のLe Passager de l'étéを観た。
1950年。フランスの片田舎のLe Cotentinという村。Moniqueは戻ってこない夫の農場を引き継いで農場を切り盛りしていた。そこにある朝、Josephという季節労働者が仕事を求めてふらりとやってくる。彼はMoniqueの農場で働き始め、お互いに惹かれ合う。しかし、Josephの魅力は次第にMoniqueの娘で教師のJeanneや薬剤師のAngèleを巻き込んでいく・・・。
 どこかで観たようなプロットだと思っていたら、Philippe LIORETのL’EQUIPIER(邦題は『灯台守の恋』)と劇似。さらに外部からやってくる魅力的な男の主人公が灯台守の恋と同じGregori Derangèreを起用していたので、既視感はどうしても付きまとってしまう(ポスターまで似ている)。もちろん細部やラストに違いがあるが、作品が作り出す味わいはLIORETの作品の方が遙かに優れている。フランスでは著名な俳優を多数起用しているだけにもったいないと思った。監督がGabinとあるので、もしかしてと思って調べてみたら、果たしてJean Gabinの娘であった。2世で女性の監督といえば今やSofia Coppolaだが、政界も映画界も何だかどこもかしこも2世や3世ばっかりだな・・・。ここまで二世や三世が跋扈すると、血縁がないと特別な世界に参入できないような気になるし、こういうのって将来への意欲とか希望とかを失わせてしまうような気がするんだよね。まあ、誰々の息子とか娘とかいちいち言われるのは鬱陶しいだろうし、本人は生まれは選べないから一面では気の毒とは思うけど。まあ、とにかく世襲監督でもいい映画を作ってくれるんだったらいいけどね。でもこれじゃ、ダメだと思った。

 

TSOTSI:films

Gavin Hood監督のTsotsiを観た。
アパルトヘイトから解放されたと思いきや、今もなお少数の白人と大多数の黒人との間には圧倒的な経済・階級格差が存在する南アフリカの貧民街。そこで親元を離れてギャングとして暮らすTsotsi。彼の本当の名前は誰も知らない。強盗と暴力に明け暮れる毎日。ある夜、Tsotsiは赤ん坊を乗せた車を襲撃する。車を乗り捨てるとき、赤ちゃんを車に置き去りにすることが忍びなくなり、家にまで連れて帰るが・・・。
 赤ちゃんなどとは無縁な生活を送る者が突然、赤ん坊の面倒をみるハメになる物語はコメディ作品に多い(例えばColine Serreau監督の3 HOMMES ET UN COUFFIN(邦題『赤ちゃんに乾杯!』など)が、この作品はシリアスに、またヒューマニスティックに描いている。
 南アフリカの映画を観ることは殆どないためか、この国の現状に全く無知であったことを知った。この国に関しては「かつてアパルトヘイトが存在した」という認識ぐらいしかなかった。しかし、多くの国で建前となる法制度などが変わっても、現状では旧制度の残滓が根強く残っていることはよくあること(男女雇用機会均等法!)で、この国も例外ではない。むしろアパルトヘイト時代には機能していた白人による治安維持体制が崩れて犯罪が増加し、黒人政権になったにもかかわらず、黒人の生活が向上しない。この映画でも黒人であってもエリート家族の生活とTsotsiの家族のような貧民の格差は厳然と存在する。こうした現状をまざまざと見せつける。
 この映画のキーワードは「尊厳」。Tsotsiが地下鉄で襲った老人を殺した時、友人から人間の「尊厳」を持っていないと指摘される。Tsotsiが赤ちゃんと接するうち、その言葉の意味が一体どういうものか手探りしながらであるが知っていく。Tsotsiの過去の記憶も随所に織り込まれ、何故彼が非道な世界に入っていったのかが明らかになる。主人公のTsotsiが赤ちゃんに自分の名前Davidをつけることは彼自身が人生を生き直したいという内なる願望が込められていたのかもしれない。この映画の見どころは主人公の少年の演技である。氷のように冷たい表情を見せたかと思えば、赤ちゃんに時折見せるやさしい表情が素晴らしい。また、語学好きの人は南アフリカの英語に触れることができる数少ないチャンスかも知れない。話はやや飛ぶが、次のワールドカップはこの国で行われる。側聞するところによると、スタジアムの建設が全く着手されず開催が危ぶまれるという。チケットもちゃんと売ってくれるのだろうか・・・?

