30 juillet 2009 

Je vais bien, ne t'en fais pas

 一夜明けても体調に変化はない。とりあえず、大丈夫なようだ。心配なのは、試験が延期になること。そして、三線のコンクールに出場できなくなること。
 死に至るような重症化の例が少ないためか、大きな騒ぎにはなっていない。手洗いとうがいはこまめにしなくては。

29 juillet 2009 

Grippe porcine

 2週間ぐらい前から沖縄にも新型インフルの感染が報告され、近所の小学校が閉鎖になったりしている。
 今日、会議に行くと唐突に同僚から「インフルエンザは大丈夫?」と言われ、困惑する。聞くと、ボクがインフルに感染したという話。ボクは誰とも「濃厚接触」はしてないとその可能性を否定すると、「ブタから直截ではないのか」という下品な冗談が飛ぶ。
 もちろん、こうした事実はないのであるが、こうした噂にも一縷の真実があるようで、確認するとボクが担当していたクラスの学生が感染したという話。名前を聞くと、当該学生は確かに受講しており、昨日、午前の授業を受けていた。
 その後、通常の業務をこなし、教授会では新型インフルの感染状況についての報告があった。感染したと言われる学生は、すでに復帰をしているという話だったので、当該学生が火曜日に姿を見せたのは、復帰後だったのだろうとその時は思った。
 帰宅すると、当該学生からメールが。開いてみると、昨日、感染が確認されたという。つまり、彼女は病み上がりではなかったのだ。
 うーん・・・どうしたものか。とりあえず、今は、何の症状も出ていない。強いて言えば、ほろ酔い状態、であろうか。

26 juillet 2009 

Jabisen episode 10:journal

 三線コンクールまであと二週間。今日は真玉橋公民館にて安冨祖流の出場者を集めてのリハーサルが行われた。他の出場者も集まり、審査員の前で演奏を行った。
 38名中、ボクは33番目。午後から会場入りしたので、約2時間待ったが、他の演奏を聴きながら待つのは辛抱が必要だった。本番は、6番目という比較的早めの順番でよかったかも知れない。
 他の演奏者を観てみると、同じ流派とはいえ手様(ティーヨー、演奏時の手の様式)が異なることが分かる。一般にこうした芸事は師匠から弟子に技が継承されるが、どれだけ真似ても逕庭が生じてしまう。弟子がまた次の弟子に技を継承する時、弟子相互の違いが分派の契機になるのかも知れない。
 いよいよボクの出番。最初にちんだみをしたのだが、調子が違う。腕がすべって胴にきちんと乗らないのだ。いつもは腕に適度な湿り気があり、それが胴を支えていたのだが、部屋がクーラーで極度に乾燥していたのだろう、ひっかかりが悪いのである。また、正座をしたとき、こむらがえりの兆候が感じられたことも影響したのかも知れない。結果、数カ所弦を外し、声も上ずってしまった。審査員の先生からは弦の抑え方に関する基本的な指摘を受ける。
 恥を忍んで言う。実は演奏前、「合格するかは問題外。完璧な演奏で、他を圧倒することが目標だ。」と心のなかで念じていた。不遜にも程がある。まさに恥ずべき勘違いである。しかし、ここで失敗したことはかえって良い薬になったかも知れない。本番では想定外のアクシデントがあり、思い通りにはいかないものであることを、思い知った。
 帰宅後、初めて衣装に袖を通した。いつもは半袖シャツとジーパンで演奏しているので、本番を想定して演奏する必要を感じたからだ。肌襦袢、腰紐、長襦袢、帯、袴ととりあえず、着けてみた。
 重くて、暑い。暑すぎる。真夏にコートを着ているようだ。立っても座っても汗が吹き出し、肌を伝う。さらに長い袖が、胴に腕を置く時の妨げになる。これはどうすればいいのだろう。とにかく、衣装を着て演奏するのは、普段に増して、過酷な状況になることを覚悟せねばなるまい。
 嗚呼、新人賞まで、道半ばである。1日10回。あと140回は弾くぞ。

20 juillet 2009 

Panna cotta:journal

 プリンを作ってもなお、生クリームが余った。そこで、パンナコッタを作ることに。レシピにはグラニュー糖とあったが、コーヒー用の角砂糖で代用する。


【材料 2個分】
・国産無調整豆乳200cc
・北海道産生クリーム100cc(森永)
・マダガスカル産バニラビーンズ(Fauchon)
・角砂糖3つ(La Perruche)
・粉ゼラチン

