sous-titre:journal
僕はそれほど英語ができる訳ではないが、アメリカ映画を観ていると「この字幕はあのババアだな」と、ある翻訳者の顔が浮かぶ時がある。たまたまテレビで放映していた『ブリジット・ジョーンズの日記』を何気なくみているときにも「またか」という思いであった。'Bridget Jones, already a legend.'という台詞を、「ブリジット、君はスターだ」と訳していた。直訳しても十分に意味が伝わり、しかもよりセンスが感じられるのにどうしてダサイ訳をわざわざ付けるのだろう。彼女の訳はあまりにも表現がかけ離れた「超訳」に近いので、原語の発音と字幕がシンクロしないので、ストレスがたまる。
僕の単なる印象なのだが、フランス映画の日本語字幕は比較的原語に忠実に訳されているように感じられる。中国語の字幕は時に翻訳が英語経由だったりすることもあり、そのためか作品によって原文の忠実度にばらつきがあるように感じられる。しかし、あのオバサンの訳した日本語ほどかけ離れた印象はない。この違いの一因は、翻訳者の翻訳に対する考え方にあるのだろう。つまり、英語のオバサンの場合、原文の趣を伝えることより、自らの日本語世界を構築する方に心血が注がれているように思う。つまり、原文を全くrespectしていないのだ。彼女はフランス語の字幕作成者がフランス語を愛するように、英語を愛していないのではないかとさえ思う。もちろん、字幕という制約があることも承知している。しかし、上記の例のように、制約だけが理由では決してないと他の言語の字幕を比較して思う。
僕の単なる印象なのだが、フランス映画の日本語字幕は比較的原語に忠実に訳されているように感じられる。中国語の字幕は時に翻訳が英語経由だったりすることもあり、そのためか作品によって原文の忠実度にばらつきがあるように感じられる。しかし、あのオバサンの訳した日本語ほどかけ離れた印象はない。この違いの一因は、翻訳者の翻訳に対する考え方にあるのだろう。つまり、英語のオバサンの場合、原文の趣を伝えることより、自らの日本語世界を構築する方に心血が注がれているように思う。つまり、原文を全くrespectしていないのだ。彼女はフランス語の字幕作成者がフランス語を愛するように、英語を愛していないのではないかとさえ思う。もちろん、字幕という制約があることも承知している。しかし、上記の例のように、制約だけが理由では決してないと他の言語の字幕を比較して思う。
