Rashōmon
教育実習の研究授業を参観した。テキストは芥川龍之介の『羅生門』。
この作品を読んだのはいつだったか覚えがない。やはり高校生の頃だったかも知れない。今回、改めて通読してこの作品がが何故に現在まで読み継がれているのかが分かるような気がした。
主要登場人物は二人(+死者)。リストラされた若者(下人)と老女である。二人はまさに社会の底辺にある者たちであるが、二人は対等ではない。死体<老女<下人という力関係となる。
この作品は社会の弱者がさらなる弱者を食い物にする姿が描かれる。老女はきっと金も身よりもないのであろう。羅生門にうち捨てられた死体から髪の毛をはぎ取り、それを換金しようとしている。労働力もなく、縁故もなく、性的魅力も枯渇した老女が搾取できる対象は、もはや死体しかない。一方、下人はまだよい。少なくとも老女よりも若く、体力がある。しかし、下人は結果的に老女の唯一の持ち物であると思われる着物を奪っていく。文字通り身ぐるみ剥がれた老女は、うち捨てられた死体と同じ末路を辿るのだろう。老女が生き残るためには、彼女に唯一残されたもの、つまり羞恥心を捨てて、素っ裸で羅生門を降りる以外にない。
この作品は、下人が自らの掠奪行為をどのように正当化していくかに醍醐味があるが、畢竟、生前の死体も、老女も、下人も同じである。生きるための悪事は、仕方ないと思っている。
社会の底辺の者が、より困窮する者からなけなしのものを掠奪する構造。こうした絶望的構造が現在も、しかも世界規模で命脈を保っているということに、暗澹とする。
この作品は、ラストの一文にたびたび変更が加えられている。教科書では「下人の行方は誰も知らない。」となっているが、初出のラストと比較してみるのも一興である。
再び『羅生門』を読みたい方は、こちら(青空文庫:外部リンクに接続します)をどうぞ。
この作品を読んだのはいつだったか覚えがない。やはり高校生の頃だったかも知れない。今回、改めて通読してこの作品がが何故に現在まで読み継がれているのかが分かるような気がした。
主要登場人物は二人(+死者)。リストラされた若者(下人)と老女である。二人はまさに社会の底辺にある者たちであるが、二人は対等ではない。死体<老女<下人という力関係となる。
この作品は社会の弱者がさらなる弱者を食い物にする姿が描かれる。老女はきっと金も身よりもないのであろう。羅生門にうち捨てられた死体から髪の毛をはぎ取り、それを換金しようとしている。労働力もなく、縁故もなく、性的魅力も枯渇した老女が搾取できる対象は、もはや死体しかない。一方、下人はまだよい。少なくとも老女よりも若く、体力がある。しかし、下人は結果的に老女の唯一の持ち物であると思われる着物を奪っていく。文字通り身ぐるみ剥がれた老女は、うち捨てられた死体と同じ末路を辿るのだろう。老女が生き残るためには、彼女に唯一残されたもの、つまり羞恥心を捨てて、素っ裸で羅生門を降りる以外にない。
この作品は、下人が自らの掠奪行為をどのように正当化していくかに醍醐味があるが、畢竟、生前の死体も、老女も、下人も同じである。生きるための悪事は、仕方ないと思っている。
社会の底辺の者が、より困窮する者からなけなしのものを掠奪する構造。こうした絶望的構造が現在も、しかも世界規模で命脈を保っているということに、暗澹とする。
この作品は、ラストの一文にたびたび変更が加えられている。教科書では「下人の行方は誰も知らない。」となっているが、初出のラストと比較してみるのも一興である。
再び『羅生門』を読みたい方は、こちら(青空文庫:外部リンクに接続します)をどうぞ。
