29 août 2006 

Ca m'ennuye.


どうも僕のPower Bookがバッテリー交換プログラムの対象機種になっているようだ。過熱による発火事故が相次いでいるため、リコールとなっているようだ。確か以前にも似たようなことがあった。しかしその時は交換済みということだったように記憶している。今回の交換には1ヶ月以上かかるという。その間に出張で持ってでなければならないし、さてどうしたものか・・・。とにかく膝に乗せて使うのは控えよう。
https://support09.apple.com/index.html?lang=ja

 

voix enrouée

ここ最近、夏風邪をひいて蟄居している。昨日、セールスマンとの間でおかしなやりとりがあった。
セールスマン「家庭用常備薬を扱ってます・・・。お薬を置いておくだけで、お金はかかりませんし、ドラッグストアと同じ値段ですよ。」
僕「今、風邪をひいているんで、すみません。」
セールスマン「そうですか。それでは失礼。」
普通、薬を売りつける相手が風邪だったら、その商品の重要性をアピールするもんだと思ったのだが、あっさりと引き下がってくれた。こちらの体調を気遣ってくれたのか、相手にならないと踏んだのか。案外いい人だったのかもしれない。

 テレビのワイドショーなどは普段は殆どみないが、たまにみると辟易とする。どこの局も誰かが殺されたニュースばかり。こういうニュースをみせられて元気になるはずがない。しかし、これはこの社会の反映なのか?ある一面はそうかも知れない。しかし気になるのはワイドショーやニュースで扱う項目の殆どは警察経由で「下りてくる」ものばかりという点。他の国の放送局と比べると何と多いことか。記者クラブという日本独特のシステムがこうしたニュースばかりを流す遠因になっている気がしてならない。
 
 しかし、たまにみる番組でもいいものもある。NHK「知るを楽しむ」という番組の畑村洋一郎氏の話。非常に有益な話ばかりだ。面白かったのはハインリッヒの法則。1つの重大災害には29の軽災害があり、さらに300のヒヤリとする災害にもならないできごとがあるという。森ビルの回転扉の事故はこの数値とおおよそ一致するという。数字の正確性はともかくとしても、ヒヤリとする事や軽災害の積み重ねはまさに重大災害への警鐘である。これはまさに沖縄の状況。
 また、失敗は伝わらないということの事例を挙げていた。トップダウン型の組織はトップの意志を反映させやすいというメリットがある反面、現場の細かなミスや事故などが組織全体に伝わらないというデメリットもあるという。もし、トップダウン型の組織が失敗例を組織全体に伝えるには、それこそトップから情報を流さなければならない。しかし、そうした情報は流れにくい。

 お昼は栄養をつけようと近所の鰻屋に行くも定休日の看板とご対面。そこでスーパーへ。沖縄には珍しく、鰻の白焼きを発見。しかも県内・今帰仁産で、即購入。ヘルシオで蒸して、その後、グリルに切り替えて調理。レモンと醤油と少しのワサビで食す。やっぱり鰻は白焼き。押しつけがましいタレより、あっさりしたポン酢タレがいい。