24 septembre 2006 

Bashing:films

小林政弘監督の『バッシング』を観た。
評価が難しい作品である。作品の冒頭でこの映画がフィクションであることが強調されているが、この作品がイラクにおける邦人人質事件を題材にしていることは明らかである。実際には人質事件のバックグラウンドを知らない人が観たら主人公の葛藤も何も判らなかったかもしれない。しかし、敢えてこれをフィクションとするのは、監督が想像で補った部分もあったからだろうし、何より実話とすることにより実際の被害者に更なる圧力がかかることを懸念したからであろう。
 実際のイラクにおける人質事件が起きたとき、僕はパリにいた。その時、え?なんでそんなところに日本人の女の子がいるの?とちょっと正気の沙汰ではないと感じたのが僕の最初の感想である。一気に人生のブレイクを狙った行為だとも思った。しかし、そうした感想がボランティアやNGOの活動に対する僕の無知からきていることを、あとで知った。その時、日本で巻き起こった人質被害者へのバッシングや嫌がらせがどれほどであったのかはあまり判らない。しかし、パリでは人質被害者に対する日本政府あげてのバッシングに否定的な論調であった。「どうして人道的な行為を行う彼らを日本は誇れないのか?そればかりかどうして制裁をするようなことをするのか?」と。折しも、フランス人ジャーナリストが同様に人質になっていた時期でもあった。アパルトマンの近くのフィガロの社屋には「
解放しろ!」の文字とともに人質になった二人の大型パネルを掲げていたし、新聞各紙は毎日彼らの写真を掲載して人質になって何日目と出していた。フランスの当時の外務大臣Michel Barnierは自ら交渉にイラクまで赴いた。そしてついに解放された日、「最高のクリスマス・プレゼント」とフランス全土が安堵と喜びに包まれたことを今でも鮮明に憶えている。シラク大統領もモロッコから喜びの声明を出すほどであった。日仏の反応の違いをもって良い/悪いの判断を下すつもりはない。しかし、この反応の違いはなんなのだろう?
 映画の話に戻ろう。帰国して半年経っても、いたずら電話や周囲の刺すような視線は変わらない。メディアの発達が日本という村をより小さいものにしている。話をすれば世間の人間はみな一言、言ってやりたいとばかりに説教モードで主人公に接してくる。親しくしていた者も持ち上げつつも敬遠する状況。主人公がとろうとするコミュニケーションはことごとく成立しない。コンビニさえも購買拒否される。これはあまりに息苦しい。さらに家族も同罪と言わんばかりにバッシングは波及していく。人は「お前はみんなに迷惑をかけた」という。しかし、「みんな」とは誰で、具体的にどのような「迷惑」をかけたというのだろう?スティグマを背負った人間に容赦ない嫌がらせを行うメンタリティ。それを座視する政府やメディア。この集団リンチ状態に戦慄をおぼえる。ただ気になったのは主人公が何故イラクに赴くのかを吐露するシーン。主人公の女の子は日本では何をやってもうまくいかず、誰からも必要とされないが、イラクでは子どもたちが笑顔で自分によってきてくれる。彼らは自分を必要としてくれている、というもの。彼女が戦地に赴くのが自らの欠落感を補うものであるのなら、複雑な心境になる。それぐらいの人間なら日本に掃いて捨てるほどいるからだ。彼女の行為の是非を判断することは難しい。周囲に行きたいと言う人間がいたら、それが親しい人であればあるほど、やめろと言うであろう。しかし、彼らの信念に基づいて行われる人道的行為が、国の方針と違うからといってやめさせるのは間違いである。ましてや被害者にダメージを加えるようなことは許されない。
 この映画は「日本」という村に住む人々の、輪郭のつかみにくい歪んだメンタリティをあぶり出したかったかも知れない。間違いなく「日本」のタブーを描いた作品である。個人の問題に収斂するような問題ではなく、一つの社会の問題としてこの点を取り上げたことには最大限の評価をしたい。この作品もここ最近はようやく観られるようになってきているが、アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』同様、海外でしか気楽に観られないというのは残念なことである。まあ、両者がいずれもタブーを扱っているという点では同様である。

