Jours avec cochon:films
前田哲監督の『ブタがいた教室』を観た。6年生を担当する星先生は、ある日、クラスの児童の前に一匹の子豚を連れてくる。先生は、その子豚を育て、最後にはその豚を食べることを児童たちに提案する。児童たちは子豚が最終的にどのような末路になるかについては深く考えず、Pちゃんと名前まで付けてペットのように飼い始めるが・・・。
飼い始めて6ヶ月がたった頃、Pちゃんの処遇を決めるのクラス会が開催される。その子供たちが議論する場面がなかなか凄い。子供であるだけに相手を論破するに容赦がない。食べたくないという素直な感情と最初の原則に戻ろうとする意見が真っ正面に衝突する。これが凄い。実話をもとに作られた作品のようだが、なかなか興味深い。議論の場面は、演技しているようには見えなかった。
人には情というものがある。譬え食べるつもりで飼っていたとしても、長い間、苦楽をともにすれば情愛が生まれてくる。児童たちは、時が経つにつれて、ブタをどんどん人間のように扱うようになる。名前を付けるだけでは飽きたらず、クリスマスプレゼントを持ってきたり、豚小屋に飾り付けをしたり・・・。
ある動物が愛玩動物であるか、食肉動物であるか決めるのは、「文化」である。有り体に言えば、人間の都合というものだ。犬は駄目で、豚はOKというのは、文化によって決まる。もちろん、人間も食べられる生き物だが、それを食べないのは、文化が規定するタブーがあるからだ。日本における豚の場合、昨今では愛玩動物として飼育する人もいるが、一般の認識としてはやはり食肉である。この辺が、この作品を興味深いものにしている。生物的に鳴くことがないジャガイモや魚では、きっと児童たちは「食べない」という選択肢を選ばないだろう。豚は可愛いから、あるいは可哀想だから食べないというのは欺瞞だ。
こういう体験を児童たちにさせることには、賛否があるだろう。しかし、ボクは大いにすべきだと思う。物事を根源的に考えるということはやはり必要だからだ。子供にとってはショッキングだろうが、自分たちの生がそうしたものから成り立っていることを直視することも必要だと思う。実際に児童たちは、貴重な経験をしたと思う。世の中は割り切れないことばかりだということを幼少期に思い知る機会は、案外に少ない。人生において葛藤がないということが、いいことだとは思わない。
少し気になったのは、ブタを料理として出しているお店が、沖縄料理店だということ。料理人のお父さんの服装や、台所に並べられるゴーヤーがそのことを示している。本土の人々も豚肉を食べるだろうに、こうした演出はなかなか巧妙である。それはともかく、卒業式の手話の振り付けを交えた歌の歌詞もすごい・・・最近の小学生はあんな歌を歌って卒業するのか?
作品のコンセプトは随分と違うが、Nikolaus Geyrhalter監督の『いのちのたべかた』は同様の問題を考える上でとてもいい作品である。その作品でみられる食肉のありかたは、動物を徹底的にモノとして、あるいはパーツとして扱うという姿勢だ。子供たちに見せたらさぞかしショックを受けるだろうが・・・。『ブタがいた教室』では、あそこまでやるのだったら、最後に食べるというところまでやるべきではなかったか?少なくとも映画的にはそうすべきだったと思えてならない。その点に詰めの甘さを感じる。
