« Home | What would $456 billion buy?:journal » | un homme ordinaire:films » | saison 2006-2007:journal » | The Constant Gardner:films » | Monsieur Bowling:journal » | BABEL:films » | Les professeurs:journal » | La rose bleue :journal » | cours anglais:journal » | Le monstre:films » 

13 mai 2007 

Une affaire de Goût:films

Bernard Rapp監督のUne affaire de Goûtを観た。
実業家のFrédéric はレストランで給仕をしていたNicolasに出会う。数日後、FrédéricはNicolasに高額の報酬で自分の味見係になるように誘う。Nicolasは最初この風変わりな男を利用して、金を絞り出してオサラバするつもりだったが・・・
 FrédéricはNicolasを自分と同じ感覚をもつようにするために一種の「調教」をしていく。最初は食事の味見だけであったが、次第に選ぶ女性やスキーのコースなど、あらゆる面の「味見」をさせるようになる。Nicolasは時々反発するも、次第にそうした隷属関係を内面化していく。二人がシンクロしていく度合いが高まり、Nicolasは最初に抱いていた打算抜きに彼により同化しようとする。
 この二人はそれぞれヘテロ・セクシュアルであるが、二人の間に漂う不思議な雰囲気は性愛を抜きにした同性愛のようで、しかもsadisticかつmasochisticである。これが金にも不自由しない、成功した実業家の「お遊び」であるならまだしも、
Frédéricはあくまでも本気(マジ)・モードなのである。セクシュアルな関係から離れた両者の同化への欲求は屡々観る者を混乱させる。Jean=Pierre LEO扮する判事が狂言回しのように彼らに関係した人々を尋問するシーンから二人の関係が悲劇的な形で終局を迎えたことがほのめかされる。判事はある種の世間的な常識を体現する者として登場するが、全編を通して倒錯的で、官能的で、ミステリアスな雰囲気が濃厚に漂う。
 この物語は心理劇として成立しているが、こうしたことはわれわれの日常にも存在しているような気がする。つまり、誰か(あるいは何か)に隷属すること、誰か(あるいは何か)と同一化したいという欲求がその人の感覚を崩壊させてしまうということである。組織の中で生き延びるために組織の論理に染まってしまったり、恋愛の中で自分を見失ったりすることはこの物語の主人公のありようと相似している。人が個人の考えよりも組織の論理が優先させるようになるのはこうした隷属状況から生まれてくるのではないかと思える。こうした異常な状態はNicolasだけでなく、
Frédéricに仕える人々も共有している。極端な例示であるが、この物語はある種の人間の側面を言い当てているともいえる。『薬指の標本』同様、フランス映画の面目躍如といった感じの作品。邦題は『趣味の問題』。