明日には元気になってるかな?会議もあるけど、映画に、行きたい。

15 août 2006 

Beijing de xigua:film

大林宣彦監督の『北京的西瓜』を観た。
千葉の八百屋一家と中国人留学生との深い交流を描いた実話。千葉で八百屋を営む春三はある日、毎日店におとずれては何も買わず、青梗菜が高すぎて買えないという中国人留学生と知り合う。その後、その留学生が栄養失調で倒れたのを助けたことから、中国人たちとの関係が始まる。春三は当時の中国人留学生にしてみれば圧倒的な物価高で苦しむ彼らを世話してやることに喜びを感じるようになるが、家業をほっぽりだして八百屋は経営が悪化していく。さらに留学生のの保証人になったりう、家族の持ち物を留学生たちにあげたり、彼らの家賃を出してあげたりしたことで家族との関係も悪化し、一家はほぼ危機的状況に追い込まれる。
 この作品は春三夫婦が元留学生に北京へ招待されるシーンから突然、趣ががらりと変わってしまう。1989年6月4日の天安門事件が発生したことで、北京への渡航ができず、北京でのロケができなくなってしまったのだろう。作品づくりを途中で投げ出したかのような極めて異例な形で物語が進行していく。それ以上に、天安門事件が監督にとって強い衝撃を与えた。監督が受けたであろう衝撃は僕にもよく分かる。天安門事件は僕にとっても極めて大きな意味をもつ。それは僕が中国学に進んだ具体的な契機でもあるからだ。
 1989年の4月に僕は初めて中国に行った。船酔いする僕が50時間もかけて上海に船で行った。一人旅だった。一ヶ月の旅行は楽しく、刺激的で、今でも鮮明に覚えている。しかし、その後、胡耀邦の死から中国の政治状況は急変し、中国は世界的に非難を浴びた天安門事件になだれ込んでいった。自分は1ヶ月旅行したことで、多少なりとも中国への理解が深まっていたと思っていたが、このニュースに接して自分が中国のことを何も理解していなかったことに愕然とした。留学もしてもっと勉強しなければこの国のことは分からない。そう、強く思ったことが中国学へ進む大きなきっかけとなった。
 映画の話に戻ろう。映画のなかのちょっとした留学生の言動が実にリアルで苦笑してしまう。少しなりとも中国の人と関係がある人なら思い当たるシーンも多いのではないだろうか。春三が留学生に接してしばしば苦々しい思いをする場面がある。彼とて多くの葛藤や悩みも多かったのだろう。現在ではさほどではないが、当時の中国と日本の物価の差たるや凄まじいものだった。そんな状況で日本に留学する彼らにとって春三の存在は本当に大きなものだったであろう。多くの人が誤解しているのは、国際交流には英語ができなければならないと思っていることである。この八百屋の主人のように、外国語は必要条件でも十分条件でもない。必要なのは心である。そんな当たり前のことを、僕を含めて頭では理解できても、実行するできる人はなかなかいない。僕などは社会的には専門家面しているが、この映画のモデルになった人には到底かなわない。この映画をみて強く思った次第である。

13 août 2006 

いつか読書する日:journal

緒方明監督の『いつか読書する日』を観た。
50代の男女の若かりし頃からの純愛物語。こうした映画が成立するのも冬ソナ効果か?それはともかくとして、田中裕子は不思議な女優だ。読書が好きで、文才があるが、毎日、一人の人を密かに思いながらまじめに地味に生活する女性を演じていたが、静かな存在感がある。彼女の少女時代は別の女優が演じていたが、田中裕子の表情から少女時代の彼女の様子が容易に想像できてしまう。最後に彼女が不吉な予感に導かれて人が溺れたという川まで走って行くシーンがある。彼女の走る姿に感銘をうけた。ここで下手な走り方をしたら、何十年も牛乳配達をしているという設定が崩壊してしまう。フォームの上でも、演技の上でもバランスのとれた走り方だった。この映画は彼女の演技力と魅力で支えられている。そう言っても過言ではない。しかし、人は好きだった一人の人の思い出だけで生きていけるのだろうか?最後のシーンでは書棚の蔵書のカットがあった。妙に純文学が多く、やや不自然な印象を受けたのは僕だけか?
 僕は坂の多い町が好きだ。尾道、函館、リスボン、モン・サン・ミッシェル、そしてこの映画の舞台となった長崎。坂の途中で立ちどまり、しばし風景を楽しむ。そして、またのぼっては一息をつく。旅先でゆったりとした時間を過ごすのが好きだ。この映画は小高い場所にたって眺めた風景を思い出すような映画だった。