 

une mimique italienne:journal

サッカーが好きで、ネットの新聞などでサッカー情報をよくチェックする。コラムも読むことも多い。どのジャンルでもコラムの質は玉石混淆。サッカーも例外ではない。時に戦術やサッカー史に関する記述には感心することもあるが、遺憾ながら低レベルのものも存在する。その筆頭が「ジローラモのカルチョ話」。これはひどい。要するにゴシップ。どうも日本のメディアはデーブ・スペクターやジローラモのような日本語が達者な外国人の話を「専門家」の話と同様につい信じてしまうきらいがある(「識者」や「専門家」もアヤシイが)。読者もややガードが甘くなるような気がする。それに付け込まれているような気がしないでもない。
 以前、NHKのイタリア語講座でジローラモは「美味しい」というボディー・ランゲージを紹介していた。人差し指をほっぺたに押し当て、手首を回してごりごり押すような仕草であることを紹介していた。別の番組でも言っていたように思う。以前、イタリア人の友人に招かれてパスタをご馳走になり、Buono!と言いながらその仕草をやってみたら、二人の友人は何故か困惑顔。実は僕はその友人の前でその仕草をやったのは初めてではない。一回目は笑って受け流していたような気がするが、二回目は違った。僕もそうした空気を感じ取って、回す指を力なくとめた。すると友人曰く、「それってイタリアじゃ、子どもしかやらないんだよね。」仮にも僕は大学で教鞭をとっている。齢も而立を越えている。そんな人間が無邪気な子どもの仕草をしている。逆の立場なら僕も困惑するだろう。その時、僕が感じた羞恥を想像して頂けるだろうか?ジローラモのコラムを目にするたび、僕の中で沸き上がる怒り。ゴルァ!いい加減にしろ!ジロー!

23 septembre 2006 

LITTLE MISS SUNSHINE:films

Jonathan Dayton, Valerie Faris監督のLittle Miss Sunshineを観た。ヘロイン中毒の祖父、その息子でパッとしないコンサルタントの父、ヒステリックな母、ゲイで失恋の末に大学の職を追われて自殺未遂した母の弟、ニーチェを読んでパイロットになるまで口をきかないことを誓った兄、美少女コンテストで優勝することを夢見る妹。そんな相当変わった一家が美少女コンテストの予選に通ってしまった娘のためにおんぼろ車でカリフォルニアに行くロード・ムービー。
 笑いと哀しみと最後はほのぼのと温かい気持ちになる作品。困難に出会うことで家族が思いやり、次第にまとまっていく。日本でもよく言われる「勝ち組」、「負け組」。単純な二項対立がこの映画でも用いられていたが、なーんだこの言葉もアメリカのコピーなんだと思った。紆余曲折の末にようやくたどり着いた美少女コンテスト。わざとそのように描いているのだろうが、年端もいかない少女たちにベタベタと化粧を施し、prostitute顔負けの蠱惑的な笑顔を振りまくように親たちが仕向ける、そんなグロテスクな模様に唖然としてしまう。子どもは無垢な存在だとは思わないが、ここまで大人の人工的な美を当てはめるメンタリティにアメリカの歪んだ欲望を垣間見た思いであった。折しも十数年前の美少女コンテスト優勝者殺害事件の容疑者が逮捕されたという話題がまたぞろ日本のメディアを騒がせた時(製作時期からこのことは意図してなかったであろう)だったので複雑な心境になる。
 しかし、この家族は意図せずこうした欺瞞的なステージをぶち壊してしまう。これがなかなか痛快であった。ぼろくそワーゲンをみんなで押して、エンジンがかかった車に乗り込むという象徴的なシーンの着想は素晴らしい。お薦め。

