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19 juin 2007 

ZODIAC:films

David Fincher監督のZODIACを観た。
1969年、カップルが襲撃され、女性は死亡、男性も重症を負う事件が起こった。その後、新聞社にZODIACと名乗る男から犯行を告白する手紙と暗号文が届けられる。暗号文を新聞に掲載しないと連続殺人を行うという予告もついていた。それが報道されるや、偽情報が飛び交い、模倣犯が登場し、はたまた自分がZODIACであるという一般人が警察に多数押しかけるなどメディア・社会を巻き込んだ劇場型犯罪に発展していく。その後も多数、事件が発生するが、ちっとも事件解決の糸口は見つからない。そして、ZODIACの被害者だけでなく、メディア、警察をはじめとするこの事件に関わった人生を少しずつ狂わせる・・・。
 ハリウッド版『殺人の追憶』(ポン・ジュノ監督。韓国作品)である。現在では未解決事件になっている凶悪事件が当時はどのように捜査され、どのように人々に受け入れられていたかを、当時の世相や流行、モードなどを織り込んで回想する作品。サスペンスの部類に入るのだが、実際の事件を知っている向きには半ば結末が判ってしまっている。しかし一方で観客にしてみれば、事件の行方を追うとともに、さりげなく「あのときはこんなことがあった、あんなことがあった。懐かしいなー」といった想い出に浸るような気持ちになるのだろう。そんな時代の記号が満載である。例えば、『ダーティー・ハリー』を上映する映画館のシーンが出てくる。『ダーティー・ハリー』はZODIACをモデルにした映画であるため、警察は犯人が自分がモデルになっている作品をきっと観に来るだろうという狙いのもとに映画館で張り込んでいたというエピソードもある。それに関する説明的な台詞は一切なかったが映画館のカットはそうした時代背景を一瞬のうちに切り取っている。
 "ZODIAC"も『殺人の追憶』も実際の犯罪に取材しているが、かなり犯人を絞り込め、追いつめるがDNA鑑定という当時としては画期的な屈強の「証拠」によって逆に予想が否定されてしまう点も共通している。双方を比べれば比べるほど、ZODIACは殆ど『殺人の追憶』を下敷きにトレースしていると確信させるような作品づくりになっている。
 事件から40年も経過していないが、CSIなどの科学捜査を見慣れている向きには当時の「科学捜査」のアナログぶりには逆に驚かされる向きもあろう。当時は電話の逆探知に15分もかかり、DNA鑑定も、声紋分析もやっている形跡はなく、有効な手がかりが筆跡鑑定という。さらに、メディアも送られてくる証拠を無造作に素手で手に取ったりしている。携帯電話もなく、警察も街角のPolice Phoneで電話をし、怪しければ即逮捕で尋問にかける(911以降の)ようなことはしていない。警察モノといえば、犯人を捜し当てるまでのサスペンス・フルな展開を期待し、ラストに意外な犯人がアッと観客を驚かせてエンディングを迎えるのがセオリーである。だがこの作品は現代との対比で当時の状況を再構成するところに狙いを定めている。サスペンス的な構成をしている予告編を観た人々は、まんまと一杯食わされたような気持ちになるだろう。人によっては憤慨するのかもしれないが、それは幼稚な反応なのだろう。例外的な状況を除き、日常の現実はもっと月並みで、愚かしいのである。