26 mai 2006 

Beau-Pere et fils

面白い記事を見つけた。サザエさんの波平とマスオの関係を記したものである。
こうした調査記事はなかなか興味深い。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091148496563.html

14 mai 2006 

Divorce du grand âge :journal

ある番組で次のテーマでランキングを発表していた。それは「私がダンナと別れた本当の理由ベスト100」。熟年離婚を選んだ妻の理由だそうだ。こうしてみてみると、トップ10はまあ、ありがちな理由だ。
1位 家事を手伝わない
2位 暴言
3位 甲斐性がない
4位 夫の浮気
5位 酒癖が悪い
6位 夫の暴力
7位 借金
8位 夫の介護への不安
9位 会話がない
10位 夫以外に好きな人ができた

2位の暴言は自分に対してだけではなく、他人に対する暴言というのも含まれるようだ。5位に関しては、最近は夫側の離婚原因として妻のアルコール依存症も増えているとのこと。8位は介護状態になる前に離婚しておこうという前倒し離婚があるという。10位はネットの普及で出会いの機会が増えたことが要因になっているという分析が。しかし、トップは家事。単に手伝わないということ以外に、ここには家事に対する考え方の違いに埋めがたい溝が夫婦間にあるのではないだろうか?なーんだと思う向きもあるかもしれないが、結婚において、日常というのはやはり重いのである。あと、番組のなか驚いたのは熟年離婚した男性の平均余命が10年ほど短くなるという統計。この数字が果たしてどれだけ信憑性があるかは怪しいものだ。長生きしないような生活を送っている人が離婚に至るという可能性も否定できないからだ。それはさておき、仮にこうした傾向があるなら、何故そうなるのだろう?一人になると食事の自己管理ができなくなり、体調悪化を来すのだろうか、それとも・・・・。

13 mai 2006 

A History of Violence:film

David Cronenberg監督のA History of Violenceを観た。
Tom Stallは弁護士の妻と二人の子供と幸せな生活を送っていた。ある日、彼の喫茶店に強盗が入り、彼らを鮮やかに退治したことから街のヒーローとして全国ニュースに載ってしまう。しかし、それから彼の周りに彼の過去を知るという男たちが付きまとうようになる・・・。
 思ってもみなかったことから隠し続けてきた過去の所行が知られてしまう。過去を封印して新たな自分として生きることはできないのだろうか?夫の過去を知っても、妻は愛を貫けるのか?こうした面白いテーマを含む作品として非常に期待していたが、呆気ないラストにガッカリ。そこで終わり?これからが映画の見せ場なのに、という気持ちが抑えられなかった。
 この作品でアメリカだなーって思ったシーンがあった。Tomが働いていた喫茶店は事件前はそれほど繁盛しているようには見えなかったが、事件後には客で満員になったこと。正当防衛とはいえ人が二人も銃殺された現場である。私なら心情的には喜んで足を運ぶような気分にはちょっとなれない。カナダ人監督としてはこの辺はひっかからなかったのだろうか?

12 mai 2006 

Luce dei miei occhi:film

Giuseppe Piccioni監督のLuce dei miei occhiを観た。
ハイヤー運転手の青年Antonioは猫を探して飛び出してきた少女Lisaリーザを轢きそうにな
。そこで彼女の母・Mariaと知り合う。Mariaは冷凍食品のお店を一人で切り盛りしながら、娘を育てているが、彼女に惹かれるAntonioの行為を素直に受け入れられない・・・。
 SF小説が好きで純真な心をもつAntonioが何とかしてMariaの肩の荷を下ろしたいと必死になるが、Mariaは心を閉ざして頑なになるばかり。彼女から出る言葉はどれも彼女の内面の荒んだ様子を表すようで、いつも硬い表情を崩さない姿に心が痛む。こうした女性像はある意味リアリティがあるが、一方のAntonioは不思議な存在である。客や同僚の話に耳を傾け相づちを打つ聡明さと、一途なまでにMariaを思い、危険な道に入っていってしまう無防備さが同居している。そんな二人の仲立ちをするのが娘のLisaである。どのキャラクターも自然で、非常に丁寧に形作られている。結局は全てを失った時にしかMariaはAntonioを受け入れることができないが、こうした彼女
ずるく感じたが、きっと現実というのはそういうものなのだろう。Cinefil Imagicaの5月はイタリア映画の特集をしている。こうした作品を観られるのはやはり嬉しい。邦題は『ぼくの瞳の光』。

