JUNO:films
Jason Reitman監督のJUNOを観た。高校に通う十六歳のJUNOは、好奇心からセックスした相手の子供を身籠もってしまう。最初は隠れて堕胎しようとするが、胎児にも爪があることを知ったことから気が変わり、出産してすぐに養子に出すことを決意する。
JUNOの住まう街はアメリカのどのあたりなのだろう?NYやLAのような大都会ではないようだし、テキサスのようなカソリックの保守的な街でもなさそうである。アメリカも地域で高校生の妊娠や中絶に関しての考え方は異なるのだろうが、この映画は社会との葛藤が全くといっていいほど描かれていない。また、時代に関してもケータイが出てこないところからみると、特に現代に特定していないような感じである。
親との葛藤もなければ、学校との対立もない。JUNOに対する言葉による批判はなく、好奇の視線を向けられるのみである。あるエッセイストの女性がどうして女性は子供を産みたがらないのかという質問に、端的に「痛いから」と答えていたが、出産に伴う身体的激痛についても最小限の表現に抑えられている。
この映画、少女の出産をとりまくネガティヴな反応をきれいに切り捨てることで、産むことへの抵抗を減らし、出産後の育児を他人にゆだねることで、少女は出産後も何一つ失わないようなストーリーに仕立て上げている。赤ちゃんの父親も、世間の批判を浴びている風ではないし、進学を諦めて経済的な負担をしたりすることもない。男も女も出産で何も失わない。こうした点が非常に新鮮で、同じ題材を扱った作品の陰鬱さや、重さはない。ある意味で、出産を礼賛する映画とも言える。しかし、この映画にはリアリティはあるのだろうか?
女性が出産に戸惑うのは、それが出産前の人生と後の人生ががらりと様相を一変させてしまうからである(相手の男性も同様である)。もちろん、好転することも多いかもしれない。これまでには知らなかった充実感を味わうこともあろう。しかし、職、金、時間、人間関係、ライフスタイルや将来への展望・・・何も失わないで子育てなどできない。自分をとりまく環境が長い時間と努力を積み重ねて大切に作ってきたものであるなら、なおさらそれを手放すことを躊躇する。子供の前ではそんなものは何の価値もない、と言うならそれはその人の人生をあまりにも軽視しているように感じる。人の価値観は様々である。
映画に戻ろう。結局、JUNOは妊娠しても出産しても、何も失わない。出産後、何十年にもわたって支出するはずの莫大な養育費も一銭も支払うことはない。JUNOの両親も然り。僕がこの映画の天真爛漫さに戸惑うのは、この点である。
個人的には、日本でも養子縁組の制度をきっちり確立して、堕胎せずともきちんと育ててくれそうな人に引き取ってもらうのがよかろうと思っている。何も実の親に育てられるのが幸せとは限らない。DNAを引き継いでいるからといって、責任感もなく、収入もなく、未成熟な親に育てられるよりもずっといいのだと思う。責任をもって育てられないなら、勇気を持って預けることも必要なのだと思う。しかし、この物語の主人公たちのように白人で、産まれる子供も白人の場合は、比較的里親を捜しやすいかも知れない。しかし、白人でなかった場合、人種差別の激しいアメリカで子供の里親はすぐに見つかるだろうか?先天的に心身に障害があった場合はどうだろうか?現実には簡単な話ではないはずである。
高校生の妊娠となると、テーマがどうしても暗くなってしまう。そうしたある意味でお決まりのパターンを踏襲せず、軽妙なジョークで描いている新しさは評価できる。数々のジョークに笑った。だが、この物語が地域も時代も特定されてないように、所詮はリアリティの欠けたおとぎ話なのである。Junoはリッチでも心が離れてしまっているVanessa夫婦とは対称的な家庭環境にいる。顰蹙を買うような毒舌を吐き、言いたいことは全部口にしても、真に自分を理解し、どんなときも擁護してくれる温かい友人と両親と恋人に囲まれて育つ幸せな女の子だ(彼女は周囲に温かく接してはいないが)。見方によっては、理想的な環境にある女の子の、おめでたいご都合的な物語とも言えなくもない・・・。
