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25 septembre 2006 

TSOTSI:films

Gavin Hood監督のTsotsiを観た。
アパルトヘイトから解放されたと思いきや、今もなお少数の白人と大多数の黒人との間には圧倒的な経済・階級格差が存在する南アフリカの貧民街。そこで親元を離れてギャングとして暮らすTsotsi。彼の本当の名前は誰も知らない。強盗と暴力に明け暮れる毎日。ある夜、Tsotsiは赤ん坊を乗せた車を襲撃する。車を乗り捨てるとき、赤ちゃんを車に置き去りにすることが忍びなくなり、家にまで連れて帰るが・・・。
 赤ちゃんなどとは無縁な生活を送る者が突然、赤ん坊の面倒をみるハメになる物語はコメディ作品に多い(例えばColine Serreau監督の3 HOMMES ET UN COUFFIN(邦題『赤ちゃんに乾杯!』など)が、この作品はシリアスに、またヒューマニスティックに描いている。
 南アフリカの映画を観ることは殆どないためか、この国の現状に全く無知であったことを知った。この国に関しては「かつてアパルトヘイトが存在した」という認識ぐらいしかなかった。しかし、多くの国で建前となる法制度などが変わっても、現状では旧制度の残滓が根強く残っていることはよくあること(男女雇用機会均等法!)で、この国も例外ではない。むしろアパルトヘイト時代には機能していた白人による治安維持体制が崩れて犯罪が増加し、黒人政権になったにもかかわらず、黒人の生活が向上しない。この映画でも黒人であってもエリート家族の生活とTsotsiの家族のような貧民の格差は厳然と存在する。こうした現状をまざまざと見せつける。
 この映画のキーワードは「尊厳」。Tsotsiが地下鉄で襲った老人を殺した時、友人から人間の「尊厳」を持っていないと指摘される。Tsotsiが赤ちゃんと接するうち、その言葉の意味が一体どういうものか手探りしながらであるが知っていく。Tsotsiの過去の記憶も随所に織り込まれ、何故彼が非道な世界に入っていったのかが明らかになる。主人公のTsotsiが赤ちゃんに自分の名前Davidをつけることは彼自身が人生を生き直したいという内なる願望が込められていたのかもしれない。この映画の見どころは主人公の少年の演技である。氷のように冷たい表情を見せたかと思えば、赤ちゃんに時折見せるやさしい表情が素晴らしい。また、語学好きの人は南アフリカの英語に触れることができる数少ないチャンスかも知れない。話はやや飛ぶが、次のワールドカップはこの国で行われる。側聞するところによると、スタジアムの建設が全く着手されず開催が危ぶまれるという。チケットもちゃんと売ってくれるのだろうか・・・?