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25 février 2007 

Fragmente einer Chronologie des Zufalls:films

MIchael Haneke監督の71 Fragmente einer Chronologie des Zufallsを観た。
1993年にウィーンで19歳の学生による拳銃乱射事件が起こる。その事件に何らかの関係のある人々のその事件に到るまでの日常を断片的なシーンを繋げて全体を構成している。ここでも拳銃を乱射して自殺した少年の「動機」というのは曖昧なままである。監督はこの作品でも安直な動機を観客に提示することで、観客を安心させ、思考を停止させることを拒否している。サラエボの惨状とパズルゲームや賭けに興じる学生たちの日常が対比的に挿入されるが、無害に見える学生の日常がちょっとしたことで暴発して最後には惨事にいたる。ちなみにサラエボとウィーンの距離は約500km。日本で言うなら東京から兵庫ぐらいの距離である。
 一方でBucharestから無一文でやってきた少年は小さな盗みを働きながらその日暮らしで糊口を凌いでいる。養子をもらいたいと思っている夫婦も登場する。彼ら自体はおとなしく善良そうな印象なのであるが、子供を救いたいという動機から養子を望んでいるのではなく、自分たちの慰みのために子供を迎えたいと思っているようである。最初に養子にもらおうとしていた少女はきっと傷ついたであろう。
 子供が生まれたばかりの銀行員は妻の不安定な状況に当惑しながら、何とか関係を築こうとしている。この二人のエピソードで印象的なのは、妻が出かける前の夫に向かって挨拶をし、夫が少し遅れて挨拶を返す場面。妻は夫の挨拶に安心したように口元を緩める。このカットのタイミングが絶妙。
 それぞれのエピソードは特に終局に向かってストーリーとしての必然性で組み立てられたものではない。彼らはラストのシーンで何らかの形で関わっているだけである。まさに題名にあるように「偶然の断片」なのである。しかし、監督のメッセージはしっかりと主張されている。
 この映画ではMichael Jacksonの実際の報道が二度も使われている。Michael Jacksonの少年虐待疑惑については大々的に報道するが、紛争を逃れて他国に逃げてきた少年・少女たが紛争地帯に再び強制送還されていることについては大きくは扱われない。このメディアの状況に大きな問題を投げかけている。
 「我々は断片からしか社会を理解することができない」。例えば戦争を描く時、鳥瞰的な神の視点ということがあり得ない。全てを把握し、全てを理解するのはハリウッド映画ぐらいである。現実には我々は少しだけ観ることができる断片からしか、世界や社会を理解できない。それは時に経験ではなく、メディアによって切り取られた情報だったりする。こうした考えてみれば当たり前のことを映像の方法論にとらわれずに示すことができる監督は極めて少ない。そうした意味でHaneke監督は極めて稀有な才能の持ち主であるといえる。邦題は『71 フラグメンツ』。