11 mai 2006 

Bombay Sapphire:journal

沖縄もここ最近は雨が多いせいか、晴れてもどこか蒸し暑い。晩酌も少し清涼感があるものが欲しくなる。そこで、とりあえずボンベイ・サファイアを買った。自分の記憶と結びついているせいか、このジンは夏の香りをもつ。どんなお酒も基本的にはストレートで飲むが、ジンはバリエーションが楽しめる。ベルモットのNoilly Prat Dryを加えてドライ・マティーニにもできるし、ライムを搾ってギムレットにしてもいい。オレンジ・ブロッサムなど柑橘系なら割に何でも合う。辛めのジンジャー・エールなら飲みやすい。・・・ジンはもともと薬として飲用されたが、飲み過ぎには気をつけなければ・・・。

10 mai 2006 

LOST SEASON1:journal

LOST SEASON1・全22話を観た。
シドニー発の旅客機が太平洋上の島で墜落した。生存者は48名。国籍も人種も違う彼らはその島で生きていくことを余儀なくされる。
ここのところ唯一観ているテレビ・ドラマ。このごろは日本のドラマは観なくなった。役者の大げさな演技や不自然に説明的な台詞、ヘンテコなセットや演出方法が気になるからだ。一言でいうなら、質が悪い。LOSTとて、リアリティを欠くような設定も多いが、次の展開が気になってついつい観てしまう。生存者の過去がflashbackする手法もなかなか見せる。気になる点としては、主要キャストは十数人程度なのに、48名も生き残っている物語の必要性が感じられないこと(死ぬためだけに出演する生存者もいるので、多いと何かと使い捨てにできるからか?)。無線にも引っかからない島なのに、巨大なハッチがあったり、奴隷船が座礁していたり、セスナが墜落したり、巨大なモンスターみたいな生物がいること。48名が何を食べ、どのように生きているか分からないのに、誰も痩せていかないこと。こんな無人島なのにアメリカのように銃社会で、事故や病気と同じぐらい銃で人が死ぬこと(笑)
こうした興ざめするような設定も多いが、ずるずると観てしまう。特にシーズン1のラストはかなり衝撃的であった。シーズン2への繋げ方は非常にうまい。やっぱり次のシリーズも観てしまうのだろう。悔しいけど。

 

The Ninth Gate:film

Roman Polanski監督のThe Ninth Gateを観た。
世界のレアな本を転売することを商売にしている男・コルソ。ある富豪がコルソに一つの依頼をする。彼が自らが所有している悪魔の祈祷書"The Nine Gates of the Kindgom of the Shadowsが"偽物ではないかと疑いをもっているため、残りの2冊と比較検討してほしいとのこと。ニューヨークからフランス、ポルトガルと祈祷書を追って旅するコルソだが、異本の所有者が次々と殺されてしまう・・・。
 僕は仕事柄、洋の東西を問わずレアな本を手にとることも多い。時にそれが天下の孤本ということもある。こうした本を目の前にした時、少なからず緊張を感じるし、その扱いには細心の注意を払う。しかし、ジョニー・デップはブランデーを飲みながら、煙草をプカプカ吹かしながら、髪の毛をかき上げながらクールに「校勘」し、布製バッグに無造作に本を入れて持ち運んでいる。さらに、17世紀の書籍ならどんなに保存状態がよくてもコピーすればクビが折れる心配もあるが、それも意に介せずコピー機に本を押しつける!オイオイ、稀覯書のバイヤーならもっと書籍の扱い方を知っていてもよさそうなもんだろう!とツッコミを入れたくなる。
 話を映画に戻そう。この映画はサスペンスということなのだろうが、途中から悪魔が存在するという前提でストーリーが進んだり、普通っぽかった女性が宙に浮いて移動したりしたので、前半と後半では物語の質が変わってしまったような違和感を覚える。結果的に残された三つの書籍はどれも本物で三冊がそろってはじめて真価を発揮するものであるが、こうした設定も何となく必然性が薄い。不明な点も多いが、もう一度見直すまでもない作品のような気がする。Polanskiの映画だと思ったが、残念ながらハズレである。Johnny Deppが好きな向きには期待を裏切らないかも知れない。この映画でも適度に三枚目を演じています。

