Paranoid Park:films
Gus Van Sant監督のParanoid Parkを観た。スケボーを始めたばかりの16歳の少年・Alex。どこにでもいるような、高校生。彼はある日、友人に誘われてスケートボード公園、通称パラノイド・パークに行く。憧れのスケボーの聖地でのデビュー。しかし、そこに滑り込む前に、その公園に居着く別の少年に貨物列車に飛び乗る遊びに誘われる。しかし、彼らは警備員に見つかってしまい、Alexは警備員を払いのけるが、それによって警備員を死なせてしまう・・・。
16歳の少年が人を殺めてしまう。一生、誰にも打ち明けられない秘密を抱え、それをおくびにも出せない。激しい内面の葛藤とは裏腹に、日常は淡々と過ぎていく。観客が観ることができるのは、彼の外面的な日常だけ。内面は推し量るしかない。警察の調査やテレビの報道、その他、事件にかかわる友人のコメントに内心は激しく揺さぶられる。「あの日」を境に、Alexの内面は大きく変化したはずである。今まで当たり前のように生きてきた日常が色を失うような感覚を抱いたのかもしれない。だが時系列をバラバラに散りばめたようなカットやAlexの佇まいからは、それが「あの日」の前なのか、後なのかよく分からない。この映画では宗教的な罪の意識や心の葛藤があまり描かれていないが、若いときであればあるほど、自らの所業が、全能的な何かに看破されているような心持ちになるのかも知れない。(少なくとも彼の行った行為を見ている人間がいるため、彼の心配の種は決して消え失せることはない。)
Alexの日常。それは、絶望的なまでの孤独が支配する。もしかしたら、大きな秘密を抱え込まなければ、彼の孤独はAlexの意識のなかで顕在化しなかったかもしれない。Alexには悩みを打ち明けられる人物が一人も登場しない。両親は離婚調停中。アテにしようとしていた父はタイミング悪しく、自分から離れていく。自分を気に入っているクールな恋人がいるが、内面を打ち明けるほど関係を深めていない。Alexの恋人への接し方はどこかよそよそしい。唯一、Alexに悩みを文章にしたためることを提案する女の子が出てくるだけだ。この映画のなかには、「大人」が存在しないのである。
この映画、同じ監督だから当然とも言えるが、Last daysに似ている。この作品の主人公も、救いようのないほどの孤独の中で死んでいったミュージシャン。誰からも崇拝されているはずが、奥深い山荘で絶望的な孤独の中で死んでいく。Paranoid Parkではカメラマンがクリストファー・ドイルになっていることで、ややソフトフォーカスや叙情的なカットが増えた感があるが、基本的には同じリズムだ。両作品に共通するのは、現代人の孤独なのだろうか。
この作品は安易な答えを用意してくれない。彼は事の真相を告白すべきなのか、出頭すべきなのか、罪を償うべきなのか・・・こうした「現世的な決着」をつけることに監督の興味はない。社会的な罰を受けることで、物語を完結させてしまうというのは、それこそ安易の誹りを受けないだろう。
