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09 septembre 2009 

Jabisen episode 13:journal

 三線コンクールのシーズンが終わった。沖縄の芸能界は一息ついているであろう。ボクのお稽古も、一時の緊張から解放され、比較的のんびりとやっている。基本は一対一だが、兄弟子と共にお稽古することもある。さすがに兄弟子はずっと難しい曲を弾いている。
 ボクは伊野波節も舞踊の地方の部分で歌われる歌詞で演奏する。また、一回につき一曲のペースで新しい曲に入るため、復習が大変である。かぎやで風節、恩納節、辺野喜節、中城はんた前節、ごえん節を教わった。恩納節、中城はんた前節の低音の節回しが把握しづらく、難しく感じる。これらの曲はお稽古の冒頭で連続してするため、練習の時は二度しかしない。きっとお稽古ごとに繰り返すことで身についてくるのであろう。次はこてい節、踊りこはでさ節に入る。それが終われば、優秀賞の課題曲・作田節に移るのであろう。二揚の曲はまだ先だが、いつか弾けるようになればと憧れを抱いている。
 ボクが琉球古典音楽に感じている魅力の一つは、時代への媚びがないということだろうか。これは古典芸能全般に言えることだが、時代が変わっても、聴く側の好みが変わっても、伝統を継承することを大原則としている。そこに畏敬の念を感じるのだ。教え方一つとっても、伝統は守られる。どんなに年若くとも、ボクのようないい大人でも同じ。先日、17歳のアメリカの少年に、正座をさせて阿波節を教えていたのには、瞠目した。
 昨今の音楽の多くは消費者のニーズに徹底的に迎合する。もちろん心地よさを感じることもあるが、たとえ新曲でも新鮮さを感じることはない。これは何も音楽だけに限らない。あらゆる事柄で現実に迎合することを求められるなかで、「こうするのが正しい」というポリシーを貫けることは、今の社会では稀有なことだ。