01 février 2009 

une petite histoire:roman

 ある日、ボクは医者に言われた。
 「あなたの目はひどい病に冒されている。あなたの目は、病に冒されている最悪な人々の下位5%に含まれるレベルなのです。だから、緊急に手術しなくてはならない。すぐに手術をしましょう。」
 確かにボクは近視だし、乱視だし、色弱でもあるが、日常生活に不便はない。車も運転できるし、優良ドライバーだ。
 よくよく調べてみると、ボクの目がそれほど悪いという根拠はないらしい。そして、正式な診断書を出してもらうとボクの目は普通のレベル、これは同年齢の8割が含まれる範囲だという。
 しかし、医者は言いました。「もう手術の準備をしてしまったんです。ですから、手術をしましょう。」
ボクは言いました。「普通のレベルなのに手術したら、かえって悪くなるんじゃないですか?それに、先生がやろうとしている手術って、片目を全部摘出してしまうんですよね?」
 医者は言いました。「もう準備してしまったんです。もう後戻りできないんです。とにかくやりましょう。」
 ボクは目を手術させられた。片目を抉り取られ、ついでにもう片方の目蓋は一重を二重にされた。
 先生は大満足。手術代でお家の改築もしたそうだ。

 

Poincaré conjecture:journal

 NHKの「数学者はキノコ狩りの夢をみる〜ポアンカレ予想100年の格闘〜」を観た。とても興味深く、引き込まれる内容であった。

【わかったこと】
・ポアンカレ予想が難問であったこと
・ポアンカレ予想を証明することで明らかになること
・ポアンカレ予想を証明するまでに多くの発想の転換があったこと
・ポアンカレ予想を証明した学者が孤独のうちに生きていること
・数学という学問の偉大さ

【わからないこと】
・ポアンカレ予想の具体的内容
・ポアンカレ予想の証明に至る多くの前提
・ポアンカレ予想の具体的な証明方法

 つまり、ポアンカレ予想の周辺については漠然とわかった気になっているが、ポアンカレ予想の本質、実質的なことは何一つ、わかっていない。ポアンカレ予想を理解するためにはどうするか。とりあえず思いつく可能性は、関連する文献を精読する、あるいはそれを専門とする先生のいる大学に行くことだ。
 子供の頃を振り返る。ボクは、多くの事柄に何故?どうして?何でこうなっているの?という問いかけを常にもっていた子供ではなかった。何故、空は青いのか、何故、食べなくては生きていけないのか、何故、戦争が起きてしまうのか、何故、恋に落ちるではなく恋に昇るとは言えないのか、何故、人は死ぬのか・・・。空は青いものだし、人には食べ物を食べなくてはならないもんだし、戦争は起きてしまうもんだし、恋に落ちるが正しいし、人は死んでしまうもの・・・疑問さえ抱かず、これらのありうべき疑問を自分のなかで片付けてきた。
 何故、そんな風にしてきたのか、判らない。しかし、素朴ともいえる疑問を安易に片付けてしまう人生よりも、常に答えを求め続けて思索し、作業する人生の方が、ずっと楽しく、豊かだと思う。大学はそんな素朴とも言える疑問を追求することが許される、得難い場所だ。逆に言えば、何故?どうして?という疑問を持ち得ない人にとっては、意味が見いだしにくい場所になってしまうかもしれない。
 いま自然や社会や人間に対して、何故?どうして?という疑問が湧かない方々への方便を大学は用意し、多くの受験生を獲得しようとしている。それは「〜の役に立つ」「〜に有利」「金になる」という言説だ。しかしこれは何故?どうして?という疑問とは根本的に異なる。大学の不幸はこの齟齬にある。