 

BREAKFAST ON PLUTO:films

Neil Jordan 監督のBREAKFAST ON PLUTOを観た。
アイルランドの教会の前に捨てられた赤ん坊の遍歴を寓話的に描いた作品。
Kittenの愛の遍歴と人生の居場所探しの旅は事実だけをみると極めて過酷である。しかし、そんな遍歴を寓話的な手法と洒脱なジョークでオブラートに包む手法が素晴らしい。これを支えるのはCillian Murphyの演技であるが、彼の演技が凄い。この作品だけみると自分でもそこまで評価したかは判らないが、カンヌでPalme d'Orを獲得したKen LOACHの作品THE WIND THAT SHAKES THE BARLEY(仮題:麦の穂をゆらす風)と比較するとより彼の演技力の高さ、確かさは明白である。彼はTHE WIND...ではまさにPLUTOとは全く真逆のパーソナリティ、骨太のIRAメンバーを見事に演じきっている。THE WINDはアイルランドの視点から、PLUTOはややイギリス寄りの立場から相前後する時代を描いており、それ故IRAの描き方に関してもかなりの違いが見られる。そうした点でもこの2作品はまさに好対照な作品であるといえよう。併せてご覧になることをお薦めする(THE WINDの日本公開は未定だが)。
 話をPLUTOに戻そう。主人公の「彼」がどうしていつも笑っていなければならなかったのか?その答えを台詞の中に見つけたとき、Kittenの悲哀が差し込むように胸に迫ってくる。アイルランドの教会でKittenの告白を聴いていた神父が、ロンドンの覗き部屋という場所で自らの告白をするという、こうした随所に観られる粋な演出も素晴らしい。映画の最初ではやや抵抗感を感じながらみていた主人公が、映画の最後には愛おしいキャラクターに見えてしまう。お薦め。邦題は『プルートで朝食を』。

22 septembre 2006 

Chantez, s'il vous plaît.

「国旗国歌の強制は違憲」であるとの判断が東京地裁から下された。その日の夜、僕はある寿司店のカウンターで寿司をつまみながらテレビのニュースでその報道をみた。やや離れたところでオジサンとオバサンのカップルがおり、オジサンがこの判決に異議を唱えていた。「国歌を歌うのは当たり前だろう、どうしてこうなるのだ」と。その時、僕はそのオジサンにその場で起立して国歌を歌ってもらおうかと頼みたい欲望にかられた。
「オジサン、国歌を歌ってよ。今、その場でいいから。立ち上がって国歌を僕にきかせてくれよ。」と。
 もちろん、見知らぬ他人にこんなことを言うことはしなかったが、こんな風に頼まれたらそのオジサンは果たして起立して国歌を独唱しただろうか?
 恐らくはしないだろう。彼は僕の部下でもなければ、学生でもない。もちろん、権力関係も利害もない。
国歌を歌うのは当たり前と大声で言う彼もきっと「何でここで立ち上がって君のために歌わなきゃいけないの?」と思っただろう。入学式や卒業式じゃないんだから。そう思ったかも知れない。もしかして、思考停止に陥って返す言葉も失ったかも知れない。頼んでもいないから、どう思ったかは不明であるが、困惑したであろうことは想像に難くない。
 ところで話は飛ぶが、教員が学生に空になったグラスを注ぐよう強要する行為はセクハラである。それを拒否した学生を落第にしたりするのもこれに該当し、悪質とされる。簡単に言うとセクハラとは権力関係をかさに、権力のある者が権力下にある者に対し、意にそぐわない行為を強要し、不快な思いをさせることである。今やセクハラをした教員が教職に留まることは難しい。それだけナーバスな問題になっている。
 都や教育委員会など処分を下しうる権力を持つ者が教職員に対して、処分をちらつかせて国歌斉唱の時に起立させたり、歌わせたりする。そして拒否した者を処分するというのは、構造的にセクハラに近い。セクハラという言葉が不適切ならパワー・ハラスメントだろうか。拒否したことで自分が教職を追われるのではないか?自分がイヤだと思ったことを拒否したばっかりに、不当な扱いや嫌がらせをうけるのではないかと教職員たちは不安に思ったに違いない。
 今度、同じシチュエーションになったとき、言ってみようかな?「ねえ、国歌、歌ってよ。」ってね。

