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15 juin 2008 

三峡好人:films

賈樟柯監督の山峡好人を観た。
長江の三峡ダム建設のため、水没する運命の古都・奉節を舞台にした作品。この国家プロジェクトのために、130万人の住民が移住を余儀なくされた。130万人!この人数は沖縄県民に相当する。沖縄県以外なら山形、大分、宮崎・・・各県の人口を軽く凌駕する人間が移住をする計算だ。いくら国家プロジェクトといえ、これだけの人数全員に充分な補償をすることなど、どだい無理だろう。実際、劇中でも保証金をめぐって住民と行政が鋭く対立する光景が映し出される。
 話を映画に戻そう。この映画は、大きくは二つの物語からなる。一つは山西省で炭鉱作業員をしていた男・韓三明が妻と娘を捜す物語。もう一つはやはり音信不通になった夫を探しに山西省からやってくる女・沈紅の物語。そして、煙草、酒、茶、飴と題されたエピソードが横断的に物語を繋いでいる。男は無一文でやってきて、日雇いの労働者として働きながらいつ帰るとも知れぬ妻と娘を待ち、女は金持ちの女と懇ろになった夫を探す。どちらもいい歳をした中年の男女である。結婚はしたけれど、それぞれ相手と疎遠になってしまっている。新しいことを始めるにはやや遅すぎる年齢。特に、異性との関係においては、天真爛漫には行動できない年齢にさしかかっている。
 煙草や茶、飴、酒・・・それそのものは生きるためにどうしても必要なものではない。しかし、どれも日常のなかにあって心をホッと和ませるものだ。それにまして人に大きな安堵感をもたらすのは、人とのつながりである。この物語が人捜しを軸として描かれているのも、必然のように思える。
 この映画は淡々とした映像の中に中国の抱える様々な問題を垣間見せる。爆弾で一気に建物を破壊してしまうかと思えば、手持ちのハンマーで建物を壊す気の遠くなるような作業をしている者もいる。そして、殆ど裸で解体作業を進める作業員の隣で、全身完全防備の男が消毒薬を撒布している。低賃金の危険な作業で、みなに飴を配っていた気のいい若者が事故で命を落とす。劣悪な労働環境にいる者たちが、さらに厳しく危険な労働環境へ追い立てられる。この状況は、悪夢に等しい。韓三明は、いわゆる「買婚」で妻と結婚をした。つまり、お金を払って嫁さんをもらったのだ。顔も知らない娘も十六歳にしてすでに母親から離れて働いているという。沈紅の夫は、別れ話もしないままふっつりと連絡をとらなくなって、沈紅の元を去ってしまう。これが最近もたらした傾向か分からないが、中国においても人間関係の希薄化が進んでいるように見える。沈紅は、幾ばくかの未練が残る夫に対して、逡巡しながらも別れを切り出す。彼女は新しい男との関係をもちつつも、夫には最低限の仁義は切る。華々しい開発の裏側で、じっとり澱んだ空気の中に取り残されてしまった街がある。そして、取り残されたのは街ばかりではない。人の心も、どこかに置き去りにされてしまったかのようだ。これも、全てではないが、今の中国を構成する一つの側面である。
 劇中、少年が愛の歌を唄う。愛を知らず、愛のない場所でも、不思議と人は愛の歌をうたうことができる。滔々と流れる長江のように、淡々と人と社会を描いている作品だが、何故か彼らの表情が、心から離れない。素晴らしい演出だ。邦題は『長江哀歌』。
 三峡ダム建設で水没してしまった街について知りたければ、李一凡監督のドキュメンタリー『淹没』(邦題『水没の前に』)をご覧になることをお薦めする。中国の人々の力強さ、したたかさを感じる一本である。
 賈樟柯監督は今年度のカンヌ映画祭コンペティション部門で新作を発表している。これも是非、観てみたい。