 【作り方】
1,材料を全てミルクパンに投入し、沸騰しない程度に温める。
2,さすがに粉ゼラチンがダマになったので、茶こしで漉す。
3,あら熱を取り、冷蔵庫で冷やす。

 【味】
 ぷるぷるとして美味、それでいて素朴。卵が入っていない分だけ、カロリーは抑えられている。トッピングにマンゴージャムと黒糖シロップをあしらった。味も色合いもマンゴージャムに軍配。バニラビーンズをそいだ指がほのかに、甘く香っている。

19 juillet 2009 

calla:journal

 キバナカイウという花を飾った。カラーという名前の方が知られているだろうか。
 ボクは何種類もの花を使った花束よりも、一種類だけ飾る方が好きだ。カラーのような花は一本でも楽しめる。
 因みに、この花はサトイモ科に属するようである。

 

diner:journal

 ある日の夕食。名前のない料理店 in おうちカフェ花で、ケータリングのフレンチを頂く。ボクはほぼ毎月、小島シェフのフレンチを堪能している。アルコールは持ち込み。気分に合わせてワインをぶら下げて行く。レストランでは1000円程度のワインを3倍以上の値段で飲まされることを考えれば、このシステムは嬉しい。やや旧聞に属するが、6月のmenuを紹介しよう。

二種類の人参のテリーヌ









玉葱のタルト・シガイダコ添え










タマンのフリット










ンスバナー(フダンソウ)のスープ










青空放牧豚三枚肉のブレゼ









山芋のフォンダンと、青パパイヤのケーキ










 小島シェフの料理は文字通りの「ご馳走」である。素材の殆どを自らの足で、地元の読谷村から調達してくる。よって食材はみな沖縄県産。毎回、名前も聞いたことのない野菜が供される。野菜中心のメニューのため、カロリーを全く気にしなくてもよい。味の方は写真をご覧になって想像して下さい。とっても体にやさしい味です。

 

Crème caramel:journal

 プリンを作った。先週、ホームパーティを開いた際に卵と生クリームが余ったので、作ってみた。プリンというのは材料も作り方も至ってシンプルである。




 【材料 2個分】
・沖縄産生卵1個(EM)
・国産無調整豆乳150cc
・北海道産生クリーム50cc(森永)
・ギリシャ産タイムの蜂蜜(L'Abeille)
・マダガスカル産バニラビーンズ(Fauchon)
・カナダ産メープルシロップ(サクラ印)

 【作り方】
1,豆乳、生クリーム、蜂蜜、バニラビーンズを入れた容器を40秒ほどレンジでチンし、全体を滑らかになるようかき混ぜる。
2,これに卵を加え、泡立てぬよう混ぜる。(面倒なので漉したりしない)
3,全てを混ぜ合わせたものを容器に移し、ヘルシオで蒸す(プリン・モード)。
4,蒸したものを冷蔵庫で冷やし、メープルシロップをかけてできあがり。

 【味】
 なめらかで濃厚、それでいて素朴。メープルシロップをかけずとも十分に美味しい。むしろ蜂蜜やバニラビーンズの香りが感じられてよい。
 こうしたデザートを作ると、店頭で売られている菓子が大量の砂糖や乳製品からできていることを実感する。一ヶ月後には人間ドックを控える。気をつけなくては。

