30 juillet 2006 

A stranger of mine:film

内田けんじ監督の『運命じゃない人』を観た。
カンヌに出品していた作品だということは知っていたが、どのような作品か全く知らずに観た。最初の一段が終わった時、ほのぼのしたショートストーリーのオムニバスかと思いきや、ストーリーが進むにつれて驚きの展開に。決して派手な演出ではないが、よく作り込まれた脚本や何気ないカットが後々の複線になっていたり、最後まで楽しめる作品になっていた。実は今回の出演者はどれも見覚えのない役者たちで、名前と顔が誰も一致しないなんて自分の経験ではこんな作品も珍しいと思っていたら、宮田演じる主役は『恋は五・七・五』にも古池高校のキャプテンとして出ていたようだし、色々なCMに出ていることを後で知った。海外の映画祭は日本で有名な俳優が出ているかどうかというのは基本的には関係がないし、作品の質とは別問題である。この作品をみて、時には作品情報を仕入れずに見るのもいいもんだと思った。

29 juillet 2006 

Cinq Sept Cinq

荻上直子監督の『恋は五・七・五』を観た。
最初は「また青春ものか、DVDのジャケットもスウィング・ガールみたいだし・・・」と、あまり期待せず、最初はパソコンに向かいながらチラチラと画面をみてたが、冒頭の数分後は画面の前に移動してきっちり集中して観た。期待していなかったことを割り引いても凄くよかった。映画ではなかなかうまい!と思う俳句もあり、観ている途中や観た後に一句もひねってみようかと思わせるような映画であった。まあ、青春映画にありがちな「努力・友情・勝利」との方程式や最後はhappy endingになる点などはお決まりすぎるきらいもあるが、題材に俳句を選ぶ斬新さやストーリーの運び方は監督の力量がなければ成功しなかったかもしれない。しかし、驚いたのは句会のシーン。一般的な句会というのがどういうものかは知らないが、結構、あれはエゲツナイものなんだという印象。何せ相手の句を巧妙にケチをつけて貶めるのだから。

27 juillet 2006 

Sauté de huitres à la sauce d'huitre:journal

 ノロウイルス騒動で牡蠣の卸売価格が暴落しているというニュースに接した。このニュースを聞きつけてさぞかし牡蠣が安くなっているかと思いきや、スーパーでは普段と同じ値段であった。しかし、牡蠣を食べることに執着していた僕は結局購入することに。そして作ったのが「牡蠣のオイスターソース炒め」である。これは僕の冬の定番となっているが簡単なのでここで紹介しよう。
 1,牡蠣を洗い、ペーパータオルで水分をよくとる。
 2,塩、オイスターソース、オリーブオイルの順に絡める。
 3,フライパンで1分ほど焼く。焼くというより、火を通すという感じだろうか?
 オリーブオイルは気持ち多めに使うのがコツ。からませたオイルが牡蠣の内部に残っていた水分を逃さずにふっくらとしたできあがりになる。つまみに最適なので風評被害など気にせず是非どうぞ。

03 juillet 2006 

ALLEZ! NAKATA!

 中田英寿選手が現役引退を表明した。日本代表は引退するとは思っていたが、サッカー選手もやめてしまうとまでは思ってもみなかった。「走らなければサッカーにならない」彼のシンプルで力強い主張は日本代表の次期監督と目されるイビチャ・オシムの考え方と共振して次の代表の大きな支柱になると夢想していただけに、やはり残念でならない。攻撃も守備も丸投げ状態の長嶋的ジーコ・ジャパンのなかで、彼が果たした役割は非常に大きかった。経験があるとはいえ、監督でもキャプテンでもない彼には代表を引っ張っていくのはあまりにも負担が大きすぎたように思う。そのため、動かない・守備ができない、だけど得点チャンスを生み出す中村俊輔との共存問題で自己犠牲的に彼が攻撃的なポジションから一歩引かざるを得なかった状況は僕にしてみれば極めて遺憾であった。思えば彼のプレイをもっとも理解したのはカルロ・マッツォーネ監督だったと思う。そして、ボランチとしての能力を見いだした世界で五指に入るファビオ・カペッロ監督、そして選手としての才能を見いだした植木繁晴も彼のキャリアのなかでは重要な監督だった。しかし、個人的にはアルセーヌ・ヴェンゲル監督の下でプレイして欲しかった。彼の美しいパスワークによるスピード溢れるサッカーに中田がどのように組み込まれるのか、いつも夢のように思い浮かべていた。これも心残りの一つである。
 今日、CSの「蹴球源流」という番組で岡野サッカー協会前会長は、日本代表の問題はコミュニケーションなんだと言っていた。これはサッカーだけの問題ではなく、特に今の若い者たちの間に普遍的に観られる現象であるという。相手を尊重し、意見をぶつけ、協調しながら最高のものを作り出していく。我々も含めてこうしたことを感情的なしこりを残さず行うことがなかなかできない。日本代表にも同様の問題が存在すると番組では示唆していた。想像するにいつも中田選手は日本代表の中の「日本的なコミュニケーション」で苦しんでいたのではないだろうか?それでもやはり次のワールドカップまでやはり必要な選手だったのだと思う。かえすがえす、残念だ。前にも書いたが、論理的思考力、戦術構成力、試合の流れを読む力、そして彼の精神的な強さと繊細さ、そして何よりも圧倒的存在感は監督向きだ。いい指導者になってほしいと切に願う。
 次代の日本代表の姿が全く見えない今、一つの時代が終わった。

01 juillet 2006 

Le ridicule tue!