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19 septembre 2008 

おくりびと:films

滝田洋二郎監督の『おくりびと』を観た。
 ようやく入団できたオーケストラが解散し、チェロを買うために借りた莫大な借金を抱えてしまったチェリスト・大悟。彼は家賃が要らないという理由で妻・美香と故郷の山形の実家で暮らし始める。職を探す大悟は旅行業者の求職情報かと思い面接に行ったが、そこは遺体を棺に納める業務を専門に行っている会社だった・・・。
 ボクは納棺師という仕事があるとをこの映画を観るまでは知らなかった。あれほどエレガントな所作で遺体が棺に納められるとは、驚きであった。死は現代の日常からは極端なほど遠ざけられているのであろう。悲惨な死に方をした人々が荼毘にふされるまで、どのようなプロセスを辿るのかがボクの中で漠然としていたことを改めて思い知った。納棺師の所作が故人を丁寧に扱っているという印象を与えるのは、敬意をもって対しているからであろう。遺体は畢竟モノなのだが、遺族にとってはやはり人なのである。遺体の肌を見せないように最大限配慮するのも、故人が生前有していたであろう羞恥心を極力守る発想に由来しているのだろう。作品はそのテーマからシリアスなものかと予想していたら、コメディとでも言えるような笑いどころ満載の作品だった。大悟を演じる本木の演技は周防監督の『しこふんじゃった』に出ていた頃を彷彿とさせた。
 人の死に関わる仕事は、感情の抑制が求められる。ヘラヘラしたり、笑いをかみ殺したりすることはできない。看護師や教員、受付などとは逆だが、これも感情労働の一つである。そうした状況であるからこそ、映画のテーマとしては笑いを作り出すことも、シリアスに演出することもできるのであろう。
 映画ではやや不自然なシーンがあった。例えば、生きた鮹に驚いて捨てるぐらいの主婦・美香が、隣家から潰したばかりの鶏肉をもらい、いくら鍋とはいえ頭や足を付けたまま食卓に出すのはちょっとあり得ない。やや唐突と思えるシーンもあったし、銭湯の常連さんが斎場の焼却室の担当だったり、自分を捨てた父親を最後に浄めるところなどは都合良く作り込みすぎて安っぽくなった。とても興味深い作品であっただけに、残念ではあった。また美香の台詞や振る舞いについても、違和感があった。
 ボクは自分の死後のことには全く興味がない。だから、他人に余計な出費や手間をかけさせたくないので、すぐに焼いてしまう棺桶は安いので十分だし、法名も要らないし、葬儀もしなくていい。お墓も要らないから散骨して欲しいと思っている。だが、こうした願いは叶えられることはないだろう。死者のセレモニーは生者のためにあるのだから。