27 juin 2009 

Jabisen episode 7:journal

 三線のコンクールまで残すところ一ヶ月。
 曲がりなりにも通して弾けるようになり、次なるステップに進む。これまでは喉に負担をかけずに反復練習するため、低めの音程で歌っていたが、今回からは本番同様の高めの音階で歌い、ちんだみも相応に調節した。しかし、慣れない高さに戸惑い、音程も外しがちになる。これを何とか当日までにしなくてはならない。
 お稽古の後、師範とコンクールで着用する衣装を求めに行く。注文したのは、以下の品々。
 
 ・紋付き着物
 ・袴
 ・半襦袢
 ・角帯
 ・腰紐
 ・雪駄
 ・足袋
 ・衣装ケース

 色、柄、素材などは師範のご意見に従い、ボクはサイズを合わせるのみ。和装を誂えるのは初めてなので、できあがりが楽しみだ。ちょっとしたコスプレ気分である。ヨーロッパで着れば彼の地の人々のオリエンタリズムを刺激するに違いない。そういえば、ボクは浴衣も作務衣も、甚平も持っていないな・・・。

26 juin 2009 

Michael passed away

 マイコーが死んだ。思い出すのは「マイケル・ジャクソンの真実」という番組で披露された、「マイケル買い」と言われる買い物のスタイルだ。これは大人買いや、やんちゃ買いなどを軽く凌駕する。This! This! This!・・・と指さしながら値段も確認せずに手当たりしだいに高額商品を買い漁る姿には、驚きを通り越して、笑った。
 いま、追悼番組でスリラーのビデオクリップを流している。確かに、踊りたくなる振り付けである。
 ご冥福を禱る。

20 juin 2009 

de XP à Vista

 ある日を境に、研究室のPCのパフォーマンスが緩慢になった。起動に15分かかるし、スクロール滑らかさを失い、駒落ちのようになってしまった。理由は分からない。だが危険な兆候であることは確かだ。いつHDがクラッシュしてもおかしくはない。バックアップをとり、XPをクリーン・インストールすれば問題が解決したかもしれないが、HDの容量が10%以下になり、パンク寸前だったため、本体の買い換えに踏み切った(自腹)。
 自宅と同様、研究室もMacにしようと思ったが、中国語、韓国語のアプリケーションなど動作しないソフトが多いため、泣いてWindows PCを購入する。
 OSはVista Ultimate 32bit版。このOSはメモリを大量に消費するため、快適な操作には最低でも2Gのメモリが必須という。早くも後継OSのリリースが発表されており、「つなぎ」で出されたような印象をもつ。64bitはデバイスやソフトが対応しないことが多く、とりあえず忌避する。
 そもそも、遅々として進まぬPCを替えるのに、同じスピードとなったのでは不満を禁じ得ない。そこで64bitへの移行も視野に入れ、4Gのメモリを搭載する。OSもpre-installされていたHome Editionが起動したら間、髪いれずUltimateを導入した。しかし、これが良くなかった。何と、ネットワーク・カードやディスプレイ・ドライバなどがUltimateでは認識されなかったのだ!ネットワーク・カードが認識しないのでは、LANにも接続できない。その前に、設定しようとしてもLAN接続するアイコンが表示されないので焦りは募り、ネット接続までにかなりの時間を浪費した。そして、さらに長い時間をかけてWindows Updateを行い、ようやくアプリケーションをインストールする準備ができた。そこまで3時間。その時点で買い換えを激しく後悔したことは言を俟たない。
 しかし、その後、各種ソフトをインストールしたが、32bitにしたためか、どのソフトも問題なく導入できた(ちゃんと使えるかは今後の検証次第)。
 Vistaとは、イタリア語で「眺望」という意味である。名称は悪くないが、評判はすこぶる悪い。重く、インターフェイスにSimpleさ、洗練が感じられない。ついでにOffice2003も2007にアップグレードしようと思ったが、こちらも極めて評判が悪い。やはりインターフェイスを無闇に変更したため、罫線一本引くのに画面をあちこち探し回らなくてはならないという。ボクも余所様のOffice2007を使った時に困惑した覚えがあったので、2003からのアップグレードは見送ることに。
 結局、夕食を挟んで主要ソフトをインストールしおえたのは、長針と短針が重なる頃であった。

