24 mars 2009 

le journal de voyage:journal

 旅行は、ハプニングの連続である。
 卒業証書授与式を終えたボクは、ソッコーで空港に向かった。行くは大阪。嘉手納空港所属の米軍機と距離を確保するために、ボクを乗せた旅客機はやや低空飛行をした。一気に上空に昇らないためか、今朝着陸に失敗した貨物機の映像を見たからか、少し気分が悪くなった。
 約20分の遅延で大阪到着。大阪では空港近くのホテルが出すシャトルバスに乗るつもりが、逃してしまう。ホテルはシャトルバスで10分の距離だから、タクシー乗り場へ。オバチャンの運転手に、一応予想される金額を確認すると、4,000円かからない程度という。
 耳を疑った。
沖縄から大阪まで2時間ちかくかけてやってきて16,000円だったのに、10分のタクシーで4,000円?聞けば関空まで通じる橋を渡るのに、どうやら高いお金が設定されているとの由。危ういところであった。結局、40分待ってシャトルバスに乗る。
 ホテルは関空温泉ガーデンナントカという。温泉と銘打っているだけあって、期待して風呂場に向かう。
ホテルの提供する写真はなかなかの大浴場だったが、入ってみると随分と狭い。二枚の鏡に2セットのシャワーと蛇口。つまりマックス2人の浴場である。ボクは4人目の入浴者であった。
 二人は席に着き、一人は浴槽に浸かり、ボクはドアの前で、周囲を睥睨して立っていた。恐らく、座って体を洗っている二人には、首から下のボクのバディが鏡に反射していたに違いない。
 ほどなく三人は浴場を後にし、浴場はボクの天下に。これはこれで嬉しいものである。しかし、しばらくすると「もう入れ替えの時間ですので上がって下さい」との婆さんの声。後で知ったのだが、この関空温泉には大浴場と小浴場の二つがあり、この二つが男女の浴室として
時間帯に応じてスイッチするようである。
 広告の大浴場は間違ってはいなかったのである。
部屋に戻って早々にベッドに潜り込む。するとどうだ!肌の感触が全然違うではないかー!つるつる&しっとりなのである。温泉効果か、鏡の前に鎮座していた馬油ボディシャンプー、あるいは風呂上がりに塗ったクリームの顕れか。その感触を確かめるべく、我が手の平で胸や腰や顔を撫で回したぐらいなのである。恐るべし、関空温泉。
 翌朝、早起きして6時に大浴場に向かう。再び大浴場を独り占めと思いきや、3名の先客。老人ばかりである。それはそうだ。早起きは老人には敵わない。風呂上がり、再び備え付けのクリームを塗ろうとして、手がピタリと止まった。
 昨日、顔面に塗ったクリームは、かかと用のものだった。クリームのボトルには足の裏の絵が、あしらわれている。その効果を実感している身としては、そのクリームを拭い去るが躊躇われた。
 きっとボクは疲れているに違いない。旅の行方が案じられる初日であった。さて、そろそろ出発するか。

19 mars 2009 

Jabisen episode 5:journal

 三線のお稽古。ついに新人賞の課題曲・伊野波節に入った。やはり難しい。ゆったりしたテンポだからこそ、難しさを感じる。雅楽などの古典音楽もゆったりとしたリズムのものも多い。こうしたリズムが、祖先が親しんできたものなのかも知れない。
 しかし、西洋音楽が学校教育に取り入れられ、音階をドレミファで学ぶようになり、唱歌でさえ西洋音楽のメロディに取って代わり、さらに日常的に耳にするポップスも、古典音楽から離れたリズムを刻む。幼少の頃からこうした環境に置かれれば、日本や沖縄の古典音楽にかえって親しみを感じなくなってしまうのも、無理からぬことなのかも知れない。
 それはともかく、伊野波節の難しさは、音を奏でていない間の右手の動きも、きっちりと型があり、それを忠実に踏襲しなくてはならない点にある。一方で、こうしたことをクリアしていくことに、達成感を感じるのも事実である。三線をするようになって、楽器を操る人々への敬意がより強くなった。音楽を聴いても、その手の動きを想像するようになったし、アレンジにもより注意を払うようになった。音楽に対する接し方が少し変わった、ということか。

15 mars 2009 

J'ai dix-huit ans!:journal

 今、ボクの体型は20代前半当時に戻っている。三ヶ月で8kg、減量した。
 昨今、周囲の反応や体の軽さ、そして多機能体重計が示す数値によって変化を実感している。昨年購入したT製の体組成計には「体内年齢」という項目がある。これは体組成と基礎代謝の年齢傾向から割り出された体内の年齢のことのようだが、それによるとボクは「18歳」なのである。ショックである。選挙権もなく、酒も呑めない年齢である。この体組成計で体重を測り始めた時は21歳であったが、ベンジャミン・バトンよろしく一時は17歳に「達した」。同僚諸氏は異口同音に「機械が壊れている」と主張する。だが、ボクはT社に対して故障の要求を出す予定はない。
 それはともかく、ボクは如何にして減量し得たのか。畢竟、カロリー制限と快便、この2語に尽きる。あとは夜は7時までに食事を終え、食間は5時間半は空ける。酒好き、甘味好きでもあるが、甘い物は主に朝や遅くとも13時までにして昼の活動時間に燃やす。酒は糖類がなく総カロリーが結果的に少なくなる芋焼酎を呑んでいる。
 問題はこれを継続していくこと。筋力をつけて太りにくい体に改造しなくては。

