David Cronenberg監督のA History of Violenceを観た。 Tom Stallは弁護士の妻と二人の子供と幸せな生活を送っていた。ある日、彼の喫茶店に強盗が入り、彼らを鮮やかに退治したことから街のヒーローとして全国ニュースに載ってしまう。しかし、それから彼の周りに彼の過去を知るという男たちが付きまとうようになる・・・。 思ってもみなかったことから隠し続けてきた過去の所行が知られてしまう。過去を封印して新たな自分として生きることはできないのだろうか?夫の過去を知っても、妻は愛を貫けるのか?こうした面白いテーマを含む作品として非常に期待していたが、呆気ないラストにガッカリ。そこで終わり?これからが映画の見せ場なのに、という気持ちが抑えられなかった。 この作品でアメリカだなーって思ったシーンがあった。Tomが働いていた喫茶店は事件前はそれほど繁盛しているようには見えなかったが、事件後には客で満員になったこと。正当防衛とはいえ人が二人も銃殺された現場である。私なら心情的には喜んで足を運ぶような気分にはちょっとなれない。カナダ人監督としてはこの辺はひっかからなかったのだろうか?
Giuseppe Piccioni監督のLuce dei miei occhiを観た。 ハイヤー運転手の青年Antonioは猫を探して飛び出してきた少女Lisaリーザを轢きそうになる。そこで彼女の母・Mariaと知り合う。Mariaは冷凍食品のお店を一人で切り盛りしながら、娘を育てているが、彼女に惹かれるAntonioの行為を素直に受け入れられない・・・。 SF小説が好きで純真な心をもつAntonioが何とかしてMariaの肩の荷を下ろしたいと必死になるが、Mariaは心を閉ざして頑なになるばかり。彼女から出る言葉はどれも彼女の内面の荒んだ様子を表すようで、いつも硬い表情を崩さない姿に心が痛む。こうした女性像はある意味リアリティがあるが、一方のAntonioは不思議な存在である。客や同僚の話に耳を傾け相づちを打つ聡明さと、一途なまでにMariaを思い、危険な道に入っていってしまう無防備さが同居している。そんな二人の仲立ちをするのが娘のLisaである。どのキャラクターも自然で、非常に丁寧に形作られている。結局は全てを失った時にしかMariaはAntonioを受け入れることができないが、こうした彼女をずるく感じたが、きっと現実というのはそういうものなのだろう。Cinefil Imagicaの5月はイタリア映画の特集をしている。こうした作品を観られるのはやはり嬉しい。邦題は『ぼくの瞳の光』。
LOST SEASON1・全22話を観た。 シドニー発の旅客機が太平洋上の島で墜落した。生存者は48名。国籍も人種も違う彼らはその島で生きていくことを余儀なくされる。 ここのところ唯一観ているテレビ・ドラマ。このごろは日本のドラマは観なくなった。役者の大げさな演技や不自然に説明的な台詞、ヘンテコなセットや演出方法が気になるからだ。一言でいうなら、質が悪い。LOSTとて、リアリティを欠くような設定も多いが、次の展開が気になってついつい観てしまう。生存者の過去がflashbackする手法もなかなか見せる。気になる点としては、主要キャストは十数人程度なのに、48名も生き残っている物語の必要性が感じられないこと(死ぬためだけに出演する生存者もいるので、多いと何かと使い捨てにできるからか?)。無線にも引っかからない島なのに、巨大なハッチがあったり、奴隷船が座礁していたり、セスナが墜落したり、巨大なモンスターみたいな生物がいること。48名が何を食べ、どのように生きているか分からないのに、誰も痩せていかないこと。こんな無人島なのにアメリカのように銃社会で、事故や病気と同じぐらい銃で人が死ぬこと(笑) こうした興ざめするような設定も多いが、ずるずると観てしまう。特にシーズン1のラストはかなり衝撃的であった。シーズン2への繋げ方は非常にうまい。やっぱり次のシリーズも観てしまうのだろう。悔しいけど。
Roman Polanski監督のThe Ninth Gateを観た。 世界のレアな本を転売することを商売にしている男・コルソ。ある富豪がコルソに一つの依頼をする。彼が自らが所有している悪魔の祈祷書"The Nine Gates of the Kindgom of the Shadowsが"偽物ではないかと疑いをもっているため、残りの2冊と比較検討してほしいとのこと。ニューヨークからフランス、ポルトガルと祈祷書を追って旅するコルソだが、異本の所有者が次々と殺されてしまう・・・。 僕は仕事柄、洋の東西を問わずレアな本を手にとることも多い。時にそれが天下の孤本ということもある。こうした本を目の前にした時、少なからず緊張を感じるし、その扱いには細心の注意を払う。しかし、ジョニー・デップはブランデーを飲みながら、煙草をプカプカ吹かしながら、髪の毛をかき上げながらクールに「校勘」し、布製バッグに無造作に本を入れて持ち運んでいる。さらに、17世紀の書籍ならどんなに保存状態がよくてもコピーすればクビが折れる心配もあるが、それも意に介せずコピー機に本を押しつける!オイオイ、稀覯書のバイヤーならもっと書籍の扱い方を知っていてもよさそうなもんだろう!とツッコミを入れたくなる。 話を映画に戻そう。この映画はサスペンスということなのだろうが、途中から悪魔が存在するという前提でストーリーが進んだり、普通っぽかった女性が宙に浮いて移動したりしたので、前半と後半では物語の質が変わってしまったような違和感を覚える。結果的に残された三つの書籍はどれも本物で三冊がそろってはじめて真価を発揮するものであるが、こうした設定も何となく必然性が薄い。不明な点も多いが、もう一度見直すまでもない作品のような気がする。Polanskiの映画だと思ったが、残念ながらハズレである。Johnny Deppが好きな向きには期待を裏切らないかも知れない。この映画でも適度に三枚目を演じています。