17 juin 2009 

Rashōmon

 教育実習の研究授業を参観した。テキストは芥川龍之介の『羅生門』。
 この作品を読んだのはいつだったか覚えがない。やはり高校生の頃だったかも知れない。今回、改めて通読してこの作品がが何故に現在まで読み継がれているのかが分かるような気がした。
 主要登場人物は二人(+死者)。リストラされた若者(下人)と老女である。二人はまさに社会の底辺にある者たちであるが、二人は対等ではない。死体<老女<下人という力関係となる。
 この作品は社会の弱者がさらなる弱者を食い物にする姿が描かれる。老女はきっと金も身よりもないのであろう。羅生門にうち捨てられた死体から髪の毛をはぎ取り、それを換金しようとしている。労働力もなく、縁故もなく、性的魅力も枯渇した老女が搾取できる対象は、もはや死体しかない。一方、下人はまだよい。少なくとも老女よりも若く、体力がある。しかし、下人は結果的に老女の唯一の持ち物であると思われる着物を奪っていく。文字通り身ぐるみ剥がれた老女は、うち捨てられた死体と同じ末路を辿るのだろう。老女が生き残るためには、彼女に唯一残されたもの、つまり羞恥心を捨てて、素っ裸で羅生門を降りる以外にない。
 この作品は、下人が自らの掠奪行為をどのように正当化していくかに醍醐味があるが、畢竟、生前の死体も、老女も、下人も同じである。生きるための悪事は、仕方ないと思っている。
 社会の底辺の者が、より困窮する者からなけなしのものを掠奪する構造。こうした絶望的構造が現在も、しかも世界規模で命脈を保っているということに、暗澹とする。 
 この作品は、ラストの一文にたびたび変更が加えられている。教科書では「下人の行方は誰も知らない。」となっているが、初出のラストと比較してみるのも一興である。
 再び『羅生門』を読みたい方は、こちら(青空文庫:外部リンクに接続します)をどうぞ。

13 juin 2009 

quelle surprise!

 先だって墜落したリオデジャネイロ発パリ行きの飛行機に乗り遅れ、命拾いをしたというイタリア人女性が、その翌日に交通事故死していたそうだ。
 原因は、やはり命拾いをした夫の居眠り運転だそうだが、ひょっとすると夫は時差ぼけで睡魔に襲われたのかも知れない。ブラジルからオーストリアは、西から東への移動となるため、時差ぼけはその逆の移動より強烈になる。また朝方の人や年配者は強くなる傾向もあるという。時差ぼけは一種の睡眠障害となって出ることもあり、滞在先の時間帯を問わず、強烈な睡魔に襲われる時もあれば、さっぱり眠れなくなることもある。ボク自身、昼日中に車を運転している時に居眠りしそうになった経験がある。それ以降、帰国直後の行動は慎重にするようにしている。
 幸運直後の不幸。何とも形容しがたいニュースだ。車を運転し、生き残った夫はさぞかし、辛かろう。

12 juin 2009 

Les marchés

 ミランのカカに続き、マンチェスターのロナウドもレアル・マドリーに移籍することになった。
 ロナウドの移籍には、マンチェスターがノー!とは言えない状況があったそうだ。FIFAの規約に「3年以上在籍した選手は、契約満了までの年俸プラス、契約時の移籍金の1%を支払えば所属クラブと契約を解消できる」という条項があるそうだ。8000万ポンドという高額な移籍金が発生したのは、この条項に違反しないだけの金額を積む必要があったからだろう。札束で横っ面を張られた形になったマンチェスターの心境はどうだろう?フロントは莫大な収入に喜ぶだろうが、ファン心理は別だ。
 サッカー界における移籍金の高騰は、何も今に始まったことではないが、こうした状況はあまり健全とは言えない。しかし、こうしたレアル・マドリーの強欲ぶりに眉を顰めつつも、つい観たくなってしまう。
 かつてアンチ巨人ファンというのは、実は巨人ファンであるという話を聞いた。アンチ巨人を自称しても、結局は巨人戦以外の試合を積極的に観戦していないからだという。レアルを応援するか否かに関わらず、レアルの試合を観る客は増えるであろうし、クラブの収入もそれに比例するだろう。ただ、それが支払った金額に見合うかは判らない。
 ボクのお気に入りのチームはアーセナル。選手は小柄だがテクニックとスピードがあり、小気味よくパスをつないでゴールに迫るスタイルが好きだ。定評のある大物を獲得せず、若手を育成してチームを強化する姿勢にも好感を抱く。ボクはチェルシーやレアルのような金満チームの試合は観なくても、アーセナルの試合は必ず、観る。近年のバルセロナもカンテラと言われるクラブの下部組織の選手を育成して、強いチームを作っている。来期は、アーセナルやバルセロナのようなチームが、レアルやチェルシーを打ち負かすのを楽しみにしている。ロナウドがダイブでイエローを喰らったり、味方からパスが来なくて泣きそうな顔をするというおまけつきで。

