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29 mai 2007 

LA FORÊT DE MOGARI:films

河瀬直美監督の『殯の森』を観た。
奈良のグループ・ホームで働く真千子。彼女は息子が死んだのは自分のせいだと思い詰めている。そのホームには30年も前に妻に先立たれた茂樹がいる。彼の痴呆は進んでいるが(進んでいるからこそ)、妻のことを今でも思い続けている。最初は真千子はどのように茂樹に接したらよいか分からず、硬い表情で茂樹に接している。茂樹とトラブルがあった後、「こうしなきゃならないことなんてない」という同僚からのアドバイスを受け、力が抜けた真千子は茂樹との関係を縮めていく。
 ある日、真千子と茂樹を乗せた車が脱輪し、目を離した隙に茂樹は森の中に入ってしまう。茂樹が亡き妻の墓参りに行くことを思いついたからだ。彼を真千子は追いかけるが、携帯電話も通じない樹海とも言える森で二人は迷ってしまう。
 新芽が芽吹く眩しいばかりの初夏の緑と、もはやみどりなす黒髪もなく、白髪となった老人。しかし、白髪の老人は子供のように無邪気で、体力が尽きるまで森の中を突き進む。我々は普段、躓かないように、怪我をしないように、汚れないように人生を歩もうとしている。怪我や疲れや汚れを恐れずに歩く茂樹の姿をみていると、逆に我々が不自由な人生を歩んでいるような気になってくる。
 この映画は全編、豊かな緑に溢れるシーンが続くが、特に好きなシーンがある。茶畑でおいかけっこするシーンだ。緑豊かな場所で子供のように無邪気に笑い、逃げ、走るシーンは本当に美しい。また、河瀬監督は老人を若々しく、美しく描こうなどとはしない。年老いた人々に刻まれた皺のカットも、そこに敬意を感じる。そして、どうしても手放さなかった黄色いリュックを真千子に背負わせるシーンは、二人の間に信頼関係ができたことを表す重要なシーンである。このシーンが一番、好きだ。だが、この映画の重要な点は映像の美しさではなく、やはりテーマ性である。
 老いることは、死ぬことよりもリアルで深刻である。生活や思考の隅々に至るまで我々は無意識のうちに経済的合理性に則っている。多くの世間の価値観もそれを基準にしている。社会に対して何も貢献できない存在が疎まれるような世の中にあって、消費や生産活動から離れてしまった老人がどんどん肩身の狭い思いをしなければならなくなっている。それは日本だけの状況ではないだろう。自分がどんな姿になっても、自分の存在は肯定されるのであろうか?老いさらばえ、意識が混濁し、四肢も不自由になって、人に与えるお金がなくなってもなお、自分はこの社会で受け入れられるのだろうか?社会のお荷物になったら捨てられる、そんな不安の中で我々は生きている。
 ミシェル・フーコーを持ち出すまでもなく、我々は社会にとって不都合な存在を目に見えないところに囲い込んできた。病気や狂気、そして老いも人目につかない場所に追いやられている。そうした近代の歴史に反し、河瀬監督は痴呆の老人を自然の森の中に解き放った。この意味は、ことのほか大きい。
 真千子の行動をみていると、痴呆と向き合う際に極めて重要なスタンスを示していることがわかる。それは茂樹の世界を否定することなく、茂樹の世界で遊ぼうとする姿勢である。ここに真千子の強いプロ意識をみる。だが、いくらヘルパーを仕事にしているとはいえ、真千子のような女性は現実にはいない、と思うだろう。真千子ぐらいの年齢の女性ならきっと後で探しに来ることを理由に老人を森の中に置いていくだろう。度を越しているとも思える献身的な真千子の姿をみていると、『永遠の仔』の優希を思い出す。真千子の献身の背後には彼女の息子に対する贖罪意識が強く働いていたのだろう。その姿が必死に患者に向き合う優希の姿とどうしても重なってしまう。献身と依存。これは表裏一体である。あれほど人に献身的でいられるのは、彼女が自分の存在が虚無に思えるほど深く、深く傷ついたからであろう。一見、助けているように見える真千子は実は茂樹に依存している。そして、茂樹の導きによって、人々の喧噪から離れ、真千子は失われた息子の死を心から悼み、悲しむことができる安らかな場所にたどり着くのである。
 Gus Van Sant監督のLAST DAYSも、次第に朽ち果てていく若者と光り輝く緑の森の対比が印象的な一本である。しかし『殯の森』とは全く反対のベクトルをもつ。LAST DAYSは尊敬と羨望の眼差しを一身に集めるスターが絶望的な孤独のうちに死んでいく姿を淡々と追った作品だが、『殯の森』にはこのような死臭は漂ってこないばかりか、大切な人の死を乗り越えて生きていく希望の光がみえる。老いること、生きていくこと、悲しみを乗り越えること、人を慈しむこと、自然と一体になること、「日本文化」が理解されたということではなく、こうした普遍性が高い評価を得たのだと思う。