29 avril 2008 

La môme:films

Olivier Dahan監督のLa mômeを観た。
フランスを代表する世界的シャンソン歌手Edith Piafの生涯を描いた伝記映画。この映画におけるPiafの印象は、自堕落、傍若無人、すれっからし、アバズレ・・・といった感じだ。その姿は、歌しか知らなかった僕にはやや衝撃的だった。貧民街で生まれ、娼館で育った彼女の人生はサクセス・ストーリーだったのか。この映画を観る限り、否であろう。あとでPiafについて少し調べたが、この映画では彼女の多くの功績があまりかたられていないような印象をもった。
 この作品で想起したのは、レイ・チャールズの生涯を描いたRay。まさにRayの女性版のような趣である。La mômeもRayと同じように、むしろ彼女の私生活に焦点を当てているためか、ややscandalousな印象。彼らの芸術的側面が一体、何に基礎づけられていたのかがはっきりしなかった。また、この映画で想起する歌手はもう一人。美空ひばり。やはり時代というのがあるのだろうか。
 Piafは47歳でこの世を去ったが、劇中の晩年の彼女は67歳かと見まごうばかりの老いさらばえよう。しかし、ラストのJe ne regrete rienは鬼気迫るものがあった。この映画を観た後に、もう一度 Hymne à l'amourを聴いてみる。歌詞をかみしめると、また一つ違った歌に聞こえた。
 この作品でMarion Cotillardがアカデミー賞主演女優賞を獲得している。その演技は確かに、その賞に値するものであった。ちなみにJamie FoxxもRayで主演男優賞を受賞しているし、Philip Seymour HoffmanもCapoteで受賞。Helen MirrenもReese Witherspoonも、ブス・メイクをしたCharlize Theronも、Nicole Kidmanも・・・ここ最近のアカデミー賞はそっくりさん大賞でもやっているのか?と思うくらい、実在の人物を演じた俳優が受賞している。これは一体何なのだろうと思ってしまう。実在の人物がいれば確かに演技の優劣はつけやすいだろうが、審査員が考える演技力とは何かと疑問を持たざるを得ない。

28 avril 2008 

No Country for old men:films

Ethan Coen & Joel Coen監督のNo Country for Old Menを観た。
 リタイアした元軍人がコヨーテ狩りの時に偶然大金を拾ってしまう。その後、その大金を狙うおかっぱ頭の殺し屋に追われることに・・・。
 物語は祖父の代から保安官をつとめる男の独白から始まる。祖父の代には保安官は拳銃さえもっていなかった。しかし父は殉職。孫の世代である今は、保安官が拳銃を所持しないことが考えられない世の中になってしまった。
 この物語は大金を持って逃げる男とそれを追いながら次々に人を殺していく殺し屋の話が軸となっている。この死と隣り合わせの追い、追われる関係が非常にスリリングになっている。時折入る冗談もなかなかいい。
 しかし、この物語の底流にはもう誰にもとめられなくなった時代の変化に対する哀惜がある。金と麻薬。そのためなら人の命さえ惜しくもなくなってしまったこと。動機も不明な不可解な殺人事件が増えてしまったこと。大金のために若い妻を見捨てるようなことをしてしまうこと。自分の服を売る若者のように、人助けと金のやりとりを両天秤にかけること。こうした弱肉強食の社会は、まさに題名通りの「年寄りが生きていける国ではない」のである。それはラストに近づく、下半身不随の男の台詞に凝縮されている。もう時代の変化は、誰にも止められないのだ。なんでこんな世の中になってしまったんだろな・・・という諦めにも似た後悔が滲んでくる。
 翻って、日本はGood Country for Old Menなのだろうか?年金もしっかり振り込まれ、何ら生活に困らない裕福な人にとってはYesなのだろう。実際に自分に年金が振り込まれていることを理由に国を誇りに思うと述べた人がいる。この方以外の定年退職者の多くも国への誇りを口にする。きっとこの国は老人の住み心地のいい国なのだろう。

27 avril 2008 

kisaragi:films

佐藤祐市監督のキサラギを観た。
自殺したとされるアイドル・如月ミキの一周忌にファイサイトで出会った五人が一室に集うことに。それぞれは初対面であったが、オダ・ユージというハンドル・ネームの男が「ミキちゃんは自殺ではない」と言い出したことから、会場は微妙な空気に。そして、それぞれの素性が暴かれていく・・・。
 舞台作品を映画化したような趣の作品だが、結構笑えて、楽しめた。脚本が巧い。推理劇が二転三転して飽きさせない。また、微妙なファンの心の機微が描かれている点がよかった。話が進むに連れて、コアなファンのトリヴァルな話題の割には、アイドルは殆ど売れていなかったのではないかと推察したが、果たしてそうだった。最後の最後にそのアイドルの映像がしっかり流れるが、ここでも笑った。

