Pouvoir judiciaire:journal
久しぶりに実家に帰った。町内には選挙を控えてか、議員のポスターが随所に掲示されていた。特に目についたのはH議員。母曰く、H議員は法曹人口の増加に歯止めをかけて法曹界のレベル低下を防ぐための法律作りに尽力しているという。母はそれを肯定的にみているようだった。それについて、ボクはそれはいかがなものかと思っている。やや旧聞に属するが、共同通信の配信で以下のような記事があった。
法科大学院修了者を対象とした新司法試験の合格者中心となった最近の司法修習生について、教官らが「実力にばらつきがあり、下位層が増加している」「(司法修習の修了試験で)最低限の能力を修得しているとは認めがたい答案があった」などとみていることが5日、最高裁作成の報告書で分かった。
新しい制度になって合格者を増やしたのだから、「下位層が増加している」のは、自然なことだ。これ以外の結果になれば、それは極めて不自然だろう。日弁連はこのことを問題視し、法曹人口の増加に反対をしている。しかし、数を増やすことでレベルが低下するということが、ボクにはそれほどの問題だとは思えない。むしろ、これまでのように法曹人口が抑えられていることこそが、問題だとみている。
判事にしろ、検事にしろ、弁護士にしろ、修習生時代の成績がその後の全てを決める訳ではない。医師も教員もその点では変わらない。どんな職業も実務経験を積み重ねることで、仕事を習得していく。一部の修習生の質の低下が、将来にわたる弁護士の質の低下になるかは分からない。まだ合格者が仕事もしていない段階で方針の正否を判断するのは、早計というものだ。記事では「大多数は期待した成果を上げている」と述べているのだから、これでよしとすべきである。
現在の法曹界の問題は、法曹人口が大都市に偏在していることにある。これは基本的に医師の問題と同様。旧司法試験でも、新司法試験でも、新しく弁護士になる者は大都市での就職を希望する。地方の弁護士が足りないことを解消することも、司法改革の目的であったはずだ。
もう一つ、弁護士を雇う我々にとっては現状の弁護士の数では大きな問題がある。それは弁護士報酬があまりに高額なことだ。弁護士の人数が多くなり、それが弁護費用の低下に繋がるなら、それは大歓迎である。何らかの形で報酬の低下がなければ、裁判を受ける権利が損なわれるのではないか。
先の記事では「疑わしきは被告の利益に」という基本原則さえ理解していなかったケースもあるという。これは基本的に裁判官の基本原則で、きっとこういう人物は裁判官にはなれないだろう。しかし、現実の裁判では、検事は法廷戦略上、被告にとって有利な情報もどんどん否定するし、考慮さえしないこともある。「疑わしきは・・・」どころか、とにかく罰する方向で議論を進めるのが基本だ。
ボクは今回の新司法試験で合格した人の一人を知っているが、彼はもしかしたら従来の司法試験では合格できなかった人かも知れない。しかし、ボクからみれば氏はとても優秀で好感の持てる人物であった。レベルの低下が社会問題として心から憂慮されるような人間には到底、見えない。現大阪府知事も先の裁判では有罪判決を受けているし(現在控訴中)、判事が児童買春やストーカーをしていた例もある。旧司法試験による法曹関係者も、過去に有罪になっている例は多い。
当然、現在弁護士業を営んでいる方々にとっては商売敵が増える訳だから、様々な理由をつけて増加に反対するだろう。既得権保護の観点からは当然のことだ。しかし、議員なら大局的な視点で、そもそも何故、司法改革が必要になったのかということに立ち戻って、制度改革の是非を考えるべきではないか、と思う。
病気でたとえるなら、風邪もあれば難病もある。全てが難病を治せる医師である必要はない。裁判も同様だと思う。
法科大学院修了者を対象とした新司法試験の合格者中心となった最近の司法修習生について、教官らが「実力にばらつきがあり、下位層が増加している」「(司法修習の修了試験で)最低限の能力を修得しているとは認めがたい答案があった」などとみていることが5日、最高裁作成の報告書で分かった。
新しい制度になって合格者を増やしたのだから、「下位層が増加している」のは、自然なことだ。これ以外の結果になれば、それは極めて不自然だろう。日弁連はこのことを問題視し、法曹人口の増加に反対をしている。しかし、数を増やすことでレベルが低下するということが、ボクにはそれほどの問題だとは思えない。むしろ、これまでのように法曹人口が抑えられていることこそが、問題だとみている。
判事にしろ、検事にしろ、弁護士にしろ、修習生時代の成績がその後の全てを決める訳ではない。医師も教員もその点では変わらない。どんな職業も実務経験を積み重ねることで、仕事を習得していく。一部の修習生の質の低下が、将来にわたる弁護士の質の低下になるかは分からない。まだ合格者が仕事もしていない段階で方針の正否を判断するのは、早計というものだ。記事では「大多数は期待した成果を上げている」と述べているのだから、これでよしとすべきである。
現在の法曹界の問題は、法曹人口が大都市に偏在していることにある。これは基本的に医師の問題と同様。旧司法試験でも、新司法試験でも、新しく弁護士になる者は大都市での就職を希望する。地方の弁護士が足りないことを解消することも、司法改革の目的であったはずだ。
もう一つ、弁護士を雇う我々にとっては現状の弁護士の数では大きな問題がある。それは弁護士報酬があまりに高額なことだ。弁護士の人数が多くなり、それが弁護費用の低下に繋がるなら、それは大歓迎である。何らかの形で報酬の低下がなければ、裁判を受ける権利が損なわれるのではないか。
先の記事では「疑わしきは被告の利益に」という基本原則さえ理解していなかったケースもあるという。これは基本的に裁判官の基本原則で、きっとこういう人物は裁判官にはなれないだろう。しかし、現実の裁判では、検事は法廷戦略上、被告にとって有利な情報もどんどん否定するし、考慮さえしないこともある。「疑わしきは・・・」どころか、とにかく罰する方向で議論を進めるのが基本だ。
ボクは今回の新司法試験で合格した人の一人を知っているが、彼はもしかしたら従来の司法試験では合格できなかった人かも知れない。しかし、ボクからみれば氏はとても優秀で好感の持てる人物であった。レベルの低下が社会問題として心から憂慮されるような人間には到底、見えない。現大阪府知事も先の裁判では有罪判決を受けているし(現在控訴中)、判事が児童買春やストーカーをしていた例もある。旧司法試験による法曹関係者も、過去に有罪になっている例は多い。
当然、現在弁護士業を営んでいる方々にとっては商売敵が増える訳だから、様々な理由をつけて増加に反対するだろう。既得権保護の観点からは当然のことだ。しかし、議員なら大局的な視点で、そもそも何故、司法改革が必要になったのかということに立ち戻って、制度改革の是非を考えるべきではないか、と思う。
病気でたとえるなら、風邪もあれば難病もある。全てが難病を治せる医師である必要はない。裁判も同様だと思う。
