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01 novembre 2008 

CANDY:films

Neil Armfield監督のCANDYを観た。
詩人志望のDanと画家志望のCandy。二人は恋人同士だが、薬物中毒のDanの影響でCandyも麻薬を始めるようになる。金のない彼らは、最初は知り合いの大学教授Casperから金をせびったりしてドラッグを買うが、金策に困ったDanはCandyに娼婦をさせて生計を立てるようになる・・・。
 劇中の台詞でもあったが、「やめられるときはやめたくない、やめたいときはやめられない」というのは真実なのだろう。ドラッグをやる人間は、ドラッグが至上の欲望の対象となる。薬の恐ろしさは、
神の如きドラッグに全てを捧げ、人を変貌させてしまうところにある。
 やがて二人は結婚をする。サブプライム・ローンにアメリカ人を駆り立てたような甘言で、彼らの知人は身の丈に合わない借金をもちかけて家を購入させる。もちろんローンを返済できず、自滅。生活は次第に荒んでいく。やがて赤ちゃんも授かり、ドラッグをやめようと決心するが、これが最後といいつつCandyはヘロインを打つ。その後は地獄の如き禁断症状にのたうち回る。あれでは胎教どろこではない。果たして赤ちゃんは死産。二人の関係は終末に向かっていく。いや、彼らが出会った時点ですでに坂道を転がり始めていたと言ってよい。
 Danは自称詩人。確信犯ではないジゴロ。生活力もなく、Candyに売春までさせる。だが、Candyは彼から離れようとしない。まさにDan自体が、その関係自体がドラッグの如きである。
 DanとCandyは一体、何が不満で溺れていったのだろう。映画を観ながらそんな疑問がよぎったが、ひょっとするとこの問いの立て方は、筋違いなのかもしれない。客観的にみて不幸になるばかりの二人の関係でも、二人にとっては唯一無二のものだったのだろう。二人のドラッグは、ヘロインではなく、「愛」そのものだったのではないか、とさえ感じる。Candyの両親は割合にまともそうだったが、Candyの主観では満たされないものを感じていたのかも知れない。劇中、Danの両親は一度も姿を現さないし、Candyの女友達は一人も登場しない。二人は周囲との関係を構築するのが不得手な人間だったのかも知れないし、芸術家的気質もそれに手伝ってたかも知れない。
 破滅的なストーリーの最後は、客観的に観れば一つの落ち着きをみせる。だが、彼らの主観としてはどうだったのだろうか・・・このラストは、嫌いではない。