CAPOTE:films
Bennett Miller監督のCAPOTEを観た。1959年カンザス州の田舎町で一家4人惨殺事件が発生する。この事件を知った作家カポーティは、この事件にインスパイアされ、現地へと取材に向かう・・・。この映画の大きなテーマは、作家による取材対象の搾取である。CAPOTEは看病したり、差入れをしたり、弁護士をつけたりして容疑者ペリー・スミスとの信頼関係を築き、多くの事を引き出しながら作品を書き上げていく。彼は自分と同じような境遇におかれて幼少期を過ごした容疑者に心情的に強く惹きつけられ、彼を失いたくない(この感情には彼を再び執筆活動へ駆り立てたことへの思いがあったのかもしれない)と思う一方、彼が死刑で死ななければ作品が成り立たないことへの焦りとの間で激しく動揺し、ついには破綻をきたしてしまう。彼は結果的に自らの名声を容疑者の感情や人権よりも優先させ、容疑者をCAPOTEの立場を危うくしてまでも守るべき相手とはみなさない。彼の恐ろしいまでの身勝手さに、一体、どちらが「冷血」なのか判らなくなってくる。
この映画は実話に基づくものであるが、一つのサスペンスとしても非常に面白いものであった。しかもこの映画の題材は極めて現代的である。ノンフィクション・ノベルという分野がその誕生から取材対象を搾取することで生まれてきたこと、そしてそれと同様の問題が現在でもなお存在することである。取材する側、そしてされる側。極めて多くのパターンがあるが、この間には一定のモラルと信頼関係が必要になろう。昨今の報道をみていると、取材する側の論理とエゴと傲慢さがむき出しになっているような気がしてならない。
こ の映画を観てあれ?と思ったのは主演のPhilip Seymour Hoffmanがいやに小さく見えることである。彼の作品は数多く観ているが、彼が小柄であったという印象は全くない。むしろガタイがいい方だと思ってい た。注意して観ていたら、肩幅の狭いコートを着ていたり、朗読会の講演台が大きく、高めになっていたり、主要キャスト以外に看守その他のエキストラにまで 高身長の俳優を起用しているようだった(高身長の人独特の身のこなしというのがある)。共演のCatherine Keenerも5’9”=180cm近くとPhilip Seymour Hoffmanとほぼ同じである。Hoffmanのダイエットの効果もあるだろうが、全編を通してCAPOTEを演出している。