 

un couple pafrait:films

諏訪敦彦監督のun couple parfaitを観た。
MarieとNicolasは友人の結婚式に参列するためParisにやってきた。友人からは理想的なカップルと言われていたが、Nicolasはその友人に実は離婚する予定であることを打ち明ける・・・。
 映画は結婚式にやってきてから数日の二人を淡々と描く。大爆発ではない。相手への強い思いがマグマのように燃えたぎるような喧嘩とでもいうのであろうか。長い間、さんざん思いをぶつけ合った後の諦観が支配するような言葉のやりとり。もう関係を修復できないことを悟った二人が陥る後悔が滲み出る。この何だか重苦しいような、お互いへの思いが噛み合わない雰囲気が絶妙に演出されている。それぞれ、二人は相手を想っているのだろう。だけど、
愛憎交々があふれて、うまくいかない。これまでの二人に一体何があったのかはわからない。恐らくは40前後なのだろうが、二人には子供がいないようだ。
 きっと関係を営んでいくには葛藤は避けられないのだろう。お互いをぶつけ合った後にやってくるのは、後悔か、破局か、新たな関係か・・・。二人のラストはなかなかに秀逸。久しぶりにブログに書き残しておきたい作品だった。おすすめ。原題は「完璧なカップル」の意。邦題は『不完全なふたり』。

13 avril 2008 

des jumelles:journal

 今日、双眼鏡が届いた。早速、ベランダでバード・ウォッチング。近所のガジュマルや電線にイソヒヨドリのオス、イソヒヨドリのメス、シロガシラを発見。一羽、遠くて確認できなかったが、あれはメジロか?ささやかな喜びを感じる。
 しかし、思わぬ問題があった。双眼鏡は結構、酔うのだ。これには少し慣れる必要があろう。またベランダ・ウォッチャーは近所から覗き魔扱いされるおそれがある。これには注意が必要。

 

Tokyo Girls Collection

 日曜の昼下がり。村上春樹のエッセイを読みながらテレビをつけていたらNHKでTokyo Girls Collectionをやっていた。えっ?驚いたのは、モデルのウォーキング。下手、下手すぎる!ファッション通信などでみるモデルに比べると、雲泥の差。まあ、素人に毛が生えた程度のモデルだからしょうがないか。服も子供服だし。
 さて、村上春樹のエッセイ『ランゲルハンス島の午後』(新潮文庫)。ある方が村上春樹のエッセイを読んで、僕に軽妙な文体で書くようすすめてくれた。実際に彼のエッセイを読んでみて思ったのは、軽妙なのは文体ではなく、テーマ。題材はある意味で人畜無害というか瑣末。
しかも、批判はしないし、文句も垂れない。別に村上が嫌いな訳ではないけれどね。

02 avril 2008 

un petit voyage a Yambaru

 国頭郡にある比地大滝に行った。気軽に森林浴をして、滝のマイナスイオンを浴びるには絶好のスポットだった。滝までは往復1.5キロの距離。清流の音と野鳥の鳴き声を聞きながら歩く遊歩道は思いのほか昇降が激しかったが、大滝はその疲れも癒されるほどの空間であった。鳥類は日本最小のキツツキと言われるコゲラと、アカヒゲを観た。

 

rose, rose, rose:journal

 東村つつじ祭りと沖縄バラ園に行った。ツツジは遠くから観ると壮観であったが、時期が遅かったのか、近寄るとかなり萎れていました。
 続いて沖縄バラ園に行った。なんでも2000種類が植わっているそうだ。面白かったのはバラの名前。人の名前が多い。自分の名前がつけられた花が存在する。本人は無上の喜びを感じるのではないだろうか。マリリン・モンロー

ストロベリーアイス(アイスクリームのことなのか?)

ブルー・バユー(青を狙ったのだろうが、うす紫色でした)

プリンセス・ミチコ(皇后?イギリス産とありました)

ヘンリー・フォンダ(ジェーン・フォンダはいませんでした)

イングリット・バーグマン(どれも萎れていて、いい花を探すのが大変でした)

ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ(命名は離婚前だな)

だんじりばやし(え?だんじりって…あの?)