11 mars 2009 

Jabisen episode 4:journal

 三線のお稽古。五回目の今回は、早口説、安波節の復習、かぎやで風の続きをし、道輪口説の続きを伝授してもらった。
 かぎやで風では歌の部分に入り、さらにボクにとっては新しい技・打ち音を学ぶ。これは左手で弦を押さえるだけで右手で弦を弾かないが、確かな音がするものである。
 道輪口説は2番と最後の8番だけがメロディが異なる。今回はこの部分も学んだので、あとは練習あるのみ。
ケータイのICレコーダーに先生の模範演奏を録音させて頂いたので聴き込まねば。
 先生から8月に新人賞のコンクールがある旨を伝えられている。ボクには野心が欠如しているのが、先生にとっては参加は自明のことのようだ。そこで昨日は課題曲である伊野波節を聴かせて頂いた。聴いてみて感じた。・・・こんなのボクにはできない。三線のテクニックが一通り入っている曲らしい。

06 mars 2009 

Jabisen episode 3:journal

 三線の四回目のお稽古。今回は早口説、安波節の復習を行ったあと、新しい曲「道輪口説(秋の踊り)」を練習する。この曲は工工四でいうところの八の音を出すことになるため、左手を定位置から離さなくてはならない。これがなかなか難しい。
 師範からよく指摘を頂くのは、指を早く動かしすぎること。弦を押さえる左指を次の音のために先走って動かしてしまうのだ。また、棹を支える親指がきちんと固定されず、時々持ち替えてしまうこと。
 それはともかく、「道輪口説(秋の踊り)」には紅葉、雄鹿、雁の初音などがうたわれ、本土の風景のようだ。この曲は耳にしたのも初めてだったし、いきなり歌詞も合わせて練習したので、ついて行くのに精一杯だった。

 実は2日前にウクレレを購入した。三線だけでなく、ウクレレもやりたくなったのだ。早速、チューニングしてポロロ〜ンとつま弾く。ネットで楽譜をゲットして、Moon Riverを弾く。メロディ部分だけだが、一曲弾くことができた。辿々しいが、達成感が得られる。さらに、今日はオーラ・リーをマスター。メロディに少しだけ伴奏を付けたものだが、やっぱり嬉しい。ウクレレ、うい奴よ。

03 mars 2009 

Jabisen episode 2:journal

 三線をはじめて三回目のお稽古。今回は早口説、安波節の復習と、かぎやで風の歌持ちを練習した。師範とone-to-oneで教わっているので、贅沢な時間を味わっている。
 だが、弟子の方は歌詞がうろ覚え。弾き語りになると途端に手元が覚束なくなる。歌唱と三線の双方に集中力が分散し、余裕を失うのだ。もちろん、歌も物理的に声を出しているだけとなる。
 前回のエントリーでは早口説の歌詞に言及した。メロディは改行の時点で次に移る。しかし、歌詞をよく読むと、1番の「新玉の」は2番の冒頭に繋がり、「てる月も」は「光輝く」、「吹く風も」は「枝をならさん」に連なっていく。最初は「枝をならさんこの御代」だと思い、「枝をならさん」とは何かの比喩かと調べたりもしていた。
 内容は一転して、最後の6番後半、7番、8番は意味的に一つのまとまりをなしている。こうした構成は歌の成立を考える上で、大変興味深い。

02 mars 2009 

Jabisen:journal

 三線を始めた。安冨祖流の金城武先生(もちろん俳優の彼ではない)に師事して、古典を学んでいる。学び初めて1週間。とにかく手を覚えるだけで四苦八苦。
 最初の課題曲は「早口説」。これは春の訪れを歌った歌だが、ラストは何とも味わい深い。萌えあがる自然の情景と、季節と人事の変転、世のはかなさを感じる。

早口説
 さても浮き世や小車の 巡り巡りて新玉の
 年立変はて春来れば 松も千草も色添えて
 梅も匂ひて花を咲く 庭の青柳糸たれて
 山はかすみて久方の 空も長閑にてる月も
 光り輝く四方の海 波も静かに吹く風も
 枝をならさん此の御代に 山に隠れて住む人も
 君に仕えん時を得て 花の都に皆出でて
 山の奥には住家なし・・・

 二回目のお稽古で早くも二曲目の課題曲「安波節」に入った。なかなか上達しないが、練習は楽しい。