13 octobre 2007 

Pot-pourri de Santa Maria Novella

 先週、大阪に出張に行った際、大丸でSanta Maria Novellaのポプリを買った。この一ヶ月は普段よりも多忙になるため、少し日常の楽しさを味わうためのアイテムが必要だと思い、ゲットした。これを部屋に置いているのだが、なかなか、いい。特に寝るときは枕元に移動させているのだが、この香りのせいかなのか、疲れのせいなのか判らないが、いつになく深い眠りが得られているように思う。この香り、ドミニコ会修道僧が作ったのが始まりだそうだが、どことなく土臭いような野性的な香りがあるのが、特徴的。普通のポプリとは違い、香りが重層的というか複合的でなんです。このポプリは4ヶ月から6ヶ月で交換するそうだが、オイルを付け足すという方途はないようである。そのため、新たに買い換えをしなければならないが、僕は迷わず、買い換えるだろう。

01 octobre 2007 

route 225:films

中村義洋監督のルート225を観た。
 ある日、姉が帰りの遅くなった弟を迎えに行くが、その弟とともに家に帰り着けなくなってしまい、家に帰っても両親が家から消えていた。これまで生活していた世界とは微妙に違う世界に戸惑いながら、姉弟は必死に両親のいる元いた世界に帰ろうと奮闘する・・・。
 いつもの帰り道を行くはずが海に出てしまったり、死んだはずの女の子が親しげに話しかけてきたり、ふとした一言で突然相手に強い感情を向けられてしまったり、高橋由伸が微妙に太っていたり・・・自分を取り囲む風景は何も変わらないのであるが、何かが決定的に違う世界。自分と周りとの違和感、とでもいうのだろうか。思春期にはこうした違和感を誰もが抱くのだろうか?少なくとも僕にはそうした経験はないが、こうしたファンタジックな設定を以て14歳のやや不安定な心境を表しているのだろう。そして、世界は自分が持っていた方には変わったり、元に戻ったりしないのだが、最後には自分がその世界に馴染んでいくことで、何とか適用していく。
 『千と千尋の神隠し』のように、突然に何事もなかったかのように元の世界に戻るわけではないところが、このストーリーの肝である。世界は自分の思うようには変わってはくれない。しかし、世界は確かに変わっていく。また、自分自信も成長とともに変わっていく。この世界に自分が存在しているという実感を誰しももつものなのかは分からないが、この映画で主人公たちや観客が味わうような世界に対する根拠不明な違和感というのは解消されていくのだろう(根拠が明かな違和感は増えるだろうが)。大人への成長を描く作品は数多いが、この作品は『千と千尋』のように労働を通じての成長ではない。両親の喪失を受け入れ、自らが世界に適応していく意志をもつことで、二人は成長していく。実際に両親を早くから失った子供たちは彼らと同様な経験をするのかもしれない。しかし、ふと思う。人は何らかのきっかけがあってはじめて成長するものなのだろうか。それがなければ大人になっていかないのだろうか・・・。題名のルート225は劇中の道路の名前としても使われているが、もちろん、その道を行ったり来たりしながら、15歳に到るまでのプロセスを表している。