 

cuisine avec healsio vol.2 :journal

ヘルシオクッキング・第3弾。今日はレシピにないポテトチップスを作ることに。
【作り方】
 1,じゃがいもをスライスして、水気を切り、トレイの網に並べる。
 2,Le CreusetのMISTOでオリーブオイルをスプレーする。
 3,ヘルシオのウォーター・オーブン(グリル)機能で210度、20分加熱する。
 4,ゲランの天然塩をかける。
 パリッ♪としていながら、しっとり!そんなデキであった。こうして書けば、あたかもちゃんとできたように思われる向きもあるかも知れない。だが、忘れてはいけない。これはポテチである。しっとりは要らないのである。網にジャガイモを並べる時、なるべく多く作るために、ポテトを重ねて置いた。そのため、重なったところはしっとりし、重なっていない部分はパリッとなった。しかも重なった部分がくっついていたため、一枚一枚が分離せず、正方形の巨大な板のようになってしまった。ちゃんと作るためにはジャガイモが重ならないようにトレイの網に並べなければならない。しかしそれでは分量が殆ど作れない。ポテチ1袋分を作るには3回に分けて作らねばならず、計算としては1時間以上かかってしまう。また、オリーブオイルが付着していなかった部分はやはりカラリとしているのだが、塩もからまない干からびた状態になっていた。
 結論としては、ヘルシオにポテチは向かない。ヘルシオ・レシピに載っていないのも首肯できる。前述のように、1回に少量しか作れず、しかも時間がかかる。最近は天然塩を使ったり、薄塩があったりするのでポテトチップスのことを何十年も考えてきた人たちが作ったものを買ってきた方が無難だろう。ただ、今回作ってみて思ったのは、ポテトチップスは想像以上に油を吸っている可能性があること。カロリーが高いのも頷ける。次はレシピにあるシュークリームを作ろうと思っていたが、高くても150円程度のものをわざわざ手作りする必要はないという結論に達した。
 パソコンを使い始めた頃、何でもパソコンを使ってやってしまおうと意地になって、結局時間や手間を喰ってしまったこともある。その時はパソコンを使っていたのではなく、使われていたのだ。今の僕はこれと同様である。ヘルシオの可能性を過信している。ヘルシオで何を作るかではなく、何を作らないのかを押さえることが肝要である。この一文がヘルシオ・ジャンキー状態からの解放に貢献することを願いつつ、筆をおく。

12 août 2006 

TAKESHIS'

北野武監督のTAKESHIS’を観た。
説明が難しい作品である。いや、説明されることを最初から拒否しているような作品、なのだろうか。そうではあるまい。
 私のなかのこの作品はビートたけしと北野武の目に映る風景と、彼の夢や想念を映像化したものだ。また、芸能界に絶対的ともいえる地位にいる彼と、そうならなかった彼との二つ人生が二人のキャラクターに投影されている。ビートたけしは場合によっては、もう一人の売れない芸人になっている可能性さえあった。そういう自覚が、売れない芸人のキャラクターを生んだ。映画の中でひたすら行われる殺し、殺されるシーンは、二つの人生それぞれにあるシガラミを取り払ってしまいたいという内なる欲望の表れであるように思えてならない。少なくとも、「ビートたけし」は、鬱屈を抱えて殺伐とした日常を孤独に生きている。その孤独はあの作品を製作するプロセスで「待った!」をかける人間が誰もいないほどの深いものだ。なかには笑わせる場面もあったが、つなぎ合わされる数々のエピソードは、僕にとってはどれも笑えないものだった。何故か?好き放題に作っているように見えるが、彼の作品にありがちなヨーロッパからの視線を意識した映像作りがこの作品にも随所にみられるからである。それが哀しい。先日、『ナイスの森』を観た。笑えない部分も多かったが、好き放題やりながらでも、作り手の笑いが聞こえてくるような作品だった。TAKESHIS'からは作り手の笑いが聞こえてこない。

