31 juillet 2007 

VOLVER:films

Pedro Almodóvar監督のVOLVERを観た。
 失職してしまった夫と娘を育てるために一人家庭を切り盛りするRaimunda。ある夜、娘は父親から性的関係を迫られたことで、父親を刺殺してしまう。娘をかばうために必至に隠蔽を謀っているときに、伯母の訃報が舞い込む。夫が娘に迫った上に、伯母を孤独の中で死なせてしまったという思いがRaimundaを打ちのめすのだが・・・。
 強風のなか墓みがきをする女性たちの姿。冒頭のカットから溢れるセンスを感じさせた。それがラストのカットに至るまで、落ちないのだから凄い。
 クライマックスには何故母親が生きているにもかかわらず自分たちから去ってしまったのか、どうして戻ってきたのか、Raimundaの知られざる過去などが明らかになる。夫とその愛人を殺してしまった母、レイプされて実の父親の子供を産んでしまったRaimunda、父親を殺してしまった娘。三代の女たちはそれぞれの十字架を背負いながらも力強く生きていく。母娘の和解も見逃せない大きなテーマだ。
 この物語には「社会」がない。つまり人が殺されても、失踪しても、事件が起きても、警察など男たちによって作り上げられた「社会」が彼女たちの世界には浸食してこない。愛情と親しみに満ちた女の世界で彼女たちは生きている。しかし、ただ女の世界に守られているだけではない。印象的だったのはRaimundaの母が身を隠しながら姉の面倒をみたり、自分が殺してしまった愛人の娘で末期癌に犯されてしまった女性の介護をする姿。刑務所に入るような男仕立ての世間的な罪滅ぼしではなく、人に尽くすことで贖罪を果たそうとしているようである。
 この映画に出てくる男たちは一様に存在感が希薄で、ろくでもないのであるが、登場する女性たちはそれにもめげず、したたかに生きていく。彼女たちに起こったことは重い痛みを伴うものばかりなのだが、男たちをアテにしなくても、私たちは大丈夫!と高らかに宣言するような、清々しさが残る。
 ペネロペ・クルス
の美しい肝っ玉母ちゃんぶりは堂に入っていたし、女優として年齢を重ねてより円熟味を増していることを感じさせた。それ以外の配役の演技も素晴らしく、みんなキッチリとキャラが立っていた。昼ドラのサスペンス的な音楽とクスッと笑わせる台詞回しはアルモドバル作品の真骨頂。お薦め。邦題は『ボルベール<帰郷>』。

30 juillet 2007 

Les nouvelles du décès:journal

 今日、二人の映画人の訃報に接した。一人はスェーデンの映画監督イングマール・ベルイマン、もう一人はドイツの俳優ウルリヒ・ミューエ。『善き人のためのソナタ』の監視役を見事に演じていた。ベルイマンは最後の最後まで映画人であったが、ミューエはあまりにも早い。ベルイマンの遺作となった『サラバンド』は沖縄で上映されていないが、機会があれば『ある結婚の風景』とあわせて是非、観るべし。

16 juillet 2007 

Voyage en Pologne

 出張でポーランドにやってきた。沖縄〜羽田〜成田〜ミラノ〜クラクフと乗り継いで来たのだが、本当にキツイ旅となった。沖縄から成田は東京で一泊したが、台風の影響でずぶ濡れ。成田に行くにも一苦労で、成田に到着した時点で既にかなりの距離を移動しているようだった。
 しかしその後がツラカッタ。JALに乗るつもりがクラクフに乗り継ぐ関係でALITALIAのコードシェア便になったのだが、成田ーミラノ間はエコノミー。さらに航空機の故障で座席前のモニターは動作せず、映画などが一切観られないわ、読書しようにも読書灯はつかないわ(乗客を休ませるために機内を暗くしていた)、毛布はヨレヨレで最初から静電気を帯びて、あちこちさわるたびにバチバチと通電するわ、乗客は満員で余裕がないわ、やることがなくてようやく眠りに落ちたと思ったら隣の韓国人の女の子がいきなり窓を開けて一発で体内時計がリセットするぐらいの光を浴びせるわ(まぶたの裏が赤になった)、斜め向かいの客が新婚でズーッと喋ってるわ、暇で死にそうになるわ・・・12時間(!)を超えるフライトはこれまでにない最悪の時間となった。アリタリア航空のCMは100回ぐらい観た。そのたびに絶対乗らないと呪いにも似た誓いを立てる。
 ミラノでは3時間の乗り換え待ち。沖縄から濡れ続けた靴が未だに乾かず、最悪の気分に。免税コーナーで暇を潰すも興味をそそられず、腹ごなしに食べたピザも「こんなもんかぁ」ってな感じの味。するとなかなかいい感じの靴を発見。さらに今はバーゲン期間で半額ということで、BRUNO MAGLIの靴をゲット!(まさに衝動買い!) 一夜明けても後悔はなく、嬉しい買い物であった。
 クラクフに30分遅れの夜中11時半に到着。入国審査でかなり疑いの目を向けられた。写真をゆうゆう1分は眺めて僕の顔と照合していた。その間メガネを外したり、パスポートと同じような無表情にしたりしたが、なかなかOKが出ない。約9年前の写真なので少しは変わっているかもしれないが、整形もしていないし、そこまで照合に困るとは思えなかったが、生年月日やパスポートの発行場所なども聴取されたし、不法入国か何かで疑っていたことは確かである。まあ日本人はおろかアジア系は見渡すと僕だけという状況だったので、まあ仕方ないかもしれないが。
 空港を出てからタクシーでホテルへ。
歴史的な建造物はライトアップされ、運転手さんはそれらを簡単に説明してくれて、夜のクラクフの街を少しだけ味わうことができた。綺麗だった。タクシーはクレジットカードが使えたが、20分程度の乗車で90ZL、約4500円といったところ。物価の差を考えるとやや高い。
 宿泊はHotel Matejko。この値段でこのベッド?と思うぐらい狭かったが、まあ困らない程度の状況。一泊12,000円以上もするのに冷蔵庫も浴槽がないなんて・・・やっぱり高いよ。LANが使えるのはいいが。もうすぐ朝食なのでここで印象が良くなるか、悪くなるか・・・今日はヤギゥエヴォ大学に資料調査、スムーズにいくといいなー。天気は最高だ。天気予報も悪くない。

