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11 septembre 2008 

象の背中:films

余命半年と宣告されたら。
1,ソッコーで仕事を辞める。
と啖呵を切るも、辞めるにしても大変である。蔵書の整理を義務づけられる。僅かな人生を蔵書の整理に追われるのは無駄な気がするが、それを他人に押しつけるのも申し訳ない。あと同僚諸氏や学生さんたちとお別れするのはやはり忍びないし、一定の「責任」もある。「あなたとは違うんです」と言って突然辞めるわけにもいかないだろう。

2,お世話になった人にお礼行脚をする。
これは体力次第。日本各地、世界各地のお世話になった人を訪ねて感謝を述べる。そして、ずっと面と向かって言えなかったことを言う(もちろん、不快になるようなことは言わない・・・ようにする)。
だが、死相を浮かび上がらせた人間の突然の訪問を受けたら、相手もやはり困惑するだろう。忙しくても邪険にはできないし、実際にはメールや電話で済ますのがいいかも。

3,旅行に行く。
これも体力次第。行ってみたい場所、ボロブドゥール、イスタンブール、初夏のノルウェー、サンクトペテルブルク、ケニア・・・。実際には旅先のホテルで激痛に苦しむのは避けたくなるかも知れない。

4,美味しいものを心ゆくまで楽しむ。
やっぱり体力次第。きっと、余命半年レベルの病状なら、何でも食べられ、飲めるっていう状態じゃないんだろう。食べ物を美味しく感じられない、それが病気なのだから。

5,遺書を書く。
これは気力の問題。死んだ後のことなど知ったことではない、という気分にもなっているかもしれない。まあ、財産など皆無だから、身軽なのは歓迎すべきことだ。ただ、愛用のソファとフロアランプの行き先だけは決めておきたい。

 こうして思いついたことを書き連ねると、どれも元気な身体があってはじめてできることばかりである。
 なぜ、こんなことを書くのか?井坂聡監督の『象の背中』を観た、からだ。
 48歳のサラリーマン・藤山は肺ガンで余命半年と宣告される。彼の死に至るまでを描いた作品。しかし、余命半年と言われた藤山は結構、元気である。奥さんとはしないが愛人とはセックスをし、絶縁状態の友人と仲直りし、倒産においやった会社の社長に詫びを入れ、少しずつ自分の人生にケリをつける。さすがに途中からはしんどそうで、仕事を継続していくことも難しい状態になる。最後は緩和ケア病棟に入る。奥さんは絵に描いたような女性。発する言葉ひとつ、物腰ひとつとっても、男の勝手な妄想に近いような上流階級風の女性に描かれている。愛人の存在も知りつつ、男にとって都合のいい対応をする。
 藤山は周囲との葛藤が殆どといって、ない。治療を継続するのか、そのまま死を受け入れるのか、そうした極めて重要な決断も、周囲との軋轢なしにすんなり独断する。息子も良い子、娘も良い子。兄もよい人、妻も愛人も理想的、職場の同僚も善い人だが、社長だけは悪人。美化されたストーリーに、リアルな印象を全く感じなかった。末期癌治療というのは、映画で描かれたような甘いものなのだろうか。作品全体がご都合主義の妄想仕立てで、俗流お涙頂戴物語になっていた(娘の踊りは噴飯モノ)。
 余生を如何に活きるかというのは、確かに重要なテーマなのだが、やはり安直さは否定できない。こうした題材を選ぶなら、しっかりと考え抜いて作品を作り込んでほしい。人の生き死にを安易に扱うなと言いたい。久しぶりにひどい映画を観た。井坂聡はFocusを撮った時にはいい監督だと思ったんだけど・・・落ちたもんだ。