10 juin 2009 

iPhone et Snow Leopard:journal

 新型iPhoneがアメリカで発表された。ボクはAUのinfobar2 Midoriを使っているので、iPhoneを使うにはキャリアを替えなくてはならない。
 ボクが乗り替えするとしたら、iPhoneがおサイフケータイに対応した時である。JALのチケットレスやエディ、SuicaなどICチップを使った機能が備われば、ボクにとっては申し分ない。しかし、新商品でもおサイフケータイやワンセグ機能は見送られた。旅行をした時はコンパスは非常に便利なので、iPhoneの新機能には魅力を感じるだけに、残念である。
 もう一つ、ボーナスシーズンを前に続々と新商品が発表されているが、最新OSであるMac OSX Snow Leopardが発表された。この新しい機能で驚いたのは、中国語入力機能。トラックパッドに指で漢字をなぞれば、それを認識するというもの。これは是非とも試してみたい。さらに、HDに占めるOSの割合が、現OSの半分以下になっているとの由。これも大歓迎である。特に、初代Macbook AirはHDの容量が少ないので、約1割にあたる6GBの節約は大きい。
 Windowsのアップグレードのニュースにはげんなりするが、macのそれはわくわくする。やや旧聞に属するが、ボクのお気に入りのmacのCMはこちら(youtubeに接続します。)
 

07 juin 2009 

「世界を驚かせる覚悟がある」ってヘンくない?

 サッカーの日本代表が、南アフリカで開催されるワールドカップ本選への出場を決めた。開催国である南アフリカに次いで、二番目の出場国となった。
 実は試合は前半を観ただけで寝てしまった。朝起きて、ビデオを観て最後はハラハラ・ドキドキの展開であったことが判った。やはり地元が出場するとしないとでは、盛り上がりが違うので、本選出場は喜びたい。
 しかし、試合後、選手たちが着用していたTシャツにあしらわれていた文句に、違和感をもった。
「世界を驚かせる覚悟がある」。
は? なんかヘンくない?もちろん、表現しようとしていることは、理解できる。つまり、日本代表が好成績を収めて人々を驚かせるためには、今後、相当努力しなくてはならないから、その努力に払われる多大な苦しみに耐え抜く「覚悟」があるということなのだろう。しかし、この違和感は何に由来するのか?
 「覚悟」するということはどういうことか?死を覚悟する、犠牲を覚悟する、決死の覚悟・・・「覚悟」するのはやはりこれから生じる何らかの労苦を指している。辞書にも、「危険な状態や好ましくない結果を予想し、それに対応できるよう心構えをすること。」「観念すること。あきらめること」だから、「覚悟がある」という言葉のなかに、相手が驚いたことを「受け入れる」ような感じもする。つまり驚かせた結果、相手に驚かれても、「動じない覚悟」をしている風にもとれる。そもそも、驚かすために覚悟を必要とするなら、「世界を驚かす覚悟がある」という言葉は、つまり「現時点で私たちは弱い」「努力しなくっちゃ」と宣言しているようなものなのではないか?
 また、違和感の源は、「驚かす」ことと「覚悟する」ことに表現上の飛躍を感じるからかも知れない。日本語では「驚く」という言葉に、驚く主体が、好意的に驚くといったプラスの意味がもともとない、あるいは薄いのかも知れない。だから、「驚かせる」ことを覚悟されたりした場合、驚かせるためための具体的行為に何かよからぬ企みでもあるような、気がする。
 やはり、「驚かす」ことと「覚悟する」という二つの言葉のつながり、あるいは飛躍にボクがいだく違和感の源泉があるのは、間違いないようである。「世界を驚かすぞ!」ならまだわかる。
 今、朝7時・・・あの文句さえなければ、二度寝していたのに・・・。

