Prix Nobel:journal
日本の三人の学者がノーベル物理学賞を獲得した。いつものことながらメディアはお祭り騒ぎである。30年以上前の業績が、その影響力を現在も失わないことが歴史的にも立証されたのだから、これは凄いことだ。そうした研究というのはなかなかできるものではない。
しかし、残念ながら門外漢のボクにはこの研究の真価をはかる能力はない。おおかたも大同小異だろう。メディアを含め、多くの方は研究成果に対してではなく、ノーベル賞の「権威」や「日本の名誉」に騒いでいる。成果に対して騒ぐなら、30年以上前のことであってよかったはずである。
何故ノーベル賞が権威となり得るのかは詳細な分析が必要なのだろうが、基本的にその分野の専門家が十何年、何十年という長い時間をかけてその研究の重要性について検討しているということが、その根拠の一つになっているに違いない。これは当該分野に疎い人間が「どこどこの雑誌に掲載されているから」とか、「年間何本論文書いているから」という理由で研究業績を判断している日本の大学の評価システムとは対極にある。研究の価値を判断することは、極めて専門性が高く、時間が必要で、門外漢にとっては絶望的に難しいことなのである。
ノーベル賞を獲得した彼らも、「それは何の役に立つの?」とか、「もっと社会のためになる研究をしたらどうだ?」といった類のことを一度くらいは言われていたと想像する。如何なる研究も、その研究に興味をもって携わっていない、あるいは自分自身と関係づける想像力がない人には、無用の長物に映るであろう。ノーベル賞を獲得した研究さえそうなのだから、他の研究も推して知るべし。人はどうしても、自分個人との関係で、有用性を即断しがちである。自分が何も知らないということを自覚し、研究の真価を軽々に判断しないということが、謙虚な態度というものなのだろう。
彼らの研究の真価を知るために万策を尽くしてはじめてその研究の重要性がわかるのだろうし、そうすることなくして、研究の価値や楽しさは分からないのだろうと思う。
しかし、残念ながら門外漢のボクにはこの研究の真価をはかる能力はない。おおかたも大同小異だろう。メディアを含め、多くの方は研究成果に対してではなく、ノーベル賞の「権威」や「日本の名誉」に騒いでいる。成果に対して騒ぐなら、30年以上前のことであってよかったはずである。
何故ノーベル賞が権威となり得るのかは詳細な分析が必要なのだろうが、基本的にその分野の専門家が十何年、何十年という長い時間をかけてその研究の重要性について検討しているということが、その根拠の一つになっているに違いない。これは当該分野に疎い人間が「どこどこの雑誌に掲載されているから」とか、「年間何本論文書いているから」という理由で研究業績を判断している日本の大学の評価システムとは対極にある。研究の価値を判断することは、極めて専門性が高く、時間が必要で、門外漢にとっては絶望的に難しいことなのである。
ノーベル賞を獲得した彼らも、「それは何の役に立つの?」とか、「もっと社会のためになる研究をしたらどうだ?」といった類のことを一度くらいは言われていたと想像する。如何なる研究も、その研究に興味をもって携わっていない、あるいは自分自身と関係づける想像力がない人には、無用の長物に映るであろう。ノーベル賞を獲得した研究さえそうなのだから、他の研究も推して知るべし。人はどうしても、自分個人との関係で、有用性を即断しがちである。自分が何も知らないということを自覚し、研究の真価を軽々に判断しないということが、謙虚な態度というものなのだろう。
彼らの研究の真価を知るために万策を尽くしてはじめてその研究の重要性がわかるのだろうし、そうすることなくして、研究の価値や楽しさは分からないのだろうと思う。
