4 luni, 3 saptamâni si 2 zile
Cristian Mungiu監督の4 luni, 3 saptamâni si 2 zileを観た。
1987年のルーマニア。ルームメイト・ガビツァの中絶のために奔走する大学生オティリアの一日を描いた作品。
この映画は一般に中絶の問題を扱ったものだととらえられるだろうが、中絶の是非に留まらず、出産の問題、セックスの問題、男女の問題、産むことをとりまく政策の問題、自由の問題、モラルの問題・・・多くのテーマを投げかける。
朝にむだ毛処理をしているガビツァの姿をみて、最初は合宿でもいくのか?といったノリに見えた。その後、中絶のための無機質で痛々しい器具が登場したあたりから、一気に緊張が高まった。闇で中絶を行う男とのやりとりで、当時のルーマニアで中絶が重罪に処せられること、中絶が極めて危険なことが明らかになる。江戸時代で「間引き」が行われたのは、中絶よりも産んでから殺す方が母体にとって安全であったことを考慮すると、闇で麻酔なしで中絶することの危険性は計り知れない。
オティリアの献身は胸を打つものがあるが、はからずもオティリアの孤独が浮き彫りになる。すべてオティリアまかせのルームメイト、セックスの後のことをしっかり考えてない彼氏、心の底でオティリアの出自をバカにしている彼氏一家・・・。「自分が妊娠したら、どうするの?」とオティリアに問いつめられてた彼氏の返答は、国籍を問わず世の一般男性の最大公約数的な答えなのだろう。
ガビツァは普通に出会っていれば、きっと愛らしい女の子なのだろう。しかし、彼女の嘘も、詰めの甘さも、甘え気質も現実逃避ゆえなのかも知れないが、23とは思えない未成熟ぶり。中絶に手作りのケーキは作ってくるが、大量出血に備えたビニールシートは忘れて来る。日本でも甘ったれてバカな女の子をカワイイと評価する向きもいるが、しかし、この映画では、救いようのない愚鈍にしか見えない。そして、その愚鈍さが不幸の温床になっている。
ラストシーン、暗闇の中で、すでに人と判る胎児の死体の捨て場所を探して、奔走するオティリア。ダクトを伝って胎児が落ちていく音は耳朶に残っているだろう。しかし、絶対安静のはずのガビツァは、あろうことかレストランで肉を注文している・・・。無神経というか逞しいというか。オティリアは部屋を出る前に、気を利かせてサラダはどうか?と尋ねていたことを考えると、相当に気を遣っていたはずである。堕胎した胎児も、バスルームの床にほったらかし。ガビツァをとらえた数々のシーンで、確信をした。ガビツァは同じ事を、またする。
この映画ではガビツァの相手が一度も出てこない。ガビツァばかりが責められるように作られているが、これは監督の意図によるものだろう。もっとも責められるべき人々が出てこない。映像で語られていることより、語られてない事柄にこの物語を読み解く鍵がある。
気になるカットが一つ。オティリアの嘔吐は緊張によるものか、妊娠の徴候なのだろうか。もし後者なら、ルームメイトはオティリアが彼女にしてあげたような献身を、オティリアにしてくれるだろうか?次に悪夢をみるのはオティリアなのかもしれない。あるいは、あの映画を観た、あるいは観てない女の子なのかもしれない。
日本でも、16歳から49歳の女性の6人に1人に中絶の経験があり、そのうち3割は2回以上経験しているそうだ。邦題は『4ヶ月、3週間と2日』この作品、特に中学生、高校生、大学生の男女全てに観て欲しいと思う。世の中はJUNOのような世界ではないのである。中絶に関する映画なら、『ヴェラ・ドレイク』もお薦め。
1987年のルーマニア。ルームメイト・ガビツァの中絶のために奔走する大学生オティリアの一日を描いた作品。
この映画は一般に中絶の問題を扱ったものだととらえられるだろうが、中絶の是非に留まらず、出産の問題、セックスの問題、男女の問題、産むことをとりまく政策の問題、自由の問題、モラルの問題・・・多くのテーマを投げかける。
朝にむだ毛処理をしているガビツァの姿をみて、最初は合宿でもいくのか?といったノリに見えた。その後、中絶のための無機質で痛々しい器具が登場したあたりから、一気に緊張が高まった。闇で中絶を行う男とのやりとりで、当時のルーマニアで中絶が重罪に処せられること、中絶が極めて危険なことが明らかになる。江戸時代で「間引き」が行われたのは、中絶よりも産んでから殺す方が母体にとって安全であったことを考慮すると、闇で麻酔なしで中絶することの危険性は計り知れない。
オティリアの献身は胸を打つものがあるが、はからずもオティリアの孤独が浮き彫りになる。すべてオティリアまかせのルームメイト、セックスの後のことをしっかり考えてない彼氏、心の底でオティリアの出自をバカにしている彼氏一家・・・。「自分が妊娠したら、どうするの?」とオティリアに問いつめられてた彼氏の返答は、国籍を問わず世の一般男性の最大公約数的な答えなのだろう。
ガビツァは普通に出会っていれば、きっと愛らしい女の子なのだろう。しかし、彼女の嘘も、詰めの甘さも、甘え気質も現実逃避ゆえなのかも知れないが、23とは思えない未成熟ぶり。中絶に手作りのケーキは作ってくるが、大量出血に備えたビニールシートは忘れて来る。日本でも甘ったれてバカな女の子をカワイイと評価する向きもいるが、しかし、この映画では、救いようのない愚鈍にしか見えない。そして、その愚鈍さが不幸の温床になっている。
ラストシーン、暗闇の中で、すでに人と判る胎児の死体の捨て場所を探して、奔走するオティリア。ダクトを伝って胎児が落ちていく音は耳朶に残っているだろう。しかし、絶対安静のはずのガビツァは、あろうことかレストランで肉を注文している・・・。無神経というか逞しいというか。オティリアは部屋を出る前に、気を利かせてサラダはどうか?と尋ねていたことを考えると、相当に気を遣っていたはずである。堕胎した胎児も、バスルームの床にほったらかし。ガビツァをとらえた数々のシーンで、確信をした。ガビツァは同じ事を、またする。
この映画ではガビツァの相手が一度も出てこない。ガビツァばかりが責められるように作られているが、これは監督の意図によるものだろう。もっとも責められるべき人々が出てこない。映像で語られていることより、語られてない事柄にこの物語を読み解く鍵がある。
気になるカットが一つ。オティリアの嘔吐は緊張によるものか、妊娠の徴候なのだろうか。もし後者なら、ルームメイトはオティリアが彼女にしてあげたような献身を、オティリアにしてくれるだろうか?次に悪夢をみるのはオティリアなのかもしれない。あるいは、あの映画を観た、あるいは観てない女の子なのかもしれない。
日本でも、16歳から49歳の女性の6人に1人に中絶の経験があり、そのうち3割は2回以上経験しているそうだ。邦題は『4ヶ月、3週間と2日』この作品、特に中学生、高校生、大学生の男女全てに観て欲しいと思う。世の中はJUNOのような世界ではないのである。中絶に関する映画なら、『ヴェラ・ドレイク』もお薦め。