Always:films
山崎貴監督の『ALWAYS3丁目の夕日』を観た。VFXを駆使した「古き良き時代」へのnostalgiaとfantasiaに溢れた作品。監督は新聞その他で当時の状況を調べ上げたうえで、多くのアイテムを時代の記号として多用している。この映画を観ながらずっと考えていたのは、この懐かしいような香りは何に由来しているのだろうか、ということ。
想い出は時に美しい。また人は自分が経験していないことさえも「懐かしい」と感じることができる。現に映画の舞台からほど遠い場所に住んでいた人も「懐かしい」と連発する。こうした感覚が一体何に由来しているのかは分からない。これと同じ感覚を抱くのは唱歌「ふるさと」である。兎を追うことなどなかったし、小鮒も釣ったことはない。そんな経験は何もしてないのに何故かノスタルジックなものを感じてしまう。この映画も同様で、記号に溢れた映像とストーリーで何故か「貧しかったけれども未来があった昔」を想像できてしまう。僕が上海に初めて行ったのは1989年であったが、その頃、年配の日本人が終戦直後の日本にそっくりだと言っていた。一体彼が何をもって当時の日本との類似を見いだし、ある種の「懐かしさ」を感じたのかは判らない。この映画の昔の日本は想像の産物だから、いいところだけを感じていればよいとも、思う。しかし、実際に当時は「いい時代」だったのだろうか?
学校では暴力が日常化していただろうし、理不尽な体罰などは当たり前であった。女性は今よりもっと差別されていたし、恐らく誰もがそれを当たり前だと思っていただろう。警察の統計(pdf)によれば昭和33年は強盗や強姦などの犯罪の認知件数も「犯罪が多くなっている」と言われる現在より高かった(あの映像からは想像もできないが)。今の時代になってマシになったことはたくさんある。
経済成長の途上で、経済や科学技術が自分たちを幸せにしてくれると素直に信じていられた時代。残念ながらもうそんな時代には戻れないし、経済成長が一体どれほどのものかも気付いてしまった。「モノがなくても夢があった時代」は翻って言えば、モノがあっても夢や幸せとは関係がないことを時代が証明してしまった。
この映画の象徴となっているのは東京タワー。東京タワーをあの角度から眺めることができた住人は今、何をしているのだろう?おおかたは土地を売ってそのお金でどこか別の所に住んでいるのだろう。
自分もいつしか「あの頃はよかったなー」とCGで作られた映像から懐旧の情を抱くのだろうか?そういった感情を否定する訳ではないが、何だかそんな生き方はしたくないと思う。