10 août 2006 

cuisine avec healsio vol.1 :journal

ヘルシオ・クッキング・レポート第2弾。
昨晩は唐揚げ、今朝はフレンチ・トーストを作った。唐揚げは醤油・生姜・ニンニクのタレにつけ込んだ鶏もも肉を、ビニール袋のなかに入れた小麦粉にまぶしてトレイに置き、唐揚げメニューを使って加熱した。味の方はまあ、美味しかった。油を一切使っていないが、味は普通の唐揚げである。
 今朝はフレンチ・トースト。タマゴと牛乳をまぜ、それにレーズントーストを漬けてトレイに置くだけ。ウォーター・グリル機能で11分。これはトーストを焼くときの要領。焼き上がりはやや甘めで、もう少し加熱時間を延ばした方がよさそうだ。味の方はまあ、美味しかった。ギリシャ産の蜂蜜とモロッコ産のシナモンが一気に味のレベルを押し上げた形だ。
 ふと思う。何か物足りない。唐揚げもフレンチ・トーストも初めてにしてはまずまずである。だが、何かが、足りない。天を見上げて気がついた。僕が期待していたのは、ヘルシオで作った料理を口にしたときの“感動”、そしてヘルシオを買ってよかった!と心から思える“確信”だ。
 ただ、ヘルシオの利点も強調しておかなければならない。何せ唐揚げを作っても、フレンチ・トーストを作っても、加熱中シャワーを浴びても、本を読んでも、寝ててもいいんだから(実際には加熱状況のチェックに余念がなかったが)。トレイや網はテフロン加工されているので、後かたづけは本当にラクである。これも大きい。電子レンジのように電磁波も発生しないので、健康にはよさそうだし、油も塩分もグッと減らせる。揚げ物は事故の可能性が殆どないので、小さな子供がいても大安心!
 もう、やめよう。いもしない子供まで引っ張り出して、ヘルシオを持ち上げる必要はない。ただ、僕はこのヘルシオの購入が失敗でなかったと思いたいだけだ。自分が納得するには、感動を味わえる料理を作る以外に道は、ない!

09 août 2006 

L'iceberg:film

Dominique Abel, Fiona Gordon, Bruno Romy監督のL'icebergを観た。
ベルギー郊外で夫Julienと子供たちと暮らすFiona。ある晩、マネージャーをつとめるファーストフード店の冷蔵室に誤って閉じ込められてしまい、そのまま一晩をそこで過ごす破目に。Fionaは家族が自分の不在に気付きもしなかった事に呆然とするが、一方で、「冷たいもの」への奇妙な欲望に取りつかれ、果ては耳の不自由な男性Reneのヨットで氷山を目指す・・・。
 笑える。シュールで個性的な笑い満載の作品である。台詞は殆どないが、殆ど動きだけで笑いのツボを的確に突いてくる。登場人物のコミカル、いや奇妙な動きや行動は訓練のたまものなのだろう。
こうした笑いは舞台のドタバタコメディ的な感じがすると思ったら、俳優たちは舞台出身であった。全体的な色調は暗めなのだが、登場人物の服や背景がカラフルできれいだ。この作品、珍しいことに現在もパリで公開されているようだ。一つの作品を沖縄とパリでほぼ同時期に観られるなんてハリウッドの超大作をのぞいては、滅多にないことだ。パリのcinefilに感想を聞いてみよう。