10 juillet 2007 

arithmétique indienne:journal

 昨日からインド式計算にハマっている。ニヤンタ・デシュパンデ (監修)『脳をきたえる インド数学ドリル 入門編 &中級編』をしているのだが、へぇー!へぇー!の連発である。いつもTV5のDes Chiffres et des LettresのChiffresでは悔しい思いをしていたが、少しは改善されるかも知れない。とにかく、小学生のときに習っていた算数とは発想が違うのである!小学生の時にこういう本に出会っていれば・・・・などと思った。この本の中級編には「サンスクリット言語学の数学への影響」というコラムがあり、以下のように書かれている。
 インドの科学の発展の歴史を通じて、もっとも重要な影響を数学に及ぼしたのは、紀元前6世紀のPaniniのサンスクリット文法学と言語学の分野のパイオニア的な仕事でした。Paniniは、音声学と形態学の包括的な理論のほかに、正式なプロダクションルールの定義をAsthadhyayiとよばれる彼の論文に書きました。複合語とセンテンスの解釈は、正式の言語理論と同様の方法で、基底にある構造を操作する秩序だったルールに従って練り上げられました。Paniniの構造は、現代における数学の機能の定義に匹敵するもので、GGジョゼフ(「The Crest of Peacock」)は、インド数学の代数の本質的な特徴は、サンスクリット語の構造の結果から起こると述べています。つまり、Paniniが発明したBackus Formという科学的な記述法のおかげで、現代の数学者も代数学の理論と結果を科学的に記述できるようになったのであり、そのモデルを提供したのがPaniniだというわけです。
 漢語音韻学をやっている人はサンスクリット語やパーニニには親しみおぼえるであろう。
以前、音韻学の関連で悉曇学を学び、さらにサンスクリット語も学んだ。もちろん僕などが究められる分野ではなかったが、それが、こんなところで繋がってくるとは・・・感慨無量である。
 このドリルは実用志向の本なのだが、一方で『生き抜くための数学入門』理論社は学問としての数学がどのようなスタンスをとっているのかということがよく分かる本である。数学という学問が論理学や哲学に極めて親和性が高い、ということを教えてくれる。こちらも一読をお薦めする。
 今回、数学のことをネットで調べていて驚いたのは、wikipediaの言語欄に古文/文言文があったことである。ラテン語があることは知っていたが、かつてアジアの共通語であった文言文がこんなところで復活していようとは!さらに別の項目では粤語(広東語)もあり、今後、どのように書き足されていくか愉しみである。そのうち「うちなーぐち」も出てくるかも知れない。

 

Trop chaud pour le foot: journal

 アジアカップ、日本vsカタール戦。昨日の試合結果は非常に残念だった。だが、ミスを犯した選手を責める気にはならない。今日の沖縄の最高気温は33度、湿度78%。昼間2時ぐらいなら、ちょうど選手が走り回っていた気候に相当する。このなかで90分はいくら鍛えられたアスリートでも相当にキツイ。集中力がとぎれることもあるかもしれない。しかし、条件は相手とて同じだ。といっても最高気温が50度にも達するカタールに住む選手なら、40度を超えなければOKというから、あの試合はカタールにかなりのアドバンテージがあったであろう。
 欧州では気温が25度を超えると激しい消耗戦になることを考えれば、アジア・カップは死人が出てもおかしくない大会だと思う。それだけ厳しい戦いである。クーラーのきいた部屋でテレビ観戦していれば、選手のプレイについ厳しくなるが、それはあんまりじゃぁないかと思う。

