L'argent:films
Robert Bresson監督のL'argentを観た。少年が偽札を作り、それを使用したことから連鎖的発生する、人々のありさまを描いた作品。少年から偽札を掴まされた写真屋は、それを「使ってしまおう」と思い、使用人に命じて配管工に掴ませる。配管工が偽札を手にしてからというもの、彼の人生は音を立てて崩れていってしまう。誰も彼の言葉を信じないが、彼は簡単に人の話を信じて犯罪を犯してしまう。映画の中盤まで一種の群像劇のような形をとるが、物語は次第に配管工の話に収斂していく。映画の中で「お金とは目に見える全能の神だ」という台詞がある。元配管工は仕事を失い、家族を失い、出所後、よるべない自分を受け入れてくれた一家を惨殺してしまう。彼はホテルでも金を奪い、金はどこだ?と言いながら一家を惨殺するが、彼が何かを買っているシーンは出てこない。ラストで一杯の酒を頼む時だけである(しかも、支払いのシーンはない)。何のために殺人を犯すのか?金という「至高の価値」が元配管工の人間性を狂わせてしまう。
この映画は信頼に基礎を置いた社会システムが人々の信頼を逆に崩壊させる皮肉を描いているようにも見える。簡単に人は信頼しないと豪語する者も、社会システムは信頼している場合が多い。レストランに行けば誰が料理を作っているか知らずとも、それに毒が盛られているとは思わないし、タクシーに乗れば運転手が誰かを知らなくても拉致されることはないと信じている。考えてみれば不思議なことである。社会が根拠のない信頼を基礎に成り立っていることを示す最も端的な例はお金であろう。
お金というものはそれに信用があることではじめて成り立つものである。金や銀とは違って紙幣は紙切れなので、それ自体に使用価値がない。そのため、紙幣が紙幣としてそれ相当の価値があるという信頼に基礎を置いた共通認識がなければ流通することはない。逆に言えば、信用があるからこそ、貨幣は流通することになる。現在では貨幣ではなく、通帳に書かれている残高(という数字)や、クレジットカードが貨幣に代用されているが、強固なセキュリティに対する信頼を背景に成り立っている。映画の中でも、カード犯罪をするシーンも出てくるが、これはその延長線上にあるものである。
この作品、登場人物の感情の起伏が俳優たちの演技ではあまり表れてこない。暴力シーンも直接的な描写を避け、極めてドライに描かれている。トルストイの短編を原作とするが、こうした乾いた映像はニクラス・ルーマンの社会理論のドライさに通じている。 偽札を掴まされた配管工の末路を観ながら、すこしゾッとした。僕自身がパリで偽札を掴まされそうになったことがあるからだ。(このエピソードはこちら。)邦題は『ラルジャン』、お金の意。