09 mai 2006 

UMINEKO:film

森田芳光監督の『海猫』を観た。
銀行で働くロシアと日本のハーフである薫は、無骨な漁師の邦一のもとに嫁ぐ。家業を手伝い、漁師の一家になんとか溶け込もうとする。しかし、次第に夫の弟である広次に惹かれていく。
 田舎町の閉塞感が画面から漂ってくるようで、嫁としてはかなりツライ環境。しかも、夫が看護婦と浮気をしているとなれば、嫁は単なる「従業員」となってしまう。薫がだんだん可哀想な状況になっていくのをみるうちに、こんなだったら漁村の嫁不足は必然だなーと全然関係ないことを思いながら観た。薫が夫の弟に惹かれていくのも、セックスシーンをみていれば必然だと思う。どんな台詞よりも雄弁である。そもそも、薫はどうして兄と結婚したのか?そこには彼女の主体性の欠如と見通しの甘さがあったのだろうが、自己評価が低く、自分に自信の持てない彼女自身の性格が災いしているように思う。伊東美咲は彼女なりに頑張っていたと思う。彼女自身はこの作品で女優としてステップ・アップしたかったのではないだろうか?しかし、彼女は良くも悪しくも売れっ子である。思い切った演技をするには制約が多かったのだろうか?もしそうなら気の毒な話である。演技自体は局面、局面でぎこちなさと不自然さが残る。
今後に期待したい。

08 mai 2006 

La Double Vie de Véronique:film

Krzysztof Kieslowski監督のLa Double Vie de Véroniqueを観た。
ポーランドで一人の女性ヴェロニカが舞台の上で突然、絶命する。その時、パリでは同じ名前、同じ音楽の才能をもつヴェロニカが得も言われぬ喪失感に襲われる・・・。
 この映画は二人の不思議な縁を描く寓話である。ほぼ全編、徹頭徹尾Irène Jacobの耽美的なカットが続く。しかし、ずっと観ていても飽きない不思議な魅力が彼女にはある。彼女の魅力を何と表現したらいいのだろう。美しいが、近寄りがたい雰囲気ではない。自然体で柔らかく、内面の安定を感じる。監督はよっぽど彼女に惚れ込んでいたのだろう。Irène Jacobの魅力がこの作品を支えていると言っても過言ではない。途中、バレエダンサーが死に、蝶々として生まれ変わるマリオネット劇が挿入される。それはまさにヴェロニカそのものであり、その劇を仲立ちとしてポーランドのヴェロニカの恋人が、パリのヴェロニカに出会うことになる。こうした演出は巧みである。グリーンと琥珀色を基調にするが、それはVéroniqueの眼の色と髪の色を表している。さらにVéroniqueの生まれた年は実際にIrène Jacobの生まれた年に合わせている。つまり、この作品は画面全体が彼女一色なのだ。
彼女を堪能したい向きには最高の一本である。特定の色にこだわった映像作りはトリコロール三部作に引き継がれているが、監督がこうした映像を撮りだしたのはこの作品からではないだろうか?邦題は『二人のベロニカ』。

07 mai 2006 

UZAK:film

Nuri Bilge Ceylan監督のUZAKを観た。
イスタンブールでカメラマンをしている中年独身男メフメットのもとに遠い親戚の男ユスフが訪ねてくる。ほぼ村全体が不況で失業者となってしまったため、職を求めてやってきたのだった。しかし、彼らの生活はすれ違うばかり。お互いにコミュニケーションをとろうとするのだが・・・。
 熱い理想をもってカメラマンを志したが、今は現実のまえに仕事への情熱さえ失っている男・メフメット。彼は誰にも頼らず、満足はしないながらも一人で今の生活を手にした男だ。そんな男が甘い見通しのもとに都会にやってきて、職探しはほどほどに女の子の後ろばかりを追いかける日常を過ごす若者を疎ましく思いながらも、不運に見舞われた親戚として邪険にもできないでいる。自立しながらも孤独に過ごす中年男と依存心と甘えが抜けない若者。対照的な二人の共同生活をカメラは淡々と写していくが、次第に二人の間で緊張感が高まっていく。メフメットの溜めていた不満が爆発するのが、散らかった荷物だったり、煙草の灰であったり、トイレの流し忘れだったりする。日常とはそういうものなのだ。
大きなエピソードはないし、彼らは決定的に不幸ではないが、中年男の孤独な風景は非常にリアルだ。黙って去っていったユスフが残した煙草を吸いながら、メフメットは何を思ったのだろうか?清々した気持ちか、はたまた一抹の寂しさか。ラストの表情はそうした疑問と余韻を残している。この作品はカンヌ映画祭で審査員特別グランプリと主演男優賞を獲得している。かくも高い評価を受けたのも頷ける。因みにこのときのPalme d'OrはGus van SantのELEPHANT。邦題は『冬の街』。原題は「距離」の意。