06 juin 2009 

mon voyage episode 11 :journal

 4月3日。リュブリアーナからトリエステに向かう。ホテルで朝食を済ませて、10時発の長距離バスに乗るために駅に向かう。改めてリュブリアーナの駅を観ると、田舎駅のような佇まい。天気は曇り。いつ雨が降ってきてもおかしくないような天気だ。
 バスはとりあえずKoperというスロベニアの港町に向かう。そこからバスを乗り換えてトリエステに行く。Koperまで8ユーロ。加えて1.3ユーロの荷物代金を徴収された。しかし、バスはメルセデス・ベンツで、乗り心地がよい。
 バスは高速道路をひた走ったあと、山道に入る。山の農村の間を抜けると、海が見えた。その頃には、晴れ間も見えて、シャツ一枚でも大丈夫なほど暖かい。やはり復活祭が近いからだろうか。一週間ぶりの太陽に、心も躍る。
 KoperでTrieste行きのバスチケットを買ったが、次のバスまで2時間かかるという。そこで徒歩10分で到着するKoperの街まで行って食事を摂ることに。Koperはとても小さな港町だが、雲に遮られない陽の光も手伝って、寒い心も溶け出すようだった。古い街並みを通ると遠くに海の青が見えた。港にはたくさんのヨットが係留されており、近くにカフェがあったので、そこで軽く食事をする。頼んだのはパニーニとビール。そしてまん丸の卓球ボールよりもやや大きいケーキ。開放的な雰囲気も手伝い、すっかりリゾート気分に。







 市街を説明した地図には、あちこちに見所があることを示していたが、時間もないため街を軽く散策してからバスターミナルに向かう。
 Trieste行きのバスには、ひっきりなしにイタリア語を話すおじさんと、それを聴く若者の姿でややうるさかった。二人はおそらく、その場で出会っただけの関係なのだろうが、随分と若者は辛抱強く聴いていた。
 1時間足らずで、Triesteに到着。駅のインフォメーションを探すがみつからず、インフォメーションだと思って入ったお店が、一般の旅行代理店であった。しかし、店の女性は快くホテルの場所を教えてくれて、無料の地図までもらってしまった。
 ホテルは駅から徒歩5分程度のところにあった。ホテルの名前のプレートを外壁に貼り付けた建物は廃墟のようで戸惑った。だが、その隣のビルにホテルのマークを冠していたのでそこに入ると、そこが目当てのホテルであった。意外にきれいなホテルで一安心。部屋も申し分ないほど広く、薄型テレビもあったが、無料のネット接続ができなかった。どんな設備が貧弱なホテルでもネットが接続できるのとできないのとでは随分印象が違う。きっとボクは自分が思う以上にネットに依存しているのだろう。その事実が受け入れがたかったので、ネット接続はしないことに決める。









 荷物を置いて早々に街に繰り出す。晴れているので、やはり嬉しい。まず最初に、Piazza di Unita d'Italiaに行く。広く、実に美しい広場だった。他の観光地ほど、観光客にあふれているということはなく、アジア系の人も皆無。ここのインフォメーションで日本語で書かれた無料のガイドのコピーをもらう。







 まず向かったのは、Cattedraleと城壁。地図をもとに徒歩で向かうが、曲がるべき角を失っているところ、地元のおじさんが話しかけてきた。Cattedraleに行きたいという旨を話すと、連れて行ってやるとありがたい申し出をしてくれた。そして、また来た道をもどってCattedraleに向かう。道すがら、非常に流暢な英語で、街のことを説明してくれた。
 みちすがら街で唯一残るローマ時代の石畳や、建物にとりつけられている手すりのこと、港を見下ろす絶好のロケーションや、彼自身のTriesteへの愛着などを存分に語ってくれた。Cattedraleに到着する頃、彼は「じゃあ」といってそのまま早足で去っていった。思えば、お互いに自己紹介さえ、していなかった。








