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12 octobre 2008 

C'est un petit miracle.:journal

 下村脩さんのノーベル賞の受賞。やはりボクにはその真価を理解することができないが、彼の成果は研究活動がもつある側面を教えてくれる。
 彼自身、緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見した時は、それが何に応用されるか全く想像しておらず、研究の動機としてはただ光る仕組みを解明したかったという旨のことを述べている。
 一般に一つの研究は他の隣接する研究分野と重なりながら、広大な網の目をなしている。言語学一つとっても、大脳生理学や社会学などと重なる領域をもつので、それ単体で存在している訳ではない。よって一つの研究分野の成果が、他の分野に応用される可能性を常に秘めている。
 例えば、公道を走ることができないF1カーの開発は、それだけをみると無意味に見えることもあろう。しかし、F1カーの車体により軽く、頑丈なものを採用しようと物質の剛性を研究していくことは、F1カーの利益のみに留まるものではない。以前のIBMのノートパソコンの筐体にF1カーと同じ強化プラスティックが使われていたが、そうした形で応用される可能性もある。
 たとえ自分の専門のことであっても、人はその研究の全ての可能性を予想できない。下村さんもそうだったのだ。すぐに応用されるかも知れないし、数十年後に応用されるかも知れない。もちろん、応用を支えるのは、基礎である。基礎を疎かにしては、応用はありえない。よく言われることだが、このことを本当に理解している人は、存外少ないのではないか。
 もちろん、研究によっては、その後に何の影響もなく消えていくものもあろう。しかし、イチローでも夢の四割には届かないように、また伝説的なストライカーも1試合に1点もとれない試合があるように、有象無象の研究者もまたその研究も、活発な研究活動に付随して当然に出てくるものなのだ。
 自分への言い訳じみた話になったが、研究には瓢箪から駒が出るという側面が数多くある。しかしそれは研究のネットワークに穴がないことではじめて可能になる。研究の詳しい内容や真価が分からなくても、他の研究分野を尊重するという姿勢は、やはり全体の底上げに繋がるのではないだろうか。今の大学でそういう姿勢があるかは疑問だが・・・。