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26 octobre 2006 

Matière obligatoire:journal

昨日報道されたニュース。必修単位を受けさせず、受験科目に必要な科目だけを集中的に受けさせていた問題が拡大する傾向である。原因は色々とあるだろうが、高校の先生たちの「善意」や「現実的対応」の結果なのだろう。また効率追求の結果とも言える。今回の例のように授業を受けないよう「配慮」しているのだから、授業をしたとしても先生・生徒双方に馴れ合いの雰囲気が醸成されることは想像に難くない。香港を指さして北京という大学生のように、世界史の知識が極端に欠如しているのもこの辺に原因の一端があるのかもしれない(もちろん、全てではない)
 しかし、大学の側にも問題がない訳ではない。5教科5科目が6教科7科目になったり、猫の目のように変わる入試制度の変更は高校現場に混乱をきたしたであろう。どこの国のマネをしているのか、大学によってこれほどまでに入試方法が異なり、しかも毎年のように変転するのは世界的に極めて異例である。フランス、ドイツなどヨーロッパ諸国、韓国や中国の制度は非常にシンプルである(中国では一度大学受験に失敗すると二度受験できないなど弊害もあるが)。
 小学校から大学まで学校の現場が人生の次のステップへの準備として位置づけられるようになって久しい。中学校は高校入試への準備、高校は大学入試への準備、大学は就職するための準備。昨今、大学評価の名の下に大学は学生の就職率アップを脅迫的に求められている。ここで目標とされるのは就職率という数字。大学は見栄えのいい数字を捻出するために「就職」の定義を拡大する。
 短期的な目標ばかりを追いかけると、手段が目的化し、大きな目的は失われてしまう。教師も生徒も性急な「成果」を獲得することに腐心するのが今の日本の「教育」である。そのなかででてきた先生と生徒の妥協点と「善意」の結果がこのニュースである。善意ほど恐いものはないという言葉を如実に示すようだが、今回の件を一方的に指弾する気にはどうしてもなれない。「善意」によって科目を間引きされた生徒さんが気の毒であるが。