Krzysztof Kieslowski監督のLa Double Vie de Véroniqueを観た。 ポーランドで一人の女性ヴェロニカが舞台の上で突然、絶命する。その時、パリでは同じ名前、同じ音楽の才能をもつヴェロニカが得も言われぬ喪失感に襲われる・・・。 この映画は二人の不思議な縁を描く寓話である。ほぼ全編、徹頭徹尾Irène Jacobの耽美的なカットが続く。しかし、ずっと観ていても飽きない不思議な魅力が彼女にはある。彼女の魅力を何と表現したらいいのだろう。美しいが、近寄りがたい雰囲気ではない。自然体で柔らかく、内面の安定を感じる。監督はよっぽど彼女に惚れ込んでいたのだろう。Irène Jacobの魅力がこの作品を支えていると言っても過言ではない。途中、バレエダンサーが死に、蝶々として生まれ変わるマリオネット劇が挿入される。それはまさにヴェロニカそのものであり、その劇を仲立ちとしてポーランドのヴェロニカの恋人が、パリのヴェロニカに出会うことになる。こうした演出は巧みである。グリーンと琥珀色を基調にするが、それはVéroniqueの眼の色と髪の色を表している。さらにVéroniqueの生まれた年は実際にIrène Jacobの生まれた年に合わせている。つまり、この作品は画面全体が彼女一色なのだ。彼女を堪能したい向きには最高の一本である。特定の色にこだわった映像作りはトリコロール三部作に引き継がれているが、監督がこうした映像を撮りだしたのはこの作品からではないだろうか?邦題は『二人のベロニカ』。
オル・ヘルボム監督のRASMUS PÅ LUFFENを観た。 孤児院で暮らすいたずらっ子のラスムスは、里親を待つ日々をあきらめてやさしい里親になる両親を捜すために孤児院を飛び出す。そして、陽気なアコーディオン弾きの風来坊・オスカルと旅に出るが・・・ 何かと思ったら童話でった。自然豊かなスエーデンを舞台にオスカルとラスムスの旅はつづく。ラスムスが孤児院からいなくなったのに、孤児院は彼を捜している風情もないし、設定としてはちょっと無理があるが、童話の中の子供の冒険譚だと思えば別に腹も立たない。お子様向けとしてはいい映画だと思ったが、ハリー・ポッターやロード・オブ・ザ・リング、ナルニヤ国物語などのCG作品に慣れきった子供だったら、退屈してしまうだろう。スェーデン映画をみるたび、映画のロケ地に行きたくなる。それだけいつも美しい緑と湖がみられる。邦題は『ラスムスくんの幸せをさがして』
Eric Rhomer監督のConte d'étéを観た。 就職を直前に控え、学生生活最後のバカンスでBretagne地方のDinardにやってきたGaspard。彼はここで恋人と落ち合いVessin島へ行くため、一足早くここに到着した。そこでレストランで働く女の子と出会う・・・。 バカンス先で三人の女の子に翻弄される若者を描く。ズバズバと意見を言う三人の女の子たちにタジタジになりながら、どの女の子にも曖昧な態度をとりつづける男。彼の優柔不断さ加減に笑ってしまう。Gaspardという男、行き当たりばったり対応で周囲を困惑させ、自らも追い込んでしまうが、なんだか憎めない。女の子たちもワガママだったり、融通がきかなかったり、頑固だったりするので、心情的にはある意味不器用でお調子者の彼を擁護したくもなる。バカンス・シーズンを扱った作品だけあって、役者も台詞もなんだか余計な力が抜けており、ほどよい脱力加減。物語自体は他愛のないものだが、一昨年の夏に訪れたSaint Maloの浜辺を懐かしく思い出した。 主人公のMelvil PoupaudはFrançois Ozon監督の最新作"Le temps qui reste"邦題『僕を葬る』でかなりシリアスな役を演じることになるが、どういう風になっているんだろう・・・。
Cristina Comencini監督のVa' dove ti porta il cuore を観た。 マルタは唯一の肉親である祖母がイタリアの実家でなくなったことを知り、祖母と自分が育った家に戻ってくる。そこで彼女は祖母がオルガに宛てたノートを発見する。そこには彼女の知らなかった祖母の人生と心の内が綴られていた。 家族といえども身内の全てを知るわけではない。案外上の世代の若かりし頃のことは知らないものである。子供だったマルタにはうかがい知れなかった祖母の人生。子供時代、悲しい結末に終わった不倫の恋、早くに死んでしまった娘・イラリアの問題と不和。呆気なくアメリカに去っていった孫娘。多くの葛藤のなかで孤独に生き、孤独のなかで死んでいった祖母。そうした彼女の人生の全てを託した孫へのメッセージは重く、愛情に溢れた言葉は人の心をうつ。お薦め。NIKITAやUn long dimanche de fiançaillesに出演していたTchéky Karyoが若かりし祖母の恋人役を演じ、器用にイタリア語を話していたのには驚き。邦題は『心のおもむくままに』。