آواز گنجشکها
Majid Majidi監督のآواز گنجشکهاを観た。一人の息子と二人の娘の父親は、ダチョウを飼育する農場に働いている。しかし、飼育するダチョウの一匹が逃走してしまう。ダチョウ一匹は200万トマン。父は自らダチョウに扮装してまで探し回るが、見つからない。さらに、娘の補聴器が汚い井戸に落ちて壊れてしまった。彼は補聴器を修理しにテヘランに向かう。その際にバイク・タクシーに間違われたことで、予想外のお金を手にすることになる。最初は運賃も言い値でそれで儲けるなど考えなかったが、次第に欲得の感情が芽生えてくる。それから彼は街で白タクをしたり、街の廃品を集めて何とかお金をかき集めようとするのだが、補聴器を買うという目的が、お金を儲けたり、廃品を集めることが目的化していく・・・。
物語はこの一家の主であるお父さんの行動を終始追うことでストーリーが展開していく。それに子供たちの夢である金魚で一攫千金を目論むエピソードが絡む。
劇中に「勤めても一ヶ月の給料は15万から20万しか稼げない」とあったので、逃げたダチョウは、一匹といえどもほぼ彼らの年収に相当するのだろう。補聴器を娘の試験に間に合うよう、病院以外で買った場合、35万かかるとあったので、こちらも高価である。
何とか父親はお金を得ようとするのだが、このオヤジの行動は常に思いつきに基づく。働く内容も行き当たりばったりなので、何をやっても不慣れな父親の姿に観ている側もハラハラする。
オヤジはダチョウの卵で作った料理を家族以外に分け与えたり、近所の人にドアをあげたりと、性格はとても博愛的なのだが、田舎と都会を行き来するうちに、そんな彼にも少しずつ変化があらわれる。一度近所の人にあげたドアを、相手の意向も訊かずに取り戻したり、金魚を買うために路上で花を売る子供たちに激しい剣幕で怒り狂う。父に比べると、子供たちの行動のほうが、より計画的で地道なように映る。井戸の汚泥やゴミをさらい、小鳥が巣作りをするほどに美しくし、井戸を再生させるのだから。
イランの映画には、人生の教訓のようなエピソードがいくつも織り込まれ、何故かこちらは納得させられてしまう。強欲な輩には報いがあり、正直な人間には幸運が訪れる。オヤジは結局、拾ってきた廃品の山によって大怪我を負ってしまう。一方、金儲けという「不純」な動機に基づく子供たちの計画も、思わぬことで頓挫してしまう。タンクの中の金魚を救うために、その数秒前まで丁寧に扱っていた商売道具の鉢植えを、あっさり投げ出してしまうあたりは、やはり子供なのである。
しかし、この監督は必ず最後になにがしかの「救い」を用意してくれる。彼の作品のラストは、いつも美しく、印象深い。ゴールデン・ウィークにアッバス・キアロスタミのデビュー作『友だちのうちはどこ?』を観たが、これも同様に、観客の心を和ませるさりげないラストを用意されていた。なかなか素晴らしい作品である。
なぜこんな良質な作品が劇場でかからないのか、不思議であり、残念でもある。邦題は『すずめの唄』。劇場未公開。シネフィル・イマジカで観る。
全くの余談だが、GWにキアロスタミ監督の『ホームワーク』という作品を観た。この作品は、宿題を題材に多くの小学生にインタビューをするという趣向の作品だが、1989年当時のイランにおいて、親のしつけは相当厳しかったようである。親が子供を叩くときは、殆どの場合、ズボンのベルトを鞭にして叩くようなのだ。この『すずめの唄』においても、同様のシーンがあり、父親はベルトを使っていた。「ああ、やっぱりね。何だかリアルだな〜」と思った次第である。