 

Rentier:journal

ツタヤの男性誌コーナーで立ち読みをしていたら、『ランティエ』という雑誌が目に留まった。ランティエってRentierのこと???(つまりフランス語で「年金生活者」の意)ということで、雑誌をめくってみたら水無月の特集は「巻頭写真展 男たちの動物園」・・・えっ?と、このセンスに度肝を抜かれる。さらに特集は「俺の好きな酒、一本」というもの。どうもこのコンセプトは50代、60代向けレオンのようだ。また、魂の一行詩なるコーナーがあり、「立春の大きな卵割つてをり」というちょっと「魂の〜」とはかけ離れた無害な詩が乗っていた。なんと言ってもこの表紙、笑ってしまうほど渋い(笑)

06 mai 2006 

pepe chair:journal

GW。映画ばかり観ていて、普段と変わらない生活になってしまったので家具の手入れをした。この一年、全くメンテナンスをしていなかったので多少の必要性を感じていた。特に必要なのはMurasawa Kazuteruデザインのpepe chair。客人が来たときにエキストラ・チェアとして使っているが、普段は使っていないためか、やや木にツヤがない。そこで蜜蝋ワックスを塗ったら、まあ滑らかな感じになった。この椅子、軽くてデザインも気に入って買ったのだが、不満な点もある。肝心の座る部分のクッションが粗悪なのだ。使用されているウレタンに殆ど反発力がないため、木の板に座っている感じがする。何度もウレタンを交換してカバーを張り替えることを考えたが、作業が面倒なのと普段使っていないのとで放置されている。この椅子は2005年のGOOD DESIGN賞を受賞したからか、最近は使用木材の種類やシートの材質や色も選べるようになっているようである。自分が買った時は受賞前で、それほどの知名度はなかったので、木材もシートも一種類しかなかった。それがちょっと、悔しい。木製家具というのは生き物と同じである。メンテナンス次第で寿命も愛着も違ってくる。ワックスは多少臭いが、ちゃんとメンテしよう!

 

Son frère:film

Patrice Chéreau監督のSon frèreを観た。
お互いの人生に背を向けてきた兄弟。ある日、兄トマは血小板が破壊されるという不治の病に冒され、弟リュックに看病を頼む。確実に死に近づいていく兄を看て、二人の関係は緩やかに変わっていく。
 残酷なまでに死におかされていく兄と兄の痛みを我が事のように分かち合う弟。なぜ彼ら二人が疎遠になったのかが物語が進行するにつれて明らかになる。精神の宿った肉体が、病院の治療の場では一つのオブジェのように扱われ、またそのように扱わざるを得ない現場。長い時間、死に直面しながらこうしたテーマにありがちな感傷は極力抑制されている。病魔に侵される兄と健康な弟。ヘテロの兄とゲイの弟。対照的な二人が静かに、静かに和解をしていく。しかし、お互いを認め合う頃には死が二人を分かつことになる。Bretagneの海に入っていく兄の姿を切り取ったラスト・シーンは秀逸。エリック・ロメールの『夏物語』とは全く違ったBretagneの姿をみせる。邦題は『ソン・フレール-兄との約束-』

05 mai 2006 

RASMUS PÅ LUFFEN:film

オル・ヘルボム監督のRASMUS PÅ LUFFENを観た。
孤児院で暮らすいたずらっ子のラスムスは、里親を待つ日々をあきらめてやさしい里親になる両親を捜すために孤児院を飛び出す。そして、陽気なアコーディオン弾きの風来坊・オスカルと旅に出るが・・・
 何かと思ったら童話でった。自然豊かなスエーデンを舞台にオスカルとラスムスの旅はつづく。ラスムスが孤児院からいなくなったのに、孤児院は彼を捜している風情もないし、設定としてはちょっと無理があるが、童話の中の子供の冒険譚だと思えば別に腹も立たない。お子様向けとしてはいい映画だと思ったが、ハリー・ポッターやロード・オブ・ザ・リング、ナルニヤ国物語などのCG作品に慣れきった子供だったら、退屈してしまうだろう。スェーデン映画をみるたび、映画のロケ地に行きたくなる。それだけいつも美しい緑と湖がみられる。邦題は『ラスムスくんの幸せをさがして』