18 juillet 2009 

Jōyō kanji

 常用漢字表に新たに加える予定の191字のうち、「淫」「呪」「艶」「賭」などの漢字が学校現場から不適切であると言われ、再検討することになったようだ。
 そもそも追加字が検討されることになったのは、使用頻度や、漢字とひらがなの交ぜ書きの解消などが目的であったという。例を挙げれば、昔は「ら致」「あっ旋」「し烈」「危ぐ」などと書いた平仮名部分を「拉致」「斡旋」「熾烈」「危惧」にすることだ。
 もし、再検討の結果、これらの漢字が追加されなくなったなら、「いん乱」とか「いん行」とか「じゅ縛」とか「妖えん」とか「と博」などと書くのであろうか?「妖えん」なんて書かれても、「妖艶」から受けるイメージにはほど遠い。「ゲームとと博の違いは?」と書かれたら、「ととひろし?」と困惑するか、「と」を衍字と解釈して「ゲームと博の違い」と、意味不明の解釈に誘導してしまうかもしれない。もちろん、現実的には起こりえないだろうが、こんな書き方になるのであれば、追加してしまえば宜しい、とも思う。学校現場は何故、上記の漢字を排除しようとするのだろうか?法律の条文にも使われる漢字である。しかも、子供たちが被害者になり得る犯罪に関する条文に使われる漢字も含まれている。
 しかし、一方で不適切であると言われた漢字群が、追加されなくとも、さほど子供たちに影響を与えないのではないかと思う。なぜなら、上記の漢字は学校で習わなくても、子供たちはどこかで必ず目にしてしまうからである。ボク自身、「淫乱」という漢字を何度もノートに書き付けて覚えたという記憶はない。しかし、何故かこの漢字を書けるし、この意味するところは知っているつもりである。

14 juillet 2009 

Tokyo Island;journal

 桐野夏生の『東京島』を読んだ。
 無人島でサバイバル生活することを余儀なくされた31人の男と、1人の女の物語。久しぶりに、小説を一気読みした。
 驚いたのは、これに酷似したシチュエーションの実話があるということ。小説読了後、実際の事件をネットで調べてみると、多くのサイトに記述があった。それぞれを仔細に読むと多くの点で齟齬があり、どれが真実に近いのは判然としない。しかし、事実関係は、押さえることができた。
 小説は事実より脚色され、興味深い仕掛けが多々あった。住人に中国人グループを入れるというのは、いかにも桐野らしい着想だ。そして、唯一の女性を実話のように若く設定せず(23歳)、40オーヴァーの肥えた女性として描いているのも、他の男の本能を際だたせる意味では極めて有効であったと思われる。それぞれのキャラクターを別のキャラクターに語らせ、一人の人物の自己評価と他人の解釈の隔たりをみせたりする手法は、面白い。
 学部の頃、工学部の友人が言っていた言葉を思い出す。当時の工学部の学科はまさに男30、女1人という状態だったようだが、そうした環境にいると、最初は人並み見えた唯一の女性が次第に可愛く見えるようになるという。その時は半ば冗談と受け流したが、学科の集合写真を見たとき、あながち冗談とは言えない、と思ったものである。
 閑話休題。小説世界もさることながら、実話にも大いにうならされた。まだ戦争状態にあると思っていた島の人々は唯一の女性をめぐって殺し合いをしたという。そのきっかけは、島内に墜落したB29から発見された拳銃。この拳銃で、何人もの人間が命を失った。やはり簡単に人を殺せる物が存在すれば、死者も多くなるということか。また、無人島であるが故に、島が無法地帯と化していたことも殺人を誘発したかもしれない。
 実話では、さらに驚く後日談がある。これを題材にした映画が、救出された唯一の女性・比嘉和子自身を主演に据えて制作・上映されたという。いやはや、凄い話もあるものである。
 三線のお稽古の合間、古稀を迎えられる
師範に事件をご存じか訊いてみた。最初は思い出せないようだったが、ハッとした直後、「アナタハン」という言葉が!映画をご覧になったことがあるとの由だった。