 Cattedraleは非常に古い建物で、祭壇はダークな色調を基調としつつも金銀のきらびやかな石を象嵌したモザイクになっており、歴史の風格を感じさせた。その横には城壁があり、なかの博物館には過去の柱や壁などの遺物や、築城に関する模型やデータ、槍や刀などが展示されていた。惜しむらくは自分が理解できる言語による説明がなく、あまり詳しくは判らなかったこと。よかったことと言えば、その城にはボク以外に誰もおらず、自分の城と自ら言い聞かせたくなるほど、誰もいなかったことか。城からはTriesteの街が一望することが出来た。夕方には、方々から鐘の音が響き、カモメの鳴き声と潮の香りも相俟って、ヨーロッパの港町の雰囲気を満喫することができた。








 その日はダウンジャケットなど必要ない陽気で、長袖シャツ一枚で過ごしたが、食事をする頃になると少し肌寒くなっていた。ホテルの帰りしなに通り過ぎたカフェには新しいIlly Collectionのカップが売られていた。カップはシルバーの鏡面になっており、ソーサーに描かれた墨絵のような絵柄がカップに映しだされるといった趣向だ。二客で52ユーロ。ネットで最安値を確認できないので、購入を躊躇する。しかし、エスプレッソカップはすでに6客もっているため、必ずしも必要ない。しかし、研究室に6客をコンバートし、研究室にもエスプレッソメーカーを設えるというのも悪くないアイディアだ、と思う。こうなると気分は一気に購入へと傾くが、とりあえずPazienza!
 部屋が暖かく、天気もよいので、二回目の洗濯をする。これでこの旅行では洗濯をしなくてもいいと思うと、少し気が楽になる。ただ、やはり旅先では洗濯物を干すのは面倒である。細くて軽くて丈夫な紐を持っておくのがやはりいいだろう。
 再びUnitta d'Italia広場に行く。街のレストランの表示をみてみると、夕食は7時ぐらいから始まるようだったので、広場のカフェでビールを飲む。バタバタとうるさい音が聞こえたので、視線をそちらに向けると、やや遠いテーブルに鳩が5,6羽群がってテーブルの上の食べ物を漁っていた。ヒッチコックの鳥の一場面を彷彿とさせる光景に、喫驚した。ほどなくしてギャルソンがボクのテーブルにもポテチとオリーブの酢漬けを置いたので、鳩が群がった原因が氷解する。そして、自分のテーブルが鳩の大群に襲われないため早めにポテチを消費し、少し緊張しながらビールを飲んだ。鳩は人がいるところにはどうも来ないらしい。
 ホテルのフロントで近くのスーパーの所在を訊く。ここではできる限りイタリア語を使うようにしているが、こちらの質問はともかく、あちらのイタリア語は断片的にしかわからない。これは本当に困る。しかし、とりあえず駅の近くということは理解できたので、駅に向かってそれらしき店を探す。しかし、見あたらないので、再び通行人に尋ねる。
 スーパーはさすがに充実していた。ハム、ソーセージ、肉にチーズはよりどりみどり。しかし、愛用しているケフィアはなかった。スプマンテが1.2ユーロと激安だったので、試しにゲット。それ以外はビール、ミネラル・ウォーター、オリーブ風味のスナック菓子、ヨーグルトを買う。これで夜にのどが渇いても安心だ。
 ホテルに戻って、インフォメーションでもらった日本語で書かれたガイドにあったレストランに行く。ガイドには「値段は高くはない」と書かれていたが、完全に失敗した。
 ボクはそのお店で、魚のカルパッチョとボンゴレのパスタを注文したが、事前にギャルソンから注文した魚のカルパッチョがないので、別のものになると聞いていた。しかし、Scampiという単語が聞き取れず、それがエビであることを理解できていなかった。エビ・アレルギーのボクとしては、大皿に並べられたエビのカルパッチョをみて、手を付ける訳にもいかず、苦々しくただ写真だけ撮った。








