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22 septembre 2006 

Chantez, s'il vous plaît.

「国旗国歌の強制は違憲」であるとの判断が東京地裁から下された。その日の夜、僕はある寿司店のカウンターで寿司をつまみながらテレビのニュースでその報道をみた。やや離れたところでオジサンとオバサンのカップルがおり、オジサンがこの判決に異議を唱えていた。「国歌を歌うのは当たり前だろう、どうしてこうなるのだ」と。その時、僕はそのオジサンにその場で起立して国歌を歌ってもらおうかと頼みたい欲望にかられた。
「オジサン、国歌を歌ってよ。今、その場でいいから。立ち上がって国歌を僕にきかせてくれよ。」と。
 もちろん、見知らぬ他人にこんなことを言うことはしなかったが、こんな風に頼まれたらそのオジサンは果たして起立して国歌を独唱しただろうか?
 恐らくはしないだろう。彼は僕の部下でもなければ、学生でもない。もちろん、権力関係も利害もない。
国歌を歌うのは当たり前と大声で言う彼もきっと「何でここで立ち上がって君のために歌わなきゃいけないの?」と思っただろう。入学式や卒業式じゃないんだから。そう思ったかも知れない。もしかして、思考停止に陥って返す言葉も失ったかも知れない。頼んでもいないから、どう思ったかは不明であるが、困惑したであろうことは想像に難くない。
 ところで話は飛ぶが、教員が学生に空になったグラスを注ぐよう強要する行為はセクハラである。それを拒否した学生を落第にしたりするのもこれに該当し、悪質とされる。簡単に言うとセクハラとは権力関係をかさに、権力のある者が権力下にある者に対し、意にそぐわない行為を強要し、不快な思いをさせることである。今やセクハラをした教員が教職に留まることは難しい。それだけナーバスな問題になっている。
 都や教育委員会など処分を下しうる権力を持つ者が教職員に対して、処分をちらつかせて国歌斉唱の時に起立させたり、歌わせたりする。そして拒否した者を処分するというのは、構造的にセクハラに近い。セクハラという言葉が不適切ならパワー・ハラスメントだろうか。拒否したことで自分が教職を追われるのではないか?自分がイヤだと思ったことを拒否したばっかりに、不当な扱いや嫌がらせをうけるのではないかと教職員たちは不安に思ったに違いない。
 今度、同じシチュエーションになったとき、言ってみようかな?「ねえ、国歌、歌ってよ。」ってね。