13 juillet 2009 

Achilles et la tortue:films

北野武監督の『アキレスと亀』を観た。
 地方の資産家の息子・真知寿は絵画好きの父親の影響もあってか絵を描くことが大好きな少年であった。しかし、父の会社が倒産し、父は愛人と自殺、親戚の家に預けられ、母も自殺してしまう。彼の周りには常に誰かが不幸な死を迎えるが、彼はどんな状況であっても絵を描き続ける。だが、青年になっても、中年になっても、一向に無名のまま・・・。
 これは芸術という魔物に取り憑かれてしまった男の物語だ。環境がいかに変わっても彼は画を描くことをやめない。その大きな犠牲となったのは、彼女の娘である。真知寿は画材購入のために娘が売春で得たお金まで無心するようになり、挙げ句に娘は早世する。妻はそれまでは真知寿にとことんついて行くが、しまいには愛想を尽かしてしまう。それでも、真知寿は画を描くことをやめず、その行動は徐々に狂気さえ帯びていく。
 ひたすら画を描く彼が、一体、何を目指していたのか、途中から分からなくなる。世間での評価を得たいのか、お金儲けをしたいのか、彼自身は自分の希望を何一つ、口にしない。彼に目指すべき芸術や夢があるのかさえ、分からない。彼は画を描くことで、すでに全ての欲望を叶えてしまっているように見える。
 真知寿の描く画は、劇中でも必ずしも認められていない訳ではない。しかし、中間に入る画商によって安く買いたたかれてしまう。方向性の示唆さえ与えられれば、ブレイクしたかも知れない。ひょっとすると、自分の画才や作品の真価を全く理解していなかったのは、彼自身だったのかも知れない。どんなに酷評されても、反論することなう黙って受け入れ、愚痴一つ言わない。浮世離れして、ひたすら作品に向かう姿をみて、「天才」とはそういう存在なのかも知れないと思った。評価されていることを知らないのに、妻よりも、娘よりも、自分の生命よりも作品を優先させる人間が、どれだけいるだろう。どこか真知寿に、ゴッホの人生が重なる。
 北野武の近作映画には、「作品」を生み出すときの葛藤がよく描かれる。『監督ばんざい』では失敗ばかり繰り返す監督の姿を描き、『Takeshi's』にも売れない芸人が登場し、その苦悩を垣間見せる。
 題名の『アキレスと亀』だが、ゼノンのパラドックスからとっている。一見、整合的ではあるが、経験的には違和感を抱く結論に対して、反論を試みてもうまく説明できない。真知寿からは、このもどかしさに似た感覚を抱く。
 劇中、最も不思議な存在だったのは、真知寿の奥さんではないだろうか。ラストに真知寿と対面した美しい表情からは、安らぎや安堵といったものより、ある種の不気味さを感じ取ったのは、ボクだけだろうか。

11 juillet 2009 

Jabisen episode 9:journal

 土曜日。今日は三線のお稽古日。普段の練習では師範と対面し、手の動きを観察しながら合唱する。だが、最近の稽古では、90度横を向いたり、師匠に背を向けたり、ずっと後方に座ったりと、これまで慣れた環境から少しずつずらしながら演奏している。また、師範が三線のみを弾いたり、完全に一人で弾き語りをすることもある。これらは小さな環境の変化かも知れないが、これが意外に演奏に影響する。師匠と合唱していた時には起こらないようなミスが生じるのだ。
 そして、今日は石嶺公民館のホールの舞台で、師範の師匠、そして師範級の兄弟子たちの前で、本番さながら演奏をした。みなさんはボクよりもずっとご高齢で、恐らく60代後半ぐらいだろうか。具眼の士を前に緊張したのだが、演奏後は、適切で有り難いアドバイスを数多く頂戴した。
 今日、何よりも強烈だったのは、録音された自分の演奏を聴いた時だ。師範はいつも褒めて下さるが、それが自分を勇気づけるためであることを改めて悟った。敢えて言うが、まさに自分には聴くに堪えぬ演奏であった。チル(絃)を外すのは論外だが、ボクの歌には情感が感じられないことが衝撃であった。音程を外さず、正確に爪弾くことのみに注意が向き、歌詞の神髄を汲んでいるようには到底、聞こえなかったのだ。因みに伊野波節の歌詞は以下の琉歌をもとに作られている。

 無蔵(んぞ)ちりてぃぬぶる にゃふぃん石くびり 遠さはあらな

「恋人を連れて上る もっとこの小坂が 遠ければなぁ」という恋の歌である。「ぬぶる」の後に「あぬんぞよ」、「石くびり」の後に「はいやまた」「あぬんぞよ」という歌詞が挿入される。これを6分30秒から7分程度で演奏する。音域は2オクターヴ弱まであるが、裏声は使えない。初心者にとっては難曲に属するが、お稽古を怠らないようにしなくては。それにつけても、自らを客観視することの難しさよ・・・。

