The Bridge:films
Eric Steel監督のThe Bridgeを観た。サンフランシスコのゴールデンブリッジを舞台に、自殺した人の遺族や友人、そして奇跡的に生き残った人の証言、そして飛び降りた、あるいは飛び降りようとして助けられた人々の映像を織り交ぜて構成されたドキュメンタリー。この橋には行ったことがないが、雲が立ちこめた幻想的なこの橋の写真を一時、パソコンの壁紙にしていた。写真でみる限り、本当に美しい橋だ。当時、自殺者が多いことなどは知らなかった。
映画の話に戻ろう。橋から飛び降りて自殺する人の理由(もちろん想像される理由)はさまざま。周りの対応も様々。明らかに生前の自殺者をもてあましていたような発言をする人もいれば、心から悔いているような人もいる。だが、一定の時間が経過しているからだろうか、どの人も一応に死者への自分の思いに整理をつけているように思える。橋の欄干を越えた人に共通しているのは、恐らくは絶望。橋の欄干の向こうに、解放や救いを見ていたのかも知れない。本当にそんなものがあったのかは確かめようがない。
最後に黒い長髪をなびかせて黒ずくめで橋を行き来する青年の話題に及ぶ。周りによると頭も良く能力もあるのにやる気だけが欠けていた。彼の留守電には彼が望む管理職への採用を告げるメッセージが入っていたという。彼がそれを聞いていたのかは判らないという。留守電を聞いていたら、思いとどまったかもしれない、という思いを禁じ得ない。
人生は何が起こるか分からない。絶望的な状況がずっと続くとは思えないが、精神的に落ち込んでいる時は未知の世界に光を見いだすこと自体ができないのであろう。ラストシーンにあるように、監督の意志としては、太陽が再び昇る一日は、新しい一日なのだということを伝えたかったのだろう。
やはりこの映画を観て、倫理的な問題が頭をもたげた向きも多いのではないだろうか?撮影する側は、誰かが柵に足をかけたらすぐに管理局に電話をすることにして撮影をしていたようである。ハリウッドのコードとして、子供と大統領は劇中であっても殺さないという暗黙のルールが存在する。先日、バンデージ・ポイントというハリウッド映画を観たが、この映画でもそのルールは完全に守られていた。その他、撮影のために動物は殺さないとか、青少年への影響を考えて煙草のシーンは控えるとか、数多くの暗黙のコードが存在する。これらに比べると一般人の自殺の映像はこうしたコードをあっさりスルーしてしまうほどに軽いのか?と思わざるを得ない。
ちなみに自殺する動物やはり人間だけのようだ。ディズニー製作の映画でレミングが集団自殺するという話が広まったようだが、これは本当のことではないようである。
映画の話に戻ろう。橋から飛び降りて自殺する人の理由(もちろん想像される理由)はさまざま。周りの対応も様々。明らかに生前の自殺者をもてあましていたような発言をする人もいれば、心から悔いているような人もいる。だが、一定の時間が経過しているからだろうか、どの人も一応に死者への自分の思いに整理をつけているように思える。橋の欄干を越えた人に共通しているのは、恐らくは絶望。橋の欄干の向こうに、解放や救いを見ていたのかも知れない。本当にそんなものがあったのかは確かめようがない。
最後に黒い長髪をなびかせて黒ずくめで橋を行き来する青年の話題に及ぶ。周りによると頭も良く能力もあるのにやる気だけが欠けていた。彼の留守電には彼が望む管理職への採用を告げるメッセージが入っていたという。彼がそれを聞いていたのかは判らないという。留守電を聞いていたら、思いとどまったかもしれない、という思いを禁じ得ない。
人生は何が起こるか分からない。絶望的な状況がずっと続くとは思えないが、精神的に落ち込んでいる時は未知の世界に光を見いだすこと自体ができないのであろう。ラストシーンにあるように、監督の意志としては、太陽が再び昇る一日は、新しい一日なのだということを伝えたかったのだろう。
やはりこの映画を観て、倫理的な問題が頭をもたげた向きも多いのではないだろうか?撮影する側は、誰かが柵に足をかけたらすぐに管理局に電話をすることにして撮影をしていたようである。ハリウッドのコードとして、子供と大統領は劇中であっても殺さないという暗黙のルールが存在する。先日、バンデージ・ポイントというハリウッド映画を観たが、この映画でもそのルールは完全に守られていた。その他、撮影のために動物は殺さないとか、青少年への影響を考えて煙草のシーンは控えるとか、数多くの暗黙のコードが存在する。これらに比べると一般人の自殺の映像はこうしたコードをあっさりスルーしてしまうほどに軽いのか?と思わざるを得ない。
ちなみに自殺する動物やはり人間だけのようだ。ディズニー製作の映画でレミングが集団自殺するという話が広まったようだが、これは本当のことではないようである。