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03 février 2007 

juror japonais:journal

 裁判員制度。僕は実はこの制度が導入される意味がよく分からない。最近の新聞では何故これが導入されなければならないのか、という議論をすっ飛ばして「もし選ばれたらやりたいか」とかそういった統計ばかりが目を惹く。さらにタウンミーティングのように「裁判員制度全国フォーラム」で謝礼を払って参加者を「動員」していた問題も浮上している。一体、ここまでするのはどうしてなのだろう?少しだけ調べてみたが、どうもスッキリしない。以下のサイトで「導入の経緯」というのがあったので、閲覧して驚いたのは、何月何日に委員会が開かれましたという「実績」だけ。そこで法律に当たってみた。

  (趣旨)

  第一条 この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ、裁判員の参加する刑事裁判に関し、裁判所法(昭和二十二年法律第五十九号)及び刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)の特則その他の必要な事項を定めるものとする。

これを読むと、何だか国民の教化のためにこの制度が導入されるような印象を受ける。
もう一つ、Q&Aの答えには以下のように説明されていた。

   裁判員制度の導入により,法律の専門家ではない国民の皆さんが裁判に参加し,国民の皆さんの感覚が裁判の内容に反映されるようになります。そして,それによって,国民の皆さんの司法に対する理解と支持が深まることが期待されているのです。平成11年からの司法制度改革の中で,有識者を加えた審議会による議論に始まり,長い議論を経て,今年,導入されることが決まりました。
 また,同時に,裁判員制度では,職業や家庭を持つ国民の方々に裁判に参加していただくことができるようにする必要がありますから,裁判が今よりもずっと迅速に行われるようになることも期待されています。
 また,裁判の手続や判決の内容を裁判員の方々にとって分かりやすいものとする必要がありますから,国民にとって分かりやすい裁判が実現されることにもなります。

上記を読んで以下のような感想をもった。
・裁判に反映されるのは国民の「感覚」ではなく、国民の「感情」になってしまうのではないか。
・「司法に対する理解と支持」というのが目的なら、学校教育や何かで教えればいいのではないか?いきなり生の人間を処罰して「理解と支持」をしてもらおうというのは飛躍していないか?これが「判決に対する理解と支持」なら職責回避ではないのか?
・長期間議論されたことは判るが、議論の内容が知らされていない。議論の時間が問題ではないのでは?
・裁判員制度で国民を入れないと、
裁判の迅速化ができないのか?また裁判の長期化にはそれなりの理由があるのでは?
・一般に非常に難しいこと判りやすく教えるためには、深い理解が必要である。こうした芸当ができるのは本当にそのことをよく理解した人だけである。また、難しいことを判りやすく説明することで、どうしても削り落とされる情報や、飛躍がでてくるが、こうしたことは一般国民の「感覚」に委ねていいのか?
 なんだかどれもこれも問題とその解決法が対応していないように思える。最近、交通事故で亡くなった遺族が被告人の量刑を重くするために署名を集め、検察に提出したというニュースがあった。子供を失い、応報感情を事故の加害者に向けたくなるご遺族の気持ちも感情的には理解できる。しかし、もし今後、司法の論理ではなく「国民感情」によって判決が決まってしまうなら、それはそれで恐ろしいことだと戦慄を憶えずにはいられない。裁判員制度は国民が裁く制度である一方、「感情に流された国民によって自分が裁かれる」制度にもなりうる。犯してしまった罪と量刑が釣り合わない事例も出てくるだろう。
 もしこうした制度を導入するなら、刑事裁判だけでなく、民事裁判にも適用して欲しいものである。嘉手納爆音訴訟などで国民の「感覚」が反映されるなら、この国のあり方や政府の方針も変わってくるだろう。裁判所がその役割を回避し、判決を出さない、あるいは門前払いをするという状態も変わるかも知れない。
 僕自身、裁判員に選ばれるのはイヤである。できれば断りたい。人の上に立ったり、人を裁いたりするのは決して気持ちいいものではない。出世も案外、人が思うほど羨むことではないのではないかと思っている。人を裁くような嫌なことはそれを職業として選んだあなた達がやってください、と言いたい。それがイヤなら辞めればいい。
 最初の問いに戻るが、この制度を導入したい本当の理由はなんだろうか?上記とは全くかけ離れたところにあるのではないかという印象を受ける。今度、法曹関係の人にきいてみたいものである。