SKY CRAWLERS:films
押井守監督の『スカイ・クロラ』を観た。架空の世界で、管理された戦争に参加する死なない永遠の子供、キルドレの寓話。この世界では企業同士が戦争を請け負っている。それは、20世紀の全てを巻き込んだ総力戦とは異なり、ごく一部のキルドレが戦闘に参加している。どうもこの戦争の意味は従来行われたものとは趣が異なるようだ。彼らは大人にならない(なれない)永遠の子供。
この物語における大人と子供の構図というのは極めて示唆的である。出てくる大人といえば、整備士や飲み屋や娼婦など消費者としてのキルドレをサポートする大人、そして彼らを管理するみえざる大人、そして、彼らの戦いをただメディアを通じて観るだけの大人。大人はいるが、「親」がいない。
キルドレたちは死と隣り合わせの戦闘シーンでしか、息をしていない。地上での食も酒も遊びもセックスも、戦闘に比べれば暇つぶしでしか、ない。子供のリアリティとしては永遠に続くかもしれない弛緩した日常が、死を選ばない限り本当に続いてしまうことにキルドレたちの不幸がある。
この物語、「子供でいる限り、大人には勝てない」、「子供でいる限り、大人に使われるだけ」という子供にとっては絶望的な社会の理が描かれている。カンナミが一人ティーチャーに挑んでいくシーン。実は受動的に生きるカンナミが唯一、能動的にとった行動である。その相手は、同じキルドレではなく、文字通りの大人の男。字幕はティーチャー、英語台詞はfatherと確かに、言っていた。彼らにとって乗り越えるべきものが何かは、これで明らかであろう。
そもそも、「反復されるだけの人生」というのは、若いとき特有のリアリティだ。長く生きれば、生きるほど、同じ一日はないことを実感する。人は生きていけば変わっていく。また、変わらずに生きていくことはできない。どんな退屈な日常でも永遠には続かない。だけど、若いときにはそれがずっと続いてしまうような絶望を味わうこともあるかも知れない。この物語は押井監督の現代の若者に対するメッセージに溢れている。「君は生きろ。何かを変えられるまで。」この台詞は秀逸である。
この映画には原作があるようである。少し読んでみようと思う。