08 août 2006 

Electric Shadows:film

小江監督の『夢影童年』を観た。
テレビもラジオもなく、仕事を終えて野外映画を観ることが、唯一娯楽の時代、1970年代から80年代にかけて、映画を愛し、ある意味で翻弄された家族を描いた作品。この作品では、「映画」の存在が主要な登場人物にとって重要な役割を果たしている。母の陣痛が始まるのも映画、最後に両親と玲玲、そして大兵と玲玲を結びつけるのも映画である。監督の映画に対する思い入れが非常に強いことが分かるが、物語の展開にやや強引すぎる箇所も随所にみられるし、ふと疑問に思うシーンもないではない。金魚の餌やりを頼まれたからといって、自分の住処があるだろうに他人の部屋に住み着いて、日記まで読む奴がいるだろうか?玲玲が家を出たあと、重度の精神障害を患いながらどのように高層マンションの一室を借りるだけの生活していたか?などなど。
 共産党政権下の中国映画は「政治第一、芸術第二」で、政治に芸術を従属させる形で一種のプロパガンダとして機能していた。しかし、この映画ではそういった側面はきれいに捨象され、庶民にとっての唯一の娯楽としての側面を庶民の視点から強調している。また、文革の様子もかなりあっさりとした表現に抑えられている。
 現代もプロパガンダ色は薄くなったとはいえ、比較的厳しい検閲制度がある。外国映画などの放映にかんして、上映中止などの話も結構あるようである(最近では『ブロークバック・マウンテン』など)。中国映画にかんしては、例えば麻薬や殺人など反社会的な罪を犯した者が、劇中でハッピーな生活を送るという筋書きはあり得ず、劇中では何らかの形で罰せられるような筋書きが用意される。また、共産党批判をした作品の上映も難しいようである。こうしたなかで中国での映画製作はやはり困難であるとの印象はこの作品を観てもぬぐえないものがある。
 だからとて、この映画にケチを付けようというのではない。一つのノスタルジックな世界を作り出すのには成功していると思う。映画にあったように当時の中国は野外上映が一般的であったが、今ではそういうものはないのだろう。DVDやテレビではなく、映画を大きなスクリーンで観るという点では中国の映画の全盛期だったのかもしれない。私が中国にいた1990年代の初頭に映画館に行った時は、2人がけのシートというのが存在し、恋人たち人目を憚らず寄り添っていてやや驚いた覚えがある。
 野外上映ということでいえば、8月12日(土)に那覇で農連まちぐゎー映画祭が開かれる。そのなかで『恋するトマト』は農連市場の中に銀幕を張って、上映される。夕涼みをしながら映画を鑑賞する野外上映の雰囲気を味わえるかも知れない。
 中国と映画については、1905年に実際に中国で初めて映画が撮影されたという事実に着想を得て、中国における映画の幕開けを描いたフィクション『西洋鏡』という作品がある。これもやや疑問が湧く設定もないではないが、参考までに示しておく。邦題は『玲玲の電影日記』

07 août 2006 

The Emperor's Club

Michael Hoffman監督のTHE EMPEROR'S CLUBを観た。
名門男子校で長年、ギリシャ・ローマ古代史を教えていた老教師ウィリアムのもとに同窓会の通知が届く。そこにはその高校の伝統行事で、古代ギリシャ・ローマ史の知識を問う“ジュリアス・シーザー・コンテスト”のリマッチを行うことが記されていた。その招待状を出したのはかつて彼を困らせた問題児・セジウィックだった・・・。
 最初は『今を生きる』の二番煎じのような作品だと思っていた。上院議員の息子の悪ガキが登場し、彼の成長とともに師弟の関係が深まるようなパターンだろうと思っていた。しかし、そんなロマンティックな予感は映画のなかの教師が感じた深い後悔と哀しいできごとによって吹き飛ばされてしまった。およそ教師たるもの生徒が学ぶ楽しさを覚えて、メキメキと力をつけていく姿に喜びを覚えないものはいないだろう。しかし、その喜びは本人がおかした罪と、失望とともに踏みにじられてしまう。最後には一筋の光明がさすが、
教師が感じた苦々しい思いはリアルで、哀しい。教師という仕事の因果を感じる作品。邦題は『卒業の朝』

