Yokai Daisenso:films
三池崇史監督の『妖怪大戦争』を観た。
バカバカしくて笑える映画であった。監督は確信犯的にギャグ映画として作っていた。僕はお化けや幽霊や妖怪や来世や前世の存在を信じてはいない。しかし子供の頃から日本に住んでいると妖怪は案外にキャラクターとしてはなじみ深いものになる。僕の場合その多くがゲゲゲの鬼太郎に由来していたりする。このほど欧州でもこの作品が上映されるが、こうした背景がない地域では妖怪の姿は極めて創造的で個性的な姿に映るに違いない。妖怪はともかく、幽霊などは幼少期にはその存在を前提に思考していたこともある(夜中のトイレに何度幽霊の姿が頭によぎったか)。そうした恐ろしいものの存在はえてして恐怖によって他者を服従させようという意図によって捏造されてきたものなのだろう。それは子供にお化けの話を持ち出したり、政府がテロの不安を煽ったりするのと構造的には変わらない。さすがにお化けが出るので米軍基地を沖縄に固定化しましょうとはならないが、お化けの部分が別のものに代入されるだけの違いである。
話を映画に戻そう。水木しげるは劇中で「戦争はいけません、腹が減るだけです」と言っている。太平洋戦争に従軍し、片腕を失いながらも執筆活動を続ける氏にしてはかなり控えめな表現のように思うが、虚を突かれたようなリアルさをこの言葉に感じる。荒俣宏や宮部みゆきなどがちょい役で出演していたが、不思議なもので、立ち姿、歩き方一つで素人臭さがモロに出てしまう。現実世界では気になることがない程度のことが、映像のなかではかえって不自然な感じになってしまう。目立ってはいけないところが誇張されてしまうからであろう。演技をすることはやはり簡単ではないだなと思う瞬間である。今回、宮部みゆきが歩く姿を初めて観た。文章でしか知らない人の歩く姿をみるのは感慨深い。また論文でしか名前の知らない人やいつも座っているアナウンサーが歩くのをみると、つい見入ってしまう。何故かは自分でもよく分からない。
また話は飛ぶが、大学には基礎演習という授業がある。一年生向けのゼミだが、いつも学生に「幽霊はいると思いますか?」という質問を投げかけるようにしている。驚くことに6人中4,5人はその存在を信じている旨の発言をし、明確に否定するのは一人いるかどうかである。僕はたたみかけるように「幽霊の存在を証明してください」というが、その多くは「友達が見たことがあるから」とか(ちなみにその友達は「嘘は絶対に言わない」という注釈まで付けられていた)、「おばあちゃんからそんな話を聞いた」(おばあちゃんは「いい人」らしい)とか「テレビで念視していた」(テレビでよくみる例のオバサン)とかそういう発言を繰り返す。「証明しなさい」という問いに対して殆どが伝聞で答える点が論理的に逸脱しているが、こうした学生がむしろ「多数派」であることに絶望に近い脱力感を感じる。しかし、一方でこうした学生こそ、大学での学問を修める必要があるとも思う。僕はそれらの学生に言い残す「君らが幽霊が存在すると断言したことは絶対に忘れない」、と。
バカバカしくて笑える映画であった。監督は確信犯的にギャグ映画として作っていた。僕はお化けや幽霊や妖怪や来世や前世の存在を信じてはいない。しかし子供の頃から日本に住んでいると妖怪は案外にキャラクターとしてはなじみ深いものになる。僕の場合その多くがゲゲゲの鬼太郎に由来していたりする。このほど欧州でもこの作品が上映されるが、こうした背景がない地域では妖怪の姿は極めて創造的で個性的な姿に映るに違いない。妖怪はともかく、幽霊などは幼少期にはその存在を前提に思考していたこともある(夜中のトイレに何度幽霊の姿が頭によぎったか)。そうした恐ろしいものの存在はえてして恐怖によって他者を服従させようという意図によって捏造されてきたものなのだろう。それは子供にお化けの話を持ち出したり、政府がテロの不安を煽ったりするのと構造的には変わらない。さすがにお化けが出るので米軍基地を沖縄に固定化しましょうとはならないが、お化けの部分が別のものに代入されるだけの違いである。
話を映画に戻そう。水木しげるは劇中で「戦争はいけません、腹が減るだけです」と言っている。太平洋戦争に従軍し、片腕を失いながらも執筆活動を続ける氏にしてはかなり控えめな表現のように思うが、虚を突かれたようなリアルさをこの言葉に感じる。荒俣宏や宮部みゆきなどがちょい役で出演していたが、不思議なもので、立ち姿、歩き方一つで素人臭さがモロに出てしまう。現実世界では気になることがない程度のことが、映像のなかではかえって不自然な感じになってしまう。目立ってはいけないところが誇張されてしまうからであろう。演技をすることはやはり簡単ではないだなと思う瞬間である。今回、宮部みゆきが歩く姿を初めて観た。文章でしか知らない人の歩く姿をみるのは感慨深い。また論文でしか名前の知らない人やいつも座っているアナウンサーが歩くのをみると、つい見入ってしまう。何故かは自分でもよく分からない。
また話は飛ぶが、大学には基礎演習という授業がある。一年生向けのゼミだが、いつも学生に「幽霊はいると思いますか?」という質問を投げかけるようにしている。驚くことに6人中4,5人はその存在を信じている旨の発言をし、明確に否定するのは一人いるかどうかである。僕はたたみかけるように「幽霊の存在を証明してください」というが、その多くは「友達が見たことがあるから」とか(ちなみにその友達は「嘘は絶対に言わない」という注釈まで付けられていた)、「おばあちゃんからそんな話を聞いた」(おばあちゃんは「いい人」らしい)とか「テレビで念視していた」(テレビでよくみる例のオバサン)とかそういう発言を繰り返す。「証明しなさい」という問いに対して殆どが伝聞で答える点が論理的に逸脱しているが、こうした学生がむしろ「多数派」であることに絶望に近い脱力感を感じる。しかし、一方でこうした学生こそ、大学での学問を修める必要があるとも思う。僕はそれらの学生に言い残す「君らが幽霊が存在すると断言したことは絶対に忘れない」、と。