06 juillet 2009 

moustique:journal

 ある年代の以上は聞こえない、あるいは聞いても耳障りにならない高周波の音を流し、たむろする若者を追い払うコンビニや自治体があるという。この音は所謂、モスキート音と言われているもので、果たして自分には聞こえるかどうか、気になった。
 そこで複数のサイトで試してみたが、随分とばらつきがある。20khzに達した時点で聞こえなくなるサイトもあれば、15khzのところもある。まあ、ボクの年齢なら19khzまで聞こえるというのは誤りであろう。
 たむろする若者に注意を促し、その場を立ち去らせる。今の日本社会ではこうしたことも難しくなっているのだろう。かつては厳しく注意する方や、やさしく帰宅を促す大人もいた。こうしたことができなくなった結果、モスキート音を使って「撃退」する。何より陰湿だし、あまり気持ちいい方策ではない。
 一方、若者も年配者に聞こえない周波数の音を着信音として設定し、授業中に着信を確認しているという。
 世代間の溝を感じざるを得ない。昨今は年長者が若者に素行を注意することや、アドバイスをすることも難しくなっている。注意を促す側も、激高したり、落胆したりする若者の過剰とも言える反応に接することを疎んでいるのかも知れない。こうしたことは他人の言葉に慣れるという経験を若者から遠ざけ、さらに他人との交流を難しくするのかも知れない。
 今の学生は以前よりもより複雑なコミュニケーション・スキルを求められているように思う。「空気を読む」という言葉に表されるように、常に場の流れに大きな注意を向けている。若者と接する我々も、学生に対して使う言葉には、大きな注意を払っている。きっと社会がそうした方向に向いているからなのだろう。
 窮屈な世の中だな、と思う。

04 juillet 2009 

Lin:journal

 一昨年からリネンを使い始めた。経済学を修めた方なら、リンネルの方がなじみ深いだろうか。マルクスの『資本論』にも頻繁にリンネルが例示される(ようだ。原文はもちろん、読んでない。)  
 リネンとは麻のなかでも亜麻といわれる繊維を原料とした布だが、肌触りがひんやりして、吸湿性が高く、すぐ乾くという特徴がある。確かに、
洗濯してもどれよりもはやく乾いている。この素材、エジプトの交易品リストにもみえ、ミイラを包む布として使われたようである。キリストも死後、この布にくるまれたそうだ。
 ボクはシーツ、枕カバーに始まり、最近はフェイスタオル、バスタオル、カジュアル・シャツや寝間着、スリッパもリネン素材のものを使っている。収納の場所もとらないから、嵩張るコットン系のタオルは次第に駆逐されつつある。最初はタオルのような毛羽がなく、表面がつるりとしているので、ちゃんと拭けるか心配だったが、使い始めるとなかなかよいのである。
 ただ、リネンと言っても、コットンリネンだったり、ラミーだったりと紛らわしい表示が多い。やはり質としてはリネン100%がよさそうである。お手頃のリネン100%の甚平か作務衣はないだろうか・・・暑くなると、どうしてもこうしたものを探してしまう。

02 juillet 2009 

Jabisen episode 8:journal

 昨晩、歌三線コンクールの演奏順を決める抽選が行われた。会場には各流派の最高賞、優秀賞、新人賞の候補者が集まり、順次抽選を行うことに。
 それにしても、沖縄の古典芸能の層の厚さを感じる。安冨祖流、野村流あわせて三線の新人賞の参加者は238人、優秀賞は195人、最高賞は131人。舞踊、箏、太鼓、笛、胡弓を合わせると1178名もの人が応募しているのだ。今回は琉球新報主催のコンクールだが、他に沖縄タイムスも同規模のものを行っている。民謡のコンクールは別にあるので、そのことを考えると三線人口は相当数にのぼる。
 今年は安冨祖流が早めの日程に組まれており、ボクは初日8月9日(日)の6番目になった。とりあえずコンクールのために休講しなくてはならない懸念はここで払拭された。
 レギュレーションを読むと審査は厳正に行われるようである。和装や規格に合った服装を着用することが求められるが、時計やアクセサリー類は厳禁で、即失格となる。また三線に勘所を示す印があったりするのは御法度。もちろん、演奏もやり直しはきかず、弦が切れたりするアクシデントも落第につながる。演奏に問題がある場合は、途中で演奏をやめさせる鐘が鳴るそうである。
 こう聞けば、よほどの経験がなければ緊張するなというのが無理であろう。だが、これに落ちたからといって、何かを失う訳ではない。有り体に言えば、人生にとっては無害な蹉跌でしかない。また、次がある。
 しかし、仕事はそういう訳にはいかない。相手の受け止め方にもよるが、失敗は誰かに某かの影響を及ぼす。失敗が許されない状況にずっと置かれれば、それはストレスが溜まるだろう。それにひきかえ、お稽古は何度失敗しても許容される。これがお稽古の妙味と言えよう。