04 mai 2006 

Conte d'été:film

Eric Rhomer監督のConte d'étéを観た。
就職を直前に控え、学生生活最後のバカンスでBretagne地方のDinardにやってきたGaspard。彼はここで恋人と落ち合いVessin島へ行くため、一足早くここに到着した。そこでレストランで働く女の子と出会う・・・。
 バカンス先で三人の女の子に翻弄される若者を描く。ズバズバと意見を言う三人の女の子たちにタジタジになりながら、どの女の子にも曖昧な態度をとりつづける男。彼の優柔不断さ加減に笑ってしまう。Gaspardという男、行き当たりばったり対応で周囲を困惑させ、自らも追い込んでしまうが、なんだか憎めない。女の子たちもワガママだったり、融通がきかなかったり、頑固だったりするので、心情的にはある意味不器用でお調子者の彼を擁護したくもなる。バカンス・シーズンを扱った作品だけあって、役者も台詞もなんだか余計な力が抜けており、ほどよい脱力加減。物語自体は他愛のないものだが、一昨年の夏に訪れたSaint Maloの浜辺を懐かしく思い出した。
 主人公のMelvil PoupaudはFrançois Ozon監督の最新作"Le temps qui reste"邦題『僕を葬る』でかなりシリアスな役を演じることになるが、どういう風になっているんだろう・・・。

03 mai 2006 

Va' dove ti porta il cuore:film

Cristina Comencini監督のVa' dove ti porta il cuore を観た。
マルタは唯一の肉親である祖母がイタリアの実家でなくなったことを知り、祖母と自分が育った家に戻ってくる。そこで彼女は祖母がオルガに宛てたノートを発見する。そこには彼女の知らなかった祖母の人生と心の内が綴られていた。
 家族といえども身内の全てを知るわけではない。案外上の世代の若かりし頃のことは知らないものである。子供だったマルタにはうかがい知れなかった祖母の人生。子供時代、悲しい結末に終わった不倫の恋、早くに死んでしまった娘・イラリアの問題と不和。呆気なくアメリカに去っていった孫娘。多くの葛藤のなかで孤独に生き、孤独のなかで死んでいった祖母。そうした彼女の人生の全てを託した孫へのメッセージは重く、愛情に溢れた言葉は人の心をうつ。お薦め。NIKITAやUn long dimanche de fiançaillesに出演していたTchéky Karyoが若かりし祖母の恋人役を演じ、器用にイタリア語を話していたのには驚き。邦題は『心のおもむくままに』。

02 mai 2006 

BLOW DRY:film

Paddy Breathnach監督のBLOW DRYを観た。
美容院が二軒しかないイギリスの田舎町。この二軒の美容院の理髪師はかつて夫婦でカリスマ美容師として全英に名を馳せていたが、妻が女性モデルと駆け落ちしてしまったことで家族が離ればなれになっていた。ある日、町長が街にヘアドレッサー選手権を誘致することに。それを機会に崩壊してしまった家族を元に戻そうと妻は思う。彼女はガンにおかされて、和解の時間もあまり残されていなかった・・・。
 ストーリーを書くと、随分とシリアスなドラマのようだが、この作品は基本的にコメディである。シリアスに傾きそうになるとかなりベタな笑い飛び出してきて、非常に楽しい作品に仕上がっている。また、ヘア選手権だけあって、奇抜で斬新な髪型がみられ、こうした点でも楽しめる作品。邦題は『シャンプー台の向こうに』。

01 mai 2006 

Peut-être:film

Cédric Klapisch監督のPeut-êtreを観た。
2000年の大晦日。明日から21世紀という日に未来をイメージした仮装パーティが開かれる。Arthurはそのパーティの時に恋人Lucieから子供が欲しいとせがまれる。Arthurは腰が引けてしまい、何とか逃げ出すが、逃げ出した先は砂漠に埋もれた遙か未来のパリだった・・・。
 SFチックな映画だが、これは現代の少子化対策映画?と思った。未来の世界では、ArthurとLucieの子や孫が、父親であるArthurに子供を産むように迫るが、Romain Durisの息子役が老境に達したJean-Paul Belmondoというのが笑える。映画の設定や内容もハチャメチャで、そのハズし加減がフランスを感じさせる。結局、彼が具体的に何を理由に子供をつくる動機を得たか?この点は明確な台詞を映画の中では見いだしにくいが、きっとそれは未来への想像力、つまり未来を恐れず、希望をもつということなのだろう。だが、世の中への信頼や希望もなく、「現在」にしか生きていない人にはなかなか難しい注文だ。
 この映画1999年の作品だが、今ではこのキャストを揃えるのは難しいだろう。それだけ実力のある俳優を揃えている。邦題は『パリの確率』。