七人の侍:films
黒澤明監督の『七人の侍』を観た。映画史に残る傑作と誉れ高い作品だが、今回、初めて観た。僕は「時代物」と「バトルもの」は好みではないので、黒澤の作品は割合に避けてきた。同僚にビデオを借りたのだが、言葉遣いのせいか、音源の問題か随所に聞き取りづらい箇所があり、英語字幕を目で追いながら観た。特に「この飯、疎かには食わんぞ。」という漢文訓読調の台詞。つまりは「ごちそうしてもらったご飯は無駄にせず、ちゃんと報いるぞ」という意だが、巻き戻して英語字幕でそのココロを確認した。
この作品、長いなーと思っていたら3時間を超える尺があった。構成は大きく分けて、侍集め→戦いの準備→最後の戦いという構成をなしているが、侍たちのキャラクターがそれぞれ際だっているため、彼らがどのように戦いに臨み、どのように活躍するのかの楽しみが高まった。こうした展開は後生のドラマや映画、小説に多く取り入れられたのであろう。自分の中では小さいときから馴染みのある展開となっていることに気付いた。好きなキャラクターは林田平八。剣の腕は一流ではないが、場を和ませるムードメーカーとしての役割を期待された人物である。一流の腕をもつ久蔵に先んじてピック・アップされることからも、彼の重要性が知れるが、こうした演出も巧いと思う(呆気なく死んでしまったのは残念)。現代はこうした人間の存在を評価するようなシステムが次第になくなっているのだろう。一緒に仕事をするなら、久蔵タイプではなく、やはり平八タイプだ。あと、志村喬演じる勘兵衛は存在感は抜群。『生きる』の演技との対比で観ると、『七人の侍』が『生きる』の後に撮られたとは到底、思えない。彼の演技力がなせる技なのだろう。勘兵衛の落ち着いた物腰や笑顔、リーダーとして仲間を失って漂わせる哀愁は、人を惹きつけてやまない。こうしたリーダーも最近はあまり、いない。コアなファンをもつ所以もよく理解できる。志村喬は名優だ!と感心した。
また、侍と農民の距離感とでもいうのだろうか。侍のキャラクターがそれぞれ際だっているのに対して、農民はやや一枚岩に見えたが、農民を無垢な存在とは描かず、随所に彼らの本性を垣間見せ、したたかに生きる農民の姿が印象に残った。農民をただ守られるだけの弱い存在として描かなかったのは、黒澤の戦争体験もあるのだろうか・・・。
それはともかく、サムライたちは確かに格好良かった。ダンディズムを感じさせたし、プロフェッショナルとしての矜持もよかった。しかし、この作品を観ながら漠然と思ったのは、暴力が「娯楽」として人々の間に浸透したのはいつ頃なのだろう?ということ。多くの海外の監督に影響を与えたのも首肯できる。SAMURAIが格好いい存在としてあれほど世界に流通していることに、この映画は一役買っているのだろう。しかし、戦うことへの根源的な問いかけがあの映画にあったかは、わからない。いろんな意味で『七人の侍』は典型的な娯楽映画だと思う。
