SYRIANA:films
Stephen Gaghan監督のSYRIANAを観た。物語は石油採掘場の作業現場で働く外国人労働者が突然解雇を言い渡されるシーンから始まる。CIA諜報部員の活動、スイスのエネルギーアナリストとその家族、 エジプト人武器商人、アメリカの石油会社の合併、その合併をまとめる弁護士、中東の石油産出国の国王とその息子たち・・・この作品はこれら中東の石油利権 から端を発する大きなうねりを描いた一種の群像劇である。
映画を観ている途中、いや映画を見終わった直後でさえ、話の筋がすっきりとは理解でき なかった。しかし、家に帰りながらそれぞれのシーンを回想し、台詞を反芻していくと、全く別個に見えていた話の断片が少しずつ繋がっていたことに次々と気 づく。そしてその繋がりは映画の人間関係を飛び越えて、石油というエネルギーを大量に消費して生きている我々にまで及んでくるのである。石油利権を求める のは何もそこから巨万の富を得る政治家や石油会社の者だけではない。石油を渇望し、それなしでは生活を維持できない社会に生きている我々も、直接的・間接 的に 石油というものに群がっているのだ。真に民主的な社会を作ろうとした長男の王子を死に至らしめたのも(これはどこかの大国が民主国家を樹立する大義名分を 掲げながら他国に介入するが、結局は自国のためでしかないことへの強烈な批判)、失業した青年を自爆テロに駆り立てたのも(宗教が自己犠牲という尊厳をも 与えてしまうことへの皮肉)、エネルギーを大量に消費する我々とは無関係ではないのである。この映画に出てくる人々は家族や自分の生活を守るため、自分の 仕事を当たり前のようにこなしている。このことは日本で日常生活を送る人々と何ら質的な違いはない。しかし、映画のなかの彼らの行為が結果的にこうした世 界システムの一つの歯車として機能し、多くの不幸を生み出しているなどとは思ってもいない。それを象徴的に表しているのは、弁護士が普段通りに帰途に就く ところで迎えるラスト・シーンである。
この映画は決して一般受けするような作品ではない。しかし、自分と世界とのつながりに強い想像力を持つ者 には強くアピールする力のある作品だ。この作品の演技でGeorge Clooneyがアカデミー賞の助演男優賞を獲得した。ふと疑問が浮かぶ。彼が助演だったら、この映画の主演は誰だったのか?そうだ。主演などそもそもこ の作品には存在しないのだ。