06 août 2006 

HEALSIO Début

ヘルシオの第二世代を購入した。以前は高嶺の花であったが、26Lのものでも価格が4万5千円にも下がっていたので思い切って購入。購入に踏み切ったのには、夏の暑さもある。部屋でガスコンロを使ってパスタでも茹でようものなら、汗だくである。部屋の温度も上がる。ヘルシオによって、ガスコンロを使わなければならない状態を減らしたいというのも動機の一つである。
 購入後、あまり自炊する暇がなかったが、本日ようやく使ってみた。レンジ機能を使うにもマニュアルをみなければならず、これまでのレンジのように感覚的に使えば何とかなるというシロモノではなさそうだ。そこでとりあえず、「サックリあたため」機能を使い、外で買った天ぷらを温めてみることに。念のため、「しっかり」モードでやってみたが・・・。
 確かに、油は落ちている。カラッともしている。しかし、固いぐらいにカラッとしてしまい、天ぷらではなく、何だかそれを通り越して別の料理になってしまったような趣になった。塩を付けても、塩さえ付着できないほどカラリとしているのである。やはり「しっかり」モードでやったのがいけなかったのだろうか?ヘルシオ・デビューはちょっとガッカリ系だが、少し勉強しよう。

05 août 2006 

Des petits Bozous

ニュースをみていて、お気に入りの一枚を見つけた。得度式のあとの記念撮影を撮したもの。頭を丸めた男の子たちはみんな同じに見えると思いきや、結構、顔や表情に個性があることが分かる。人物を写したものでもこんな写真はなかなか撮れない。念を押すが、もちろん僕が撮影したものではない。

04 août 2006 

Kamome shokudo

荻上直子監督の『かもめ食堂』を観た。
ヘルシンキにある日本食堂を舞台にした物語。この作品の魅力はかもめ食堂の女主人の肩の抜けた、しかし蘊蓄ある台詞にあるのだろう。映画では彼女の過去は殆ど語られず、むしろ彼女の来し方にかんしては巧みに隠蔽されている。最後に一端ぐらいは明らかになるかと思いきや、謎のまま終わってしまう。冒頭に彼女はでぶっとした生き物に食事を与えるのが好きだという嗜好が紹介される程度である。思うに海外で外国人が飲食店を開くこと、それは並大抵のことではないはずである。言葉の問題だけでなく、資本金も、営業許可も、賃貸契約の煩雑な手続きも、免許も、ビザも必要であろう。しかも、映画を観る限り、彼女の旧知の人間が一切、出てこない。映画の人間関係は全てが映画のなかでスタートする。きっと、この映画はこうした現実的な要素を一切排除した一つの寓話、おとぎ話なのだろう。全編に通底する「不思議さ」はここに起因している。そしてフィンランドという一般にはこれといったイメージが難しいヨーロッパの場所という設定も不思議さの演出に一役買っているようだ。
 かもめ食堂のメイン・メニューのおにぎり。欧米の人にとって、実はおにぎりというのは不気味な食べ物のようにうつるらしい。何が?と思われる向きもあろうかと思うが、あの黒い海苔に抵抗があるようである。パリにいた頃、ピクニックで手まり寿司と小さなおむすびを作って持って行ったが、黒いおむすびには
誰も最初はなかなか手を伸ばさなかった。これ、何?としきりに聞かれて、海苔を「海草の紙」みたいな説明をしたことがあった。あとでアメリカ生活が長かった友人に聞くと、やはり海苔というのは欧米人には案外ハードルの高い食材であるという証言を得た。そのため、マサコがおにぎりを頬張るシーンに店中の客が注目するというのはあながちかけ離れた話ではないと思った。
 
日 常から逃れてどこかに出たくなったり、人生の重しがとれたかと思いきや逆に空虚さを感じたり、愛する人に去られて喪失感を感じたり・・・そんな人間を肩のこらな い美味しい食事とともに優しく迎え入れてくれる場所。そんなところが本当にあればいいと思う。とてもいい映画だっただけに、ひょっとするとこの映画を観て 海外に日本食堂を出そうと思い立つ人が本当にいるかも知れない。それが心配だ。