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04 août 2006 

Kamome shokudo

荻上直子監督の『かもめ食堂』を観た。
ヘルシンキにある日本食堂を舞台にした物語。この作品の魅力はかもめ食堂の女主人の肩の抜けた、しかし蘊蓄ある台詞にあるのだろう。映画では彼女の過去は殆ど語られず、むしろ彼女の来し方にかんしては巧みに隠蔽されている。最後に一端ぐらいは明らかになるかと思いきや、謎のまま終わってしまう。冒頭に彼女はでぶっとした生き物に食事を与えるのが好きだという嗜好が紹介される程度である。思うに海外で外国人が飲食店を開くこと、それは並大抵のことではないはずである。言葉の問題だけでなく、資本金も、営業許可も、賃貸契約の煩雑な手続きも、免許も、ビザも必要であろう。しかも、映画を観る限り、彼女の旧知の人間が一切、出てこない。映画の人間関係は全てが映画のなかでスタートする。きっと、この映画はこうした現実的な要素を一切排除した一つの寓話、おとぎ話なのだろう。全編に通底する「不思議さ」はここに起因している。そしてフィンランドという一般にはこれといったイメージが難しいヨーロッパの場所という設定も不思議さの演出に一役買っているようだ。
 かもめ食堂のメイン・メニューのおにぎり。欧米の人にとって、実はおにぎりというのは不気味な食べ物のようにうつるらしい。何が?と思われる向きもあろうかと思うが、あの黒い海苔に抵抗があるようである。パリにいた頃、ピクニックで手まり寿司と小さなおむすびを作って持って行ったが、黒いおむすびには
誰も最初はなかなか手を伸ばさなかった。これ、何?としきりに聞かれて、海苔を「海草の紙」みたいな説明をしたことがあった。あとでアメリカ生活が長かった友人に聞くと、やはり海苔というのは欧米人には案外ハードルの高い食材であるという証言を得た。そのため、マサコがおにぎりを頬張るシーンに店中の客が注目するというのはあながちかけ離れた話ではないと思った。
 
日 常から逃れてどこかに出たくなったり、人生の重しがとれたかと思いきや逆に空虚さを感じたり、愛する人に去られて喪失感を感じたり・・・そんな人間を肩のこらな い美味しい食事とともに優しく迎え入れてくれる場所。そんなところが本当にあればいいと思う。とてもいい映画だっただけに、ひょっとするとこの映画を観て 海外に日本食堂を出そうと思い立つ人が本当にいるかも知れない。それが心配だ。