« Home | ETERNAL SUNSHINE:film » | FARGO:film » | CRASH:film » | Apprendre la langue étrangère avec iTune+iPod:journal » | BOURNE'S SWAN LAKE:journal » | Ensemble Clément Janequin:journal » | Even a Monkey Can Draw Manga:journal » | Le site de TV5:journal » | reunions: journal » | TEMPURA:journal » 

21 avril 2006 

THE BELLY OF AN ARCHITECT:film

Peter Greenaway監督のTHE BELLY OF AN ARCHITECTを観た。アメリカ人建築家ストーリー・クラックライトは妻とともにローマに入る。彼の敬愛する建築家Etienne-Luis Bouléeの回顧展をプロジェクトするためである。式典のあと、ホテルで妻とベッドに入った時、突然腹痛に襲われる。それからというもの、彼は「腹」に対して異常ともいえるほど執着していく。
 最初にこの映画を観たとき、対称に配置されるカメラの構図とクラックライトの腹を蝕む病魔と死へとりつかれて精神をも病んでいく姿と、妻の腹のなかで成長していく子供がちょうど対照的に描かれている作品と「理解」し、そこに構成の妙を感じつつも、印象としてはそこまでしか感じ取れていなかった。しかし、ある批評を読んで、自分がこの作品のほんの一部しか理解していなかったことを思い知らせれた。
 その批評とは鵜沢隆さんの「ふたつの世紀末」という文章である。以下にその一部を引用する。

 「死という個人的な時間の停止への意識から呼び醒まされる、「不滅なるもの」あるいは「歴史」への意識がひとつの伏線となって、この映画の中で同時に進行するふたつの対比的な時間。ひとつは、ひたすら建築家クラックライトの死へと収斂してゆく時間であり、もうひとつは妻ルイーザの妊娠から出産へと至る、新たな「生」が懐胎される時間である(映画のなかの時間は9ヵ月という妊娠期間と符合する)。ここに死と生あるいは「生殖」がひとつの円環をつくりだす。建築家の腹に秘められた死への予感と、妻ルイーザの腹に宿る新たなる生。  建築家クラックライトとその妻を迎えて、パンテオン前の広場で催される晩餐会(『コックと泥棒、その妻と愛人』のような、カメラと対峙する一列形式の配置)のテーブルの中央に置かれた、ブレーの「ニュートン記念堂」を模した砂糖菓子のデコレーション。その配置はグリーナウェイが得意とするシンメトリーの構図に従っているが、その軸線上に並んだニュートン記念堂、建築家、そしてパンテオンの配列は、ブレーの空間的イマジネーションの源泉が古代ローマの建築にあったという暗示以上に、はるかに直接的な比喩である。ニュートン記念堂が、巨大な球体を戴いた壮大な幾何学によるプロジェクトであることと、パンテオンの内部空間に内接する球体の幾何学とは相似関係にある。そして、そのプロジェクトがニュートンのためのメガロマニアックな墓碑として設計されたことと、墓所としてのパンテオン(画家ラファエッロやヴィットリオ・エマヌエーレ2世などの墳墓が納められている)とが重なり合う。この時すでに建築家はふたつの墓所に挟まれていた。 ブレーのニュートン記念堂のドローイングの特異さは、その圧倒的なスケール感にあるばかりでなく、石で積み上げられた巨大な量塊の上に整然と配置された、円環状に球体を取り囲む3段の糸杉である。たとえば、象徴主義の画家A.ベックリンの代表作「死の島」で描かれた闇のなかに浮かぶ孤島には糸杉だけが屹立していたように、糸杉とは死の象徴である。砂糖菓子で作られたニュートン記念堂のデコレーションには糸杉の代わりに火の点けられた蝋燭が並べられているが、これもやはり消えゆく存在への暗喩である。 ところで、生と死の連関についてはすでに触れたが、この映画の中にはニュートン、ブレー、クラックライトを介した時間の連鎖が隠されている(数の連鎖ゲームは次の作品『数に溺れて』でより一層明瞭になる)。「理性(リーズン)の時代」の申し子となる建築家ブレーの誕生は、ちょうどニュートンの死の翌年の1728年であった。偉大な天体・物理学者の死と建築家(ヴィジョネール)の生との連鎖。さらには、もうひとつの時間の連鎖が周到に仕掛けられている。ブレーがニュートンに捧げたオマージュとしてのこの墳墓のプロジェクトを描いたのが1784年。そして映画のなかでクラックライトが監修するブレー展の会場として選択された「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」(ジュゼッペ・サッコーニ設計、新古典主義を経由した折衷主義の建築)は、ちょうどその100年後に計画された建築である。さらにはグリーナウェイのこの映画の構想は、そのさらに100年後にあたる。この映画のなかの空間は、それぞれの時代の世紀末を精緻なまでに貫通している。ちなみに、ニュートン記念堂から逆に100年遡ってステップした17世紀末は、グリーナウェイが撮った長編映画第一作である『英国式庭園殺人事件(画家の契約)』(1982年)の世界である。その映画は画家の技(アート)である透視図法という幾何学と「死」がクロスする筋立てであった。」・・・引用終了  
 冒頭の私の感想とこの引用を比較すれば、私が監督が込めた意味を全く理解していなかったことをおわかり頂けたとおもう。建築史への理解なくして、この作品を語ることが極めて難しいことを痛感した次第である。この批評を読んだあと、この作品をもう一度じっくり見てみてみた。改めて、感嘆の声を上げた次第である。邦題は『建築家の腹』。