MUNICH:films
1972年のミュンヘン・オリンピックで起きたパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手殺害事件とその後のイスラエル暗殺部隊による黒い九月への報復を描いた作品。本当に悲しい物語だ。エンドロールのに流れるヴァイオリンの調べに同調するように陰鬱な気分になる。人を殺したことがなく、出産間近の妻がいるからこそ、 暗殺者として指名されてしまう男Avnerの悲運。家族を守るために引き受けた任務によって、家族が危険にされされる矛盾。暗殺者として人を次々に殺して いくうちに、心が荒廃していく。そして、人を殺すことへの敷居がどんどん低くなっていく。
報復合戦では憎しみしか生まれない。こう言うことはキ レイゴトな のだろうか?当事者ではないからそう言えるのだろうか?愛する人を政争の具や悲惨な形で失ってもなお、自分はこう言っていられるのだろうか?では、どう やったら人を憎悪しなければならない苦しみや応報感情を乗り越えることができるのだろうか?大きな問題を突きつけられる作品だ。
小さなことだ が、この映画は食事をするシーンが象徴的な意味をもっているように思う。料理の上手なリーダー。メンバーが集まる初めての会食では美味しい料理を食べなが ら楽しく談笑する。「平和」という漠然としたものに形が与えられるようなシーンだ。しかし、後半部では次第に目の前のごちそうにも手が伸びないほどに追い 込まれてしまう。そして、Mossadから離れることを決心したAvnerが仲介役の男を家族の食卓に誘うも、すげなく断られてしまう。このことが悲惨な 事態がこれからも続くことを暗示し、当時はまだ象徴であり得たWorld Trade Centerの遠景でラストを迎える。比較的長い映画だがイスラエルとパレスチナの歴史などにはあまり言及されていない。映画のなかの対立構造がピンんと こないならば、それは映画の手落ちではなく、観客の無知に帰せられる問題である。映画の説明不足に非があるのではなく、この映画を観る際には絶対に必要な 知識だ。現実にMossadという組織はいまなおも存在し、活動をしている。
観ていて思ったのだが、この映画面白いことにアメリカ出身の俳優が 殆ど起用されていない。主要な配役では一人もいないかもしれない。そもそも主演のEric Banaはオーストラリア出身だし、爆弾を作っていたRobertはアメリでおなじみのMathieu Kassovitzでフランス人。女殺し屋役のMarie-Josée CrozeはDenys ArcandのLES INVASIONS BARBARESでカンヌ映画祭の女優賞を獲得しているし、Louis役のMathieu AmalricはRois et Reineで昨年のセザール賞で主演男優賞を獲得しているいずれもフランスの実力派である。ESやラン・ローラ・ランの主役であるMoritz Bleibtreuも出ていたし、Charlotte Gainsbourgの夫で監督・俳優のYvan Attalも出ていた。こうしてみれば、ヨーロッパでは既に名のある主役を張る俳優ばかりである。彼らが地味だが堅実な演技をしていたのが印象的である。 今回初めて知ったのであるが、文書偽造役のHanns Zischlerはドイツ生まれで、Jacques DERRIDAの翻訳者・批評家・学者でもあり、『カフカ・映画に行く』KAFKA GEHT INS KINOの著者でもあるという。どこかで観たと思ったら、Eythan Fox監督のWalk On Water(Tu marcheras sur l'eau)やHans Weingartner監督のDie fetten Jahre sind vorbei(ベルリン僕らの革命)に出ていた。Walk on Waterでは反対にナチスの戦争犯罪人の息子を演じていた。MUNICHでは手榴弾を部屋に投げ入れ、危うく爆風で死にそうになる激しいシーンもあったが、多彩な人もいるもんだと別の意味で 驚いた次第。映画の原作となった『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』も読んでみようと思う。
