La rose bleue :journal
友人がブログで青い薔薇を鑑賞したことを記していた。やや紫色・灰色がかった色であったようである。僕は実際に観たことがないが、青い薔薇というのはimpossibleの比喩のようで、「あり得ない」もののようである。
ネットで青い薔薇がどのように開発されたか調べている時に、実際に色々な薔薇を売っているサイトにたどり着いた(こちら)。本当に青だけでなく、レインボーカラーの花びら一枚一枚が違う色の薔薇もあり驚いたが、ちょっと毒々しすぎて悪趣味。デコラティブでキッチュな内装のキャバクラにマッチしそうな感じ。青の花はスプレーしたように青かったので、紫色・灰色よりも青らしいと思っていたら、なんのことはないこれらの花は、白い薔薇にインクを吸わせて作っているようである。まあ、縁日で売っているスプレーで着色されたひよこと大差がない。
今回レポートのあった青い薔薇は、バイオテクノロジーによって開発されたもので、より「天然」に近いもののようだが、そもそも青い薔薇を作ることに何の意味があるのか?という問いを抱く人もいるかもしれない。しかし、目的が青い薔薇であっても、そこにいきつくためには多くの知識と技術が必要とされるものであり、それを作り出す過程で多くのことを開発者は学び、大きな喜びを感じたはずである。さらに新たな知見も生まれたであろう。研究とはこういう営みのことを言うのである。例えば、F1カーは実用的には何の意味もない車である。360km出せても公道ではそんなスピードは出せないのだから。しかし、F1カーの開発を通して、多くの技術が生み出されたかもしれない。今乗っている車にもどこかに必ずその技術が生かされているだろう。以前、IBMのパソコンの筐体にF1カーで使われる素材が使われていたが、軽くて丈夫な素材で、パソコンの軽量化に一役買っていた。技術がこうした全く異なった目的で使われることはよくあることである。だから、青い薔薇の開発によって得られた技術や知見が何か別の事柄に転用される可能性もないとは言えない。科学とはこうしたやっている本人さえも思ってもみなかった繋がりが生じるものだから、「青い薔薇の開発が本当に必要かどうか」という孤立した疑問はあまり意味をなさないばかりか、その必要性を安易に否定することで、科学全体の可能性を摘んでしまう危険性さえあるのである。(もちろんアインシュタインのE=MC2が核爆弾を生んだような負の転用もあるが。)研究はそれが行われるプロセスを通じてそれが研究されなければならない必要性を感じるものなのである。研究する前から研究する意味や効果がわかるぐらいなら誰も苦労しない。
ネットで青い薔薇がどのように開発されたか調べている時に、実際に色々な薔薇を売っているサイトにたどり着いた(こちら)。本当に青だけでなく、レインボーカラーの花びら一枚一枚が違う色の薔薇もあり驚いたが、ちょっと毒々しすぎて悪趣味。デコラティブでキッチュな内装のキャバクラにマッチしそうな感じ。青の花はスプレーしたように青かったので、紫色・灰色よりも青らしいと思っていたら、なんのことはないこれらの花は、白い薔薇にインクを吸わせて作っているようである。まあ、縁日で売っているスプレーで着色されたひよこと大差がない。
今回レポートのあった青い薔薇は、バイオテクノロジーによって開発されたもので、より「天然」に近いもののようだが、そもそも青い薔薇を作ることに何の意味があるのか?という問いを抱く人もいるかもしれない。しかし、目的が青い薔薇であっても、そこにいきつくためには多くの知識と技術が必要とされるものであり、それを作り出す過程で多くのことを開発者は学び、大きな喜びを感じたはずである。さらに新たな知見も生まれたであろう。研究とはこういう営みのことを言うのである。例えば、F1カーは実用的には何の意味もない車である。360km出せても公道ではそんなスピードは出せないのだから。しかし、F1カーの開発を通して、多くの技術が生み出されたかもしれない。今乗っている車にもどこかに必ずその技術が生かされているだろう。以前、IBMのパソコンの筐体にF1カーで使われる素材が使われていたが、軽くて丈夫な素材で、パソコンの軽量化に一役買っていた。技術がこうした全く異なった目的で使われることはよくあることである。だから、青い薔薇の開発によって得られた技術や知見が何か別の事柄に転用される可能性もないとは言えない。科学とはこうしたやっている本人さえも思ってもみなかった繋がりが生じるものだから、「青い薔薇の開発が本当に必要かどうか」という孤立した疑問はあまり意味をなさないばかりか、その必要性を安易に否定することで、科学全体の可能性を摘んでしまう危険性さえあるのである。(もちろんアインシュタインのE=MC2が核爆弾を生んだような負の転用もあるが。)研究はそれが行われるプロセスを通じてそれが研究されなければならない必要性を感じるものなのである。研究する前から研究する意味や効果がわかるぐらいなら誰も苦労しない。