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19 décembre 2006 

Letters From Iwo Jima:films

Clint Eastwood監督のLetters from Iwo Jimaを観た。
同監督の『父親たちの星条旗』と対をなす一本。太平洋戦争の硫黄島での戦いを日本の視点から描いた作品。最初にこの企画を聞いたとき、日本軍の物語は日本の監督がメガホンを取るのだと思っていた。そもそも企画になかったこの物語を監督が『星条旗』の取材をすすめるうちに、新たな一本にしたのだそうだ。
 戦争映画は過去を史実に基づいてできるかぎりのリアリティをもって描写する過去の物語ではなく、すぐれて現代的なものなのだと感じた。新聞の映画評にもあったが、兵士の家族たちへの思いを強調するあまり、「天皇陛下のために」という「大儀」が薄められているように思った。右、左、どちらから反論を受けてもかわせるような「配慮」が随所になされ、台詞はあるときは「天皇のため」あるときは「閣下のため」、あるときは「故郷」のため、あるときは「本土のため」とコロコロと順番に唱えられた。観客からの異議に備えるこうした台詞づくりが誰のためにあるのかは明らかである。ここでは真実に迫ることは二の次になっているように思える。
 時代考証や配役はいかがなものかと思う部分も多かった。こうした杜撰さは、アメリカの観客の視点を意識していると弥が上にも感じさせた。例えば、硫黄島に住んでいた人々の住居や服装、そして二宮演じる兵士の家の住居や服。日本家屋で障子が外側にむき出しになっているはずがないではないか。江戸時代じゃあるまいし、みんな着物というのも不自然。元はパン屋という家のなかはまるで蕎麦屋。戦争中の街並みとして多くの家庭では外に光が漏れないようにライトのシェードを布で覆い、空襲で窓ガラスが飛散するのを防ぐため、テープを貼り付けておくというのをテレビでよくみていたため、こうした点には違和感を持った(僕の認識は間違っているのだろうか?)。また20歳すぎの二宮の妻が36歳の裕木奈江というのはいかがなものか。まあ米国人なら違和感を感じないだろうが。「36日間に及ぶ戦闘」も映画ではせいぜい「5日間で終わらせる戦闘」ぐらいにしか感じられなかった。
 色々と不満も書いたが、評価もしている。戦争の悲惨さを伝えるには十分な作品だったと思う。だがやはり、こうした作品を観て当時の戦闘を理解したような気にはなれない。どんなかたちでも人が死ぬことはもっともっと悲惨で、悲しく、心に一生残る傷を残すものだと思うし、誰かの視点を絶対視することができないものだからである。やっぱり僕は商業的な「戦争映画」は好きになれない。人の生き死にを扱ったこの映画も米国アカデミーの賞取りレースに(急遽)参戦し、人々の死は直接は関係のない現代人に消費されることになる。もし、こうした題材を映画にするならClaude Lanzmann監督の"SHOAH"のように作って欲しい。僕は戦争を消費したいのではなく、「本当のこと」を知りたいのだ。