« Home | We don't live here any more:films » | Spiderman3:films » | Une affaire de Goût:films » | What would $456 billion buy?:journal » | un homme ordinaire:films » | saison 2006-2007:journal » | The Constant Gardner:films » | Monsieur Bowling:journal » | BABEL:films » | Les professeurs:journal » 

20 mai 2007 

Funny Games:films

Michael HANEKE監督のFUNNY GAMESを観た。
バカンスで湖の畔の別荘に訪れたショーバー一家とその愛犬。隣人と挨拶を交わし、夫と子供はヨットを湖に浮かべに、妻は食事の支度にとりかかる。すると白い手袋をした男が隣家からタマゴを借りに来た。日本で言うなら醤油を借りるような気楽さで。妻は男にタマゴを渡すが、男は落としてしまう。妻は落ちたタマゴを拭き取るが、次に男はうっかり(?)電話をシンクに落として壊してしまいながらもさらにタマゴを求める。次第に妻は苛立ち、男を帰そうとしたら、別の男が入ってきた。その男は高級ゴルフクラブを打ってみたいと言いだす始末。彼らの図々しさに妻が腹を立てているところに夫が帰宅。夫は彼らを部屋から追い出そうとしても、難癖をつけてくる。そして、腹を立てた夫は男の一人を平手で打ったその直後、ゴルフクラブで脚の骨を折られてしまい、男たちは夫、妻、息子を監禁状態にして家に居座ってしまう・・・。
 前置きが長くなったが、タマゴを譲ることからどうしてこんなことに?という状況に一家は陥ってしまう。ラストまでみると、それが全て彼らの計算で、ショーバー一家も何番目かの被害者一家であることが判る。一家にとっては不条理極まりない状況で、押し入った男たちの横柄で冷徹な振る舞いに観ている側も嫌悪感が増幅していく。また、途中で押し入った男が観客に向かってウィンクしたり、話しかけたりする。あたかも中の男たちが観ているわれわれを意識しているように。これにより観ている者も彼らの鬼畜の所業に助ける手だてもなく立ち会わされてしまう。
 この社会ではあらゆるものが商品として流通している。人の命や暴力、性、感情までも商品となる世の中に生きている。映画やドラマ、小説、ゲームのなかで暴力は一つの娯楽として日常に浸透している。このことの是非はおくとして、これが現実である。理不尽な暴力に対して、暴力で立ち向かう勧善懲悪の物語にしても暴力はある種のカタルシスを感じさせ、人に爽快感や時に「癒し」さえもたらしている。ファニーゲームで繰り広げられる暴力は決してそうした類のものでなく、あくまでもグロテスクでおどろおどろしいものとして描かれている。残虐シーンは映像に出てこないのに、強烈な暴力性を感じる。ある意味で娯楽としての暴力表現を裏返したような作品で、観客に何らプラスの感情をもたらさないよう、巧みに演出されている。この映画は確かに嫌悪感を引きずるものであるが、逆に暴力で爽快感を感じる感性の方が、倒錯していると言えよう。写真家のジェームス・ナクトウェイは「戦争はたった一人の人にもやってはいけないことを万人にやっている」と述べた言葉を借りれば、映画は一人の人にもやっていけないことを万人にやっている、ということになる。
 押し入ったのは大学生ぐらいの年齢の若者である。若者は大人にとって予測不可能の危険に満ちた「他者」なのかもしれない。最初、若者たちが一家をいたぶるのは彼らの被った「不快」に対する代償なのかと思ったが、そんな単純なことではないのだろう。
この若者は一体、何を考えているのか?将来をどう考えているのか?これまで一体、彼らに何があったのか?こうしたことは一切、語られない。その分、恐い。この作品、ハリウッドがNaomi WattとTim Rossを迎えてリメイクするそうである。監督はもちろんHANEKE。ただではリメイクしないような気がする。邦題は『ファニーゲーム』(原題はFunny Gamesと複数形になっていることに注意)