09 juillet 2007 

Poêle en fer:journal

 約3年前に買ったT-falのフライパンがお釈迦になった。フライパンとしてはまだまだ使えるのだが、テフロンの特性が失われフライパンに食材がこびりつくようになったのだ。フライパンの葬送に際して、購入時のエピソードを紹介したい。
 僕は東急ハンズで耐久性のあるテフロン加工のフライパンを探していた。こうした僕の要望に対し、ハンズの店員は丁寧に次のような説明をしてくれた。
 1,テフロンは食材が鍋にくっつきにくいという特性がある。
 2,テフロンは鍋の素材の上に張り付いているものである。
 3,食材が鍋に付着しにくいという特性は、テフロンが鍋の素材に貼り付く点において逆に作用にする。
 4,よってテフロンは剥落しやすく、構造上、耐久性が弱い。
 僕はその忌憚のない商品知識に少し感動をおぼえた。敢えてテフロンを選んだのは、その心意気、誠実さを買ったのである。
 しかし、振り返れば3年ちょっとという寿命はやはり短い。後継者として選んだのは岩鋳の肉厚4mmの鉄製フライパン。Le Creusetのフライパンと迷ったのだが、Le Creusetは浅くてチャーハンなどでフライパンを振ると食材がこぼれ落ちてしまう。鉄器は2kgと少し重いし、毎回の手入れはやや面倒になるかもしれないが、鉄分補給にもいいし、長く、大切に使いたい。さようなら、テフロン。そしてこんにちは、南部鉄器。

08 juillet 2007 

SECUESTRO EXPRESS:films

Jonathan Jakubowicz監督のSECUESTRO EXPRESSを観た。
 猥雑で犯罪まみれのヴェネズエラの首都・カラカスを舞台に、チンピラ誘拐グループに狙われてしまったカップルの行く末を描く。強烈な危険性と暴力性を発散しながら、物語はスピーディに進んでいく。いつ殺されてもおかしくない状況で連れ回されるカップルの恐怖と絶望はいかほどだろう。しかも、被害女性はとりたててお金持ちでもなく、施設でボランティアをしている女性。彼女は生命の危険にさらされるだけでなく、結婚を約束した彼との仲も最悪の状況を迎えてしまう。
 
日本では一般に誘拐と銀行強盗は成功率の極めて低い犯罪であると認識されているが、かの国では事情が違うようである。原題のSECUESTRO EXPRESSとは「短時間誘拐犯罪」を示す言葉で、エクアドルで社会問題にもなるほど頻発しているようである。身代金を素早く調達させて人質を数時間で開放するというものだが、この映画も実際に起こった事件を再現しているので、Michael HANEKE監督のFUNNY GAMESに匹敵するような嫌悪感がずーっと付きまとう。犯罪者だけでなく、警官までも腐っている。賄賂でコカインを受け取って検問を通してしまう警官や誘拐保護を装って拉致をしようとする警官。何の救いもない現実を突きつけられる。こんな街に生まれたら、人生観は全く違うモノになるだろう。
 
犯人グループが金持ちに向ける嫌悪と憎悪の眼差しに戦慄を覚える。この憎悪の根底には圧倒的な貧富の差と底辺に生まれた人間が立身出世することがおよそ不可能な現実がびっしりと根付いているのだろう。一体、どういう経緯でこのような危険社会が生まれてしまったのだろうか、考えずにはいられない。
 この映画をみるとカラカスは観光気分で足を踏み入れるような場所ではないように思ってしまう。実際にカラカスは各国が危険情報を出しているようで、いつ事件に巻き込まれてもおかしくない。よっぽどのことでもない限り、足を向けたくない。それほどの恐怖感を植え付けるような監督の力量はなかなかのもの。邦題は『ベネズエラ・サバイバル』。

02 juillet 2007 

Ginger ale:journal

 やはり夏は簡単でさっぱりとしたブランデー・ジンジャーが飲みたくなる。しかし、スーパーでよく見かけるカナダドライその他のジンジャーエールは甘すぎるし、手作りは面倒。市販のジンジャーエールとなるとやっぱりウィルキンソンだけど、沖縄に売っていない。結局お取り寄せということになってしまう。
 今日、それが届いたのだが、やっぱウィルキンソンは、辛くて、キッチリ生姜の香りがしていいねぇー。ブランデーもカルバドスを使い、なかなかの味に仕上がった。次はホーセズ・ネックを作ってみるかな。