21 septembre 2006 

Annonce de la fin de la diffusion de TV5 MONDE


パリから帰ってきて録画しておいた番組のチェックをしながら何気なくCSをつけたら、いきなりこのTV5の視聴ができなくなるとのアノンス。ショック!TV5が観られなくなる!http://www.ch999.co.jp/tv5/tv5info0915.html
このチャンネルに僕はどれだけ恩恵を受けてきたことか。フランス語字幕付の映画やニュース、クイズ番組などフランスの放送が視聴できるこのチャンネルが大好きだった。契約終了でこのチャンネルでは観られなくなるのはガッカリ。どこかの局が契約しないのだろうか?頼むよー。

 

Rijeĉi Ivice Osima:journal

眠れなかったので以前に買っておいた本を開いた。『オシムの言葉』集英社。涙なくしては読めなかった。哀しい歴史に翻弄され、過酷な人生を生きてきた、その生き様のようなものに感銘を受けた。彼はきっと「平和な日常」を切望し、こよなく愛しているに違いない。
 日本代表はユーゴスラビア(現・セルビア・モンテネグロ)の至宝を監督に迎え入れたのだ、と確信した。彼が来日したのは日本サッカーにとって僥倖と言っていいだろう。この一冊で、彼が若手を起用して世代交代をはかっているということも、彼がこれまでの監督業でやってきた実績に裏付けられていることがよく分かる。そして、彼は2年、3年、4年、もしかしてもっと先を見据えてチームを作り、選手を育てている。
 一方で残念に思うことがある。今から言ってもしょうがないが、中田英寿が現役でなおかつ、最も旬の時に岡田やTroussierやZicoではなく、Osimが監督をしていればどれだけよかったであろうかとつい夢想してしまう。衝突もするだろうが、Osimは中田の最大の理解者となり、マスコミ攻撃からの擁護者となり得たであろう。そして中田もOsimのもとで伸び伸びと才能を発揮できたのかもしれない。
 折しも、オシム監督と選手、あるいはメディアの橋渡しをする通訳問題が注目されている。オシム監督はフランスリーグで活躍してフランス語も話すし、オーストリアに家があるのでドイツ語も解するようだが、サッカーの指示に関してはセルビア・クロアチア語を使用することに拘っているようだ(彼の経歴や言葉を大切にする姿勢からこのことはよく分かる)。フランス語、ドイツ語の通訳、それもサッカーに詳しい人なら人材もいよう(むろんダバディは論外)。しかし、ことセルビア・クロアチア語に関しては通訳市場が極端に小さい。話者は1700万人ぐらいだから、日本語で学べるテキストは初級レベルの数冊に留まり、辞書に関しても同様。セルビア・クロアチア語と英語、ないしは他のヨーロッパ言語の辞書やテキストを使わなければ学習は困難なようだ。オシム監督の通訳に名乗りを上げる訳ではないが、俄然この言語に興味をもち、早速入手が容易な白水社『エクスプレス セルビア・クロアチア語』を注文。そして、英語ーセルビア・クロアチア語の辞書も発注した。楽しみである。彼の言葉を直接理解できるようになったらどれだけ楽しいだろう。
 この言語、系統としては、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派、南スラヴ語(ユーゴ・スラビアとは南スラヴの意味。中国語でも「南斯拉夫」と言っていた)。スラブ系の言語なのでロシア語学習歴がある御人にはすんなり入っていけそうである。そういえば、上海に留学していた時期は十日戦争、クロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のただ中にあった。ユーゴスラビア出身の女の子の留学生が帰国できないから日本に行くと言っていた。名前も忘れてしまったが、彼女は今、何をしているのだろうか・・・。
 映画好きの僕としてはどうしてもこの2本の作品をお薦めせずにはいられない。Emir Kusturica監督の『アンダーグラウンド』と『ライフ・イズ・ミラクル』、ジャン・リュク・ゴダールの『アワー・ミュージック』、そしてTomasz Wiszniewski『ボスニアの青い空』。特に前3作はレンタル可能だ。