 二皿目のパスタは、フルマラソンを走ってミネラルが体から全て失われたぐらいだったら美味しいだろうな・・・と思うぐらい塩辛かった。ただ塩辛いだけでなく、さらにからすみのような卵の塩漬けも入っており、スプマンテとmineral waterは一気になくなった。しかも、お会計の値段も高かった。日本円で4000円。実質的にはスプマンテとパスタだけである。
 帰りがけにジェラートでお口直し。帰り道の途中のジェラテリアで2つ注文する。1つはイチゴ。これは当たり前に美味しかった。もう一つはリキュールのジェラートだと思って頼んだが、味としては漢方薬であった。ちょっと日本では口に出来ない味であったが、美味しいかと問われれば、微妙な表情をしただろう。色はコーヒーのようだったが、味はどこかで口にしたような漢方薬、だった。しかし、これもよき、思い出。いつかこれが何の味だったのかが判るときが来るであろう。
 夜のTriesteの街は素晴らしかった。広場や街路はライトアップされ、幻想的ともいえる雰囲気を演出していた。しかも、どこかリラックスできるような治安の良さも感じることができる。こうした街はやはり、いい。







 夜、疲れていたのか、部屋が暑かったのか、掛け布団を蹴飛ばして爆睡する。

03 juin 2009 

Black Gold :film

 Marc Francis and Nick Francis監督のBLACK GOLDを見た。
 コーヒー発祥の地エチオピア。毎年700万人(埼玉県の人口に相当する!)が国際機関などによる緊急食糧援助を受けざるをえない状況が続いている。この国はコーヒー豆の生産を主要産業としている。だが、1キロのコーヒー豆(約80杯分)に対して農家が受け取る金額はたったの12円。コーヒー農園に働く人たち、おそびその家族の生活は困窮し、子供たちは修学さえままならない状況にある。世界中でかくも飲まれているのに、生産者が飢餓状態になっているという理不尽。フェア・トレードが叫ばれる所以である。
 先進国の企業による生産国からの搾取。自分もほぼ毎朝、エスプレッソを飲んでいるが、ポッド一つの値段は90円。恐らく、一般的な家庭でのコーヒーの値段からすれば高い方だろう。だが、この値段で飲めること自体が異常であると言える。おまけに、ボクがコーヒーをいれるために使っているのはillyのエスプレッソ・メーカーに、illyのカップ。illyの本拠地は、
ボクが先日訪れたTriesteにある。もちろん、Triesteのカフェには、illyのカップが数多くディスプレイされていた。illy collectionはマニアの間では高値で売買されるが、そのコレクションのなかにあって、ボクが尊敬する写真家Sebastiao Salgadoは流石だと思った。彼のデザインしたエスプレッソ・カップには、生産者の女性の後ろ姿と、生産者と思しき人の家屋の写真が絵柄にあしらわれている。イリーのサイトには、コーヒー発祥の地・エチオピアへの敬意を示していると説明されているが、それは違う。Salgadoは、エチオピアの貧困を写真で告発しているのだ。












 話を映画に戻す。作品では国際的な取り決めを行う場においてもアフリカ諸国が極めて不利な立場に置かれていることが告発される。問題の所在が明確になってもそれを解消することができないでいる。シンプルなようで、問題は複雑だ。「援助ではなく、公正な貿易で自立したいのだ。」この台詞は、現在の沖縄にも重なる。
 安くて良いものを求める、消費者の当然ともいえる心性が、過酷なまでの搾取に繋がっている事実。このことに愕然とする。近年、『ダーウィンの悪夢』や『いのちの食べ方』、『キング・コーン』など、食にかんするドキュメンタリーも多いが、これも観ておくべき一本である。あと、遺伝子組み換え食品について扱った『食の未来』という作品もある。どこかで、上映してくれないかな?上映できないなら・・・上映会を企画するしかないか。
 それはともかく、フェアトレードによるエスプレッソ用のカフェ・ポッドをネットで探してみたが、見あたらない。レギュラー用の60mmのものならあるが、エスプレッソ・メーカー用の44mmサイズがないのである・・・こうした商品の販売が求められる。
 邦題は「おいしいコーヒーの真実」。