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23 février 2007 

BENNY'S VIDEO:films

Michael Haneke監督のBENNY'S VIDEOを観た。DVDのパッケージには「感情の氷河化」三部作の二作目と書かれてあった。第一作は先に紹介したセブンス・コンチネント。
 家畜の豚を屠殺する映像に魅せられた少年・ベニー。彼はなじみのビデオ店でよくみかける見知らぬ少女を家に誘う。豚を屠殺するビデオを彼女に見せ、その銃を彼女に見せているうちに、なりゆきで彼女を殺してしまうことになる。彼は図らずもその一部始終をビデオに撮影していたのだが、ある晩、そのビデオを部屋で観ている時に両親も殺害の事実を知るとところとなる・・・。
 一家は家の内装や両親の職業から、裕福な階層であることがわかる。両親が息子の殺人を知ったとき、彼らの頭には少女や少女の両親への罪悪感はなく、いかに自分たちがそれを切り抜けるかという冷徹な思考ばかりである。少女をどのように「処理」するのか、残酷さと冷静さが夫婦を支配してしまう。こうした両親を傍目にみながら、母親とエジプトに逃避の旅行に出かける。
 死体を「処理」した父親がBennyに「どうしてあんなことをしたんだ」と聞く。それに対して「どんなものかと思って」という答えをする。このやりとりを新聞記事で読んだことがこの映画の着想になっているようである。ちょうどこれと同じような台詞を日本でも言った少年がいた。Bennyは一貫して自分の感情や自分の考えを言語化することができないでいる。これは自分と世界との関係のリアリティが欠如しているということなのだろうか?
 Bennyはどうして少女を殺してしまったのか。これは本人さえも分からないし、この映画でも安易な答えは用意されず、その問いは我々観る者に突きつけられている。自分もよく、判らない。ただBennyが少女を殺害したのは確かに衝動的で、はずみのようなものであるが、彼に引き金を引かせたのは彼に植え付けられている男性性だったのではないだろうか。少年が少女を殺害する時、女の子に男の子が「弱虫」となじられ、男の子は「弱虫」であることを否定するが如く引き金を引いてしまう。この直前には女の子のが「弱虫」となじられたにもかかわらず、引き金を引かなかったことは、個人差ではなく、一般的に男の子の方がより自らのプライドに固執していることが遠因となっているように思えてならない。統計的に男性の方が自殺の確率が高いこともある種の屈辱からの立ち直りにくさや屈辱を受けたときのダメージの大きさが遠因としてあることと通底しているのではないだろうか。
 全編を通してBGMのようにボスニアの内戦のニュースが流れる。メイン・ストーリーのなかの一つの不幸と、背後に流れる現の不幸。たった一人にさえやってはいけないことを、その何倍、何十倍、何百倍、何千倍という単位で行っているのが戦争である。Bennyが行った殺人と同様、ボスニアの殺戮にもそれぞれ物語があったはずである。我々はBennyがなぜ少女を殺したのかという問いかけと同様の重さで、その他の殺戮を考えているだろうか?Haneke監督は多くのことを、我々に問いかけている。そして、我々は自分自身を試されている。