 

décalage horaire

 時差ぼけの苦しみ、再び。やはりというか、時差ぼけのため体内時計に混乱を来している。日本時間なら夜の8時から明け方の8時までパリから大阪までの飛行機に乗っていたことになるが、この間、まんじりともできなかった。やっぱりエコノミー(それも満席)はしんどい。機内では映画を観て過ごすのだが、JALとAir Franceとの共同シェア便で機内は実質Air Franceだったので、映画もフランス語か英語が中心。いくら暇とはいえ、小さな画面で、英語やフランス語の字幕を追いながら神経を使うのはしんどい。さらに飛行機が遅れてしまったので、到着後は荷物を引きずってダッシュ。関空での国内便への乗り換えも冷や汗ものだった。
 そしてようやく我が家に到着。時差調整のため、昼間は眠らず、夜になってやっと泥のように眠れると思ったが・・・眠れない!24時間以上まともに眠ってないのに。
 誰しも眠るときの決めポーズというか、この体勢で眠ると一番寝付きやすいというポジションがあるのだろうか?少なくとも僕にはそれがあり、手を上げて腹這いポーズをとるも、眼だけは冴えてしまっている。もしも赤外線カメラで僕の寝姿を撮影したら、疲れた獣のように眼だけが光っていただろう。
 それはともかく、2時間ぐらいだろうか?ようやく寝付いたが突然の車の騒音で目が覚めたが最後、再び眠れない状態に。そしてこの駄文をしたためている始末。

20 septembre 2006 

La galerie du Mur

帰国した。沖縄にも秋の気配。今回の出張は不覚にも一眼レフのカメラを忘れた。携帯電話のしょぼいカメラで撮影したベルリンの写真をアップしよう。










美術館近くの彫像








フンボルト大学












ベルリン国立図書館













ベルリンの壁 1













ベルリンの壁 2













ベルリンの壁 3 壁の向こうに行こうとする人々が戯画的に描かれる。













ベルリンの壁 4 熱の入った接吻













昼食のデザート ストロベリーアイスのエスプレッソ添え(典拠あり)













感動的に美味しかったトルコ料理

10 septembre 2006 

Le Mur de Berlin

今日は土曜日。午後からベルリンの壁を見に行った。といってもベルリンの壁は象徴的にも実質的にも崩壊しているので、その名残を見に行くということになるのだが。ここは現在、イーストサイドギャラリーと言われている。
 壁にはもともと絵が描かれていたが、その上に落書きも書かれている。素晴らしい絵の上に小汚い落書き。なかには平和を願う文句や深淵な言葉もあったのだが、最低なのは自分の名前や「中国万歳」という類。自分の名前という最も安直なオリジナリティをこんなところで発揮するな、と言いたい。こういう輩に限って検索エンジンで名前を入れても1件もひっかからなかったりする。それはともかく、どうしてもアジア系の言語の落書きが目についてしまうが、低レベルの落書きは洋の東西を問わずどの言語でも書かれている。
 お土産にBerlinの壁のかけらを買った。以前、中谷美紀主演の映画『ベルリン』で、彼女がBerlinの壁のかけらを大切に持っているというエピソードがあった。何故かその時からベルリンの壁のかけらはとても貴重なものに思っていた。今回、壁に来ることになって調べたが、ベルリンの壁は全長155kmもあったそうだ。フルマラソンを3回以上の距離である。このちいさな壁のかけらが大きなものは数十ユーロ、小さなものでも2ユーロほどで売っているので、随分とボロい商売であることを知った。現に、壁の近くの土産物店では店主が壁を砕いてお土産にしており、僕も砕きたてほやほやの壁のかけらを買った。
 夜にはトルコ料理を食べた。僕は移民が多い土地柄に行ったときにはかならず移民の人々が開いているレストランに行く。ロンドンならインド料理、フランスならモロッコ料理、ドイツならトルコ料理といった次第。それは地元の料理に比べて値段も手頃で味も本場仕込みだからだ。そこでホテルのすぐ近くのお店で、羊肉のミックスグリルのプレートを注文した。これが驚くほど美味しかった。ドイツに到着した日にこの店に入っていたら、ドイツ料理そっちのけでトルコ料理の店に通い詰めたかも知れないと思うほど。トマトベースのソースとヨーグルトのソース、そして柔らかい羊肉が絶妙で、スパイスも強からず弱からず、ドイツビールとの相性は抜群であった。
 言うまでもないがやはり旅行は出張じゃないほうが断然、いい。

09 septembre 2006 

Galapagos 3D: films

BerlinのSony centerのIMAX 3Dシアターで『ガラパゴス』を観た。
最新の3D専用シアターのようなので足を運んでみた。映画はガラパゴス諸島の珍しい生き物と海中生物、そして海底生物の調査の模様についてのドキュメンタリーであった。ドイツ語はさっぱり分からなかったが、1時間ちょっとという短い時間は3D映像を観るだけで十分に堪能できた。やはり奥行きがあるというのは不思議なもので、イグアナのアップなどは本当に手を伸ばせば届きそうな感じであった。ウツボのような生物が自分に近づいて来たときなどは思わずよけてしまうほど。しかし、3Dがなかなか普及しないのも今回観てみて分かったような気がした。
 それは、画面が暗いこと。本来ならスカッとした青空や海の色が技術上、どうしてもくすんで見えてしまう。また、その他の原色もあまり綺麗に出ていたとはいえない。その他の作品はホラーものやSHARKなど海中生物の作品などがあったが、鮮やかな色調をあまり必要としないような作品かもしれない。あと、長時間の視聴には耐えられないのではないかという懸念。ヘッドフォンのようなものをつけるのだが、これがやや重い。何より目が疲れてしまう。それはともかく、ベルリンでこうした作品が観られるのはよかった。
 次の日の夕方、映画博物館を覗いてみた。映画の歴史的展示物があった。特に古い映写機はなかなか味があった。展示物の殆どは古い映画のパネルやそれに関する資料的なもので、古いドイツ映画に詳しくない僕としてはさほど楽しめなかった。

05 septembre 2006 

Voyage d'affaire

今日からBerlin、Parisへ出張。現地のStaatsbibliothek zu BerlinとBibliotheque national de Franceで中国関係の写本を調査する。Parisはともかく、不安はBerlin。初めての街で、しかもFrankfurt経由で到着するのは夜中。さらにドイツ語はカタコト以下。でもまあなんとかなるだろう。天気予報によると雨の予報がないが、気温はこの季節では最低が13度程度になる。寒ければ服は現地で買いたいが、往々にして袖の長さが合わない。それはともかく、初めての街ならではの楽しみもある。それは散歩と公園の芝生で過ごすのんびりとした時間。余裕があれば教会やオペラ座にも足を運んでみたい。